彼らは涙ぐんだ顔で、しばらくしてどちらともなく「打とう」と頷いた。
ヒカルさんが碁盤を部屋の真ん中に置き、座った。
私はどうしようかな……と思う。
もう佐為の言葉を伝える必要はない。
すっと後ろに下がって場を空けると、二人して不思議そうな顔で見てくる。
「座らないのか?」
「どうしたんですか、玲奈」
「だって、対局するのは佐為でしょう」
「でも私には石が持てませんし……」
佐為は困ったように眉を寄せる。
対局するなら、双方向かい合うのが良いに決まっている。
石を打つのだって、かつてのように白も黒もをヒカルさんが並べることだってできる。
私はもう必要ない。
そう思うと、急に自分がいなくなったような気分になった。
「玲奈、協力してくれないか。
俺は一度、佐為と対等に打ってみたかったんだ」
射抜くような瞳で、ヒカルさんが私を見上げて、はっとした。
そうだ、私がいれば、ヒカルさんは、一人の棋士として佐為と向き合えるんだ。
一人が二人分の石を置くような奇妙なゲームじゃなくて、自分の一手に集中できるんだ。
「私も、玲奈に石を打ってほしいです」
佐為がそう続けたのが、私にはまるで『意志を』、に聞こえた。
あるいはそうなのかもしれない。
彼の意志を紡ぐ役目を、私は望んで、手に入れて、誇らしかったのだった。
「あの…できれば、ですけど」
「ううん、喜んで」
すぐに卑屈になってしまうのは迷惑で、よくないな。
私はまだ寂しいのかもしれないけれど、有意義に過ごすと決めたはずだった。
* * *
清流のような対局の中で、あるとき佐為が私への指示を止めて、熟考し出した。
真剣な雰囲気に、私は振り返ることはせず、盤上で何が起こっているのかを必死で推測しようとする。
ヒカルさんが打った大胆な手は、佐為の予想の外だったということかな。
すると、佐為はおもむろに口を開いた。
「あなたは私の弟子だと名乗った。
私もそれが嬉しかったけれど、
もしかしたらそんなものはとっくに卒業してたのかもしれませんね」
しみじみと、彼はそんなふうに語る。
水を打ったような言葉だった。静寂を響かせる。
「教えを授けるばかりではなく、共に高めあうことができるようになっていたなんて」
顔を上げると、ヒカルさんは佐為を見ていた。
言葉が沁み渡って、心底嬉しそうに表情を緩ませた。
そして誇らしげに笑う。
「当たり前だろ! 俺だってもう本因坊だぜ、本因坊」
「まぁ、だからと言ってまだ私に勝つには早いですが……」
見れば、佐為は扇で口元を隠しながら笑っていた。
「迎え撃ちます。17の三、カカリ」
パチッと、指示の場所に白を打つと、ヒカルさんは悔しそうに歯噛みした。
闘志は静まらない。
そうして、烏鷺の争いは続く。
* * *
検討まで終えると、二人は満足したらしく、次は私と打とうと言ってきた。
そこで、制限時間付きだということを説明して、また次の機会にと約束して、
ヒカルさんに佐為が見えるというまじないを解いた。
目を開けたヒカルさんは、きょろきょろと視界に佐為を探したが、やがて事実を受け止めたようだった。
「今のってさ、俺以外にでもできんの?」
「佐為が見えるようにすることですか。たぶん出来ますよ。
ただ、『誰にでも』は、しませんけれど」
「塔矢アキラや、塔矢先生には?」
その言葉を受けて、佐為を見た。
その望みを受けて、私は頷く。
「わかりました、いいですよ」
私は歴史に名を刻むような棋士たちの、ほんのお手伝いをしましょう。