42.奇跡を起こして

定期的な交流の折に、ヒカルさんに「佐為に会いたいですか」と聞けば、
意図を掴みかねたような困惑した表情が返ってきた。
『すでに再会は果たしたじゃないか』
そう答えようとして、しかしその言葉は宙に舞った。
私は佐為とのつながりであって、そのものじゃない。
そんなこと、ヒカルさんが一番わかってるはずなのだ。

「なんで?」

選ばれたのは、慎重な言葉。
それを聞いてどうする、というわけだ。
叶いもしない望みを口に出せば、むなしさだけが残る。
その辛さを痛いくらいに味わったことがあるからこそ。

「叶えられるかもしれないからです」

私は、佐為を降ろしてくれた霊能力者(ジン君)に、そういう方法を教わったのだ、と説明した。
胡散臭いのは百も承知。前例さえなければ信じれる話ではない。
悪い宗教のほうがよっぽどそれらしいことを言うだろう。
ヒカルさんだって半信半疑の顔をしてる。

「なにはともあれ、試してみてくれませんか」

それでも、私のことを信用はしているらしく、了承してくれた。
もしかしたら叶うかもしれない、という一縷の望みが眩しすぎたのかもしれない。
悪いようには、しないから。



「じゃあ、目を閉じてください」

場所は変わって、ここはヒカルさん宅。
声に意図を乗せて命じれば強制力が生まれる。
それが言霊だ、とジン君は言った。
催眠術みたいなものかな、と私は理解した。
趣味は囲碁、特技は催眠術だなんて、変人と思われても反論できない。

「佐為の姿を思い浮かべられますか」

かつてヒカルさんに佐為が見えたのだとしても、
それはかつて特殊な運命の上にいたからであり、
現在私に憑いた佐為が見えない以上、それはそういう理なのである。
取り憑くというのが見える条件で、この世界における定義ということになる。
ヒカルさんに霊感を与えて、すべての幽霊を見えるようにするとかいうのは、
この世界やヒカルさんの存在に関する明らかな干渉になってしまう。

だから、そうではなくて、
私の『佐為が見える』という事実を、感覚を、認識を、期間限定で共有させる。
そういう形を取れば、少しは負荷が和らぐだろう、とジン君は予測した。
ヒカルさんにとっては一日限りの白昼夢みたいなものだが、記憶はたしかに残る。

「佐為は、今、ここにいます。その事実を私と共有してもらいます。
だから、次に目を開けたときにはヒカルさんにも…。ええと……」

催眠術師になったつもりで嘘くさい言葉を並べるけれど、
どうすればそれが真実になってくれるのかわからない。
命令調にすれば、偉そうで、けれど偉くなんてないのに という思いが相反する。
私の認識を共有するのだから、私が佐為を強く意識しなければいけないのは、わかる。
ただ、言霊―神様の力―を以て人に働きかけるのは難しい。
目を閉じているヒカルさんから感じるプレッシャーが痛い。

催眠術完成のタイミングを測ることができずうろたえている私を、佐為が気遣う。
ずっと一緒にいた彼は、私の平凡さをわかってくれているのだ。

「玲奈、大丈夫ですか」

すると、ヒカルさんの肩がぴくりと反応した。
恐る恐る唇が動いて、その名を紡いだ。

「佐、為?」

私たちは思わず顔を見合わせた。
今度は佐為が、空気に声を震わせる。

「ヒカル? 私の声が、聞こえるのですか」

ああ、と声にならない声で頷いたヒカルさんは、堪えきれずに目を開けた。
佐為が問う。

「私が、見えるのですか」

ヒカルさんは感極まって立ち上がり、佐為に歩み寄った。
『見えるのですか、私の声が聞こえるのですか』
それはまるで時間が巻き戻ったようだと感じたのは、私よりも当人たちだろう。

ふいに、最初に日本棋院を訪ねた私の顔を見たときの、
ヒカルさんのあの落胆した表情を思い出した。
ようやく、ようやく役目を果たした、と。
saiと塔夜行洋氏との対局を見届けたときのような達成感を覚えた。


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