それからいろいろな希望を聞かれて、
一つ一つ考えて答えていった気がするけど、数が多すぎてあまり良く覚えていない。
すべてを聞き入れて、彼は「了解した」と言った。
ふいに、彼が神様であるということを思い出す。
「ねえ、あなたはいつもこんなことをしているの?」
「死人に対してか? いや、ここまで手を掛けるのはお前が初めてだ。
何人にも力を分け与えていたら、俺が危うくなるからな。
謝罪の意味もあるし、俺はお前が気に入ったから特別だ」
「……ありがとう」
恨むばかりではなくて、ちゃんと誠意を汲み取らなくてはいけない。
自分が恵まれていることに対して鈍感にはなりたくない。
するとふっと彼は微笑んで、
「準備に数ヶ月かかるから、それまで寝てろ」
と言った。
同時に、私は意識を手放した。
目覚めると私はベッドの上に横たわっていて、傍らには見覚えのない青年がいた。
外見年齢は私より少し上で、整った顔に、金色の瞳と長い金色の髪。
それが誰であるかは、その人間離れした容姿からすぐに見当がついた。
「ジン君」
彼に名前を聞いたら、「特に決まってない。好きに呼べ」というから、
『神』という字に親しみを込めて『ジン君』と呼ぶことにした。
「目覚めたな」
私としては、昼寝から覚めたような気分だけど、
死んで、神に召し上げられて、数ヶ月の空白を経ているはずだった。
「此処は?」
「今日からお前の住処になるマンションだ。契約は済ませてある。
生活用品は一通り設置してあるが、足りないものがあれば言え。
もちろん自分で買って来られるならそれでもかまわない」
私は自室になるであろう部屋を見渡した。
ベッドと机とクローゼットとパソコンはある。でも本棚と碁盤がない。
「お金は?」
「現金と預金通帳を用意した。好きなだけ使え」
「どうやってジン君に連絡したらいい?」
「この部屋の隣が俺の部屋だ。呼ばれたら来てやる」
「……ジン君も此処に住むんだね」
一人暮らしを覚悟していたから、少し拍子抜けしたような気分だ。
「別にずっといるわけじゃない。用事のあるときに呼び出されるだけだ。
一人じゃ、さまざまな不便があるだろう。
マンション契約をするには保護者になっておくのが都合がよかった。
そのために、この外見はお前に似せたんだ」
たしかに、ジン君の外見は整っているわりに、どこかで私に似ていた。
『兄がいたらこんな感じ』を、10倍美化したらこうなるかもしれない。
「ジン君が私の唯一の家族になるんだね。うん、心強い。
でも、その金髪は染めたでもいいけど、その目の色はどうやっても日本人に見えないよ?」
「お前以外には黒目黒髪に見える」
「へえ……」
それには何か理由があるのかもしれなかったけど、面倒だから聞かなかった。
神様の特徴だとしたら、私もジン君には金髪金目に見えるのだろうか。
「今後の予定は決まっているか? 成仏した霊を召喚して憑依させたいと言っていただろう」
「そう。出来る?」
「そいつが死んだのはいつごろだ?」
「1000年前」
さらりと即答すると、ジン君は眉を寄せた。
そこでやっと困難そうだということに気づく。
「……ヘタすりゃ影も形も無いな」
「でも、成仏したのはそんなに昔じゃないよ」
「いったいいつだ?」
答えようとして、ふと気づく。
「わかんない。私、まだ今がいつなのかわかってないから」
「何があればいい?」
「週刊碁、過去一年分」
「ちょっと待ってろ」
ジン君は魔法みたいにぱっと姿を消すのではなく、普通にドアから出て行った。
自分の部屋に行ったのかもしれない。
そこから移動するというなら、中がどうなっているのか少し興味が湧いた。
日付だけならパソコンをつければ済むかもしれないと気づいて、その電源を入れたところでジン君が帰ってきた。
山積みの新聞を三回に分けて部屋に運んでくれる。
「ねえねえ、ジン君の部屋ってどうなってるの?」
「消えたくなかったら入るなよ」
どうやら恐ろしいことが起こるらしい。
ジン君を呼ぶときは外からノックするか叫ぶしかないのだろうか。
単なる脅しとは思えなくて、逆らって何か起こるのも怖いので頷いておいた。
週刊碁の束を手に取ると、すぐに漫画で見たことのある名前がいくつも出てきた。
『塔矢アキラ 王座を防衛』とか『連勝 進藤ヒカル』だとか。
今は2008年で、"進藤ヒカル"が21歳だから、此処は原作完結から6年ほど経ったヒカルの碁の世界ということになる。
成人を越して大人びた顔立ちは、彼らの実力的な成長も物語っていた。
『塔矢アキラ』と『進藤ヒカル』は『若手の双璧』とまで称されていた。
「それで?」
「6年くらい前に成仏した"藤原佐為"っていう幽霊を呼び戻してほしいの」
「……探してみよう。一週間待て。ただし期待はするな」
「生活に必要な環境を整えながら、一週間、期待して待ってるね」
そう言うと、ジン君はため息をついて、また部屋を出て行った。
残された私は、ぼんやりしていても仕方ないから、まずは自分の部屋を探索することにした。
なにが足りないとか、なにが欲しいとか考えながら。
次に部屋を出て、リビングに行き、キッチンを点検する。
廊下を歩き回って気づいたけど、このマンション、広い。綺麗。高い。
ジン君の誠意と思いやりをひしひしと感じるのだ。
一通り見回ったあと、シャワーを浴びて、見覚えのある服に袖を通して外に出かけた。
クローゼットの中には、すべてとはいかないけど、私が持っていた服に似ている服が揃えてあったのだ。
高層階なので、エレベーターに乗っている時間が長い。
一階のセキュリティは万全だった。
外に出ると空気が冷たかった。
風を感じる。服を纏っている感触も。
地に足が着いている。
自分の意志で前に進める。
――生きている。
一人になってしまったけど、悲観ばかりもしていられない。
チャンスを与えられたのだから。
別に平凡に生きられるならそれで良かったのだけど……。
神様なんかになってしまった。
ジン君は神様の義務とか在り方とかそういうことは考えずに、気楽に構えればいいと言った。
見守ってやるから、好きなことをして過ごせと。
どうせ悩み事に突き当たるのだから、それまでは言葉に甘えて、出来るだけ俯かないようにしよう。
死んでしまって、消えることもなくなったから、
それ以上怖いものはないから、
私は感覚が麻痺してしまったのかもしれない。
卒業式と同じで、その瞬間には実感がない。
寂しさも悲しみも喪失感も、じわじわとやってくるのだ。
今は環境を整えるとか、世界を知るとか、やりたいことがたくさんあるから、
とりあえずそれに支えられて過ごすことにしよう。