41.今在る一度きりの時間

視界が現実を認識すると共に、夢の残像は徐々に薄れていく。
故郷との決別を思い知って、涙が零れた。
瞼を手で覆う私に、佐為がおろおろと声を掛ける。

「玲奈、どうしたんですか。大丈夫ですか!?」
「……うん。だいじょうぶ」

佐為がいてくれてよかった。
私が勝手に呼び寄せたんだけど、心配してくれる人がいるというのは本当にありがたいことだ。
私の名を呼んでくれる人がいる。声の届く人が。
それは大きな力になって、この場所で生きていこう、という思いが胸に蘇った。
ジン君にも、お礼を言わなくてはいけない。

さっぱりした気持ちで時計を見ると、私が眠っていたのは20分ほどだったとわかる。
長い長い夢だったのに比べ、呆れるほど短いと思った。
数日間寝込んでいたと言われても信じるのに。でも、晩御飯は冷めてしまったかな。

「目覚めたか」

タイミングよく現れた(どこかかから帰ってきたらしい)ジン君は、
ふいに指先でテーブルの空間をツウッとなぞった。
すると、食卓から湯気が立ちのぼる。止まっていた時間が動き出したみたいに。
神様の力なのだとわかったけれど、魔法というよりも手品みたいだった。

「わ、さすが」
「食事にしよう。せっかくお前が作ったんだ」
「――うん」

起き上がって、テーブルにつく。
自分で作ったとはいえ、温かい食事は心に染み渡った。
これが私のリスタートだ。


* * *


「悲しむ姿を見るのは辛くて、私は無性に夏実に謝りたくなった。
でもそれって自己満足だよね、夏実は私に謝ってほしいんじゃない。
私は許してほしいわけじゃない。許してあげたいんだ。
むしろ、自分を責めているあの子に、『もういいよ』って言ってあげられたらよかった」

『ただ謝りたいだなんて』と"あのとき"ジン君を責め立てたのは私なのに、同じだ、と思った。
命を失った事実に戸惑って、ジン君を恨んだあの日を思い出す。
そんな感情がすでに、懐かしいと感じるような過去になってしまった。

「こういう形で、夢に見せることならできなくはないが」
「うん。でも、もうその言葉も必要ないの。
せっかく整理をつけたのに、今更じゃあ混乱させてしまう」

夏実は歩き始めたから、無理に私という存在を繋ぎとめる必要はない。
いつかまた会う日を楽しみにするのは私の勝手だけど、今この手の中にあるもの以上を望むことはない。
むしろ私が許したいのは――
もしも、あのときジン君が慈悲と気まぐれで私の前に現れてくれなければ、
自分が死んだという自覚もないままに、消え失せていたと、想像して、ぞっとした。

「ねえジン君、私はとっくに許しているからね?」

じいっと瞳を見れば、それだけでジン君は私の考えを察してしまう。
そうか、と目を細めて呟いた表情は安堵に満ちて、とても優しかった。


* * *

「そういえば、人の望むものを夢に見せることって、私にもできるのかな」
「内容による」
「佐為の姿を、映像を、ヒカルさんに見せたい」

玲奈、と 声を上げた佐為に対して微笑む。

「だってね、思い描くことと実際に目の当たりにすることって、全然違う。
同じ世界にいるのに、隔たりがあるっていうのがずっと気がかりだった」
「夢ではなく、現実に姿を見せてやることさえも、できなくはない」

できなくはない という、奥歯にものが挟まったような物言いがさっきから気にかかる。
私は何ができるかわからないから、ただ願望を述べるだけ。
現実的なことを考えるのはジン君の役目なのだ。

「条件があるの? それなら、言ってくれなきゃ」
「では、言っておく。
一つの世界に留まるには制限があるという話を、覚えてるか」

最初に世界についての説明を受けたときの話だ。
たしかジン君は二、三年だと言っていた。

「あれには、『普通の人間として暮らすだけなら』という但し書きがつく」
「つまり?」
「お前は生きたいと言った。だから俺はそれを叶えた。
お前が佐為を呼び寄せると決めたのは、その後の話だ」

そう言われてみれば、そうだったかもしれない。
思い込みって怖い。行き当たりばったりな提案ばかりして、叶えてもらっていたから。

「私は『普通の人間として』っていう制約を破った?」
「そんなたいそうなものじゃない。叶えたのは俺だ。
ただ、お前が『人間』というよりも『神』に傾倒するというなら、
それだけ世界への影響も大きく、排除せざるをえない要因になる」

佐為を探してきてくれたのはジン君だけど、召喚したのは私だ。
今度は見えざる者の姿を他の人に見せようとしている。
人間ではありえない。平凡で普通のこととは思えない。

「神様の力を使ってもいいけど、その分だけ、ここに居座れる時間が短くなるってこと?」

たしかに、勝手なことばかりするのは、
他人に縄張りを荒らされるってことで世界の創造主さまにとって面白くないかもしれないけど、
能力があるのにそれを存分に使えないだなんて。

「思った以上に神様って不自由なんだね」
「そもそも一つの世界に長く留まろうと思わないからな。
人間のように暮らすというお前の望みは、神としては稀有なんだ」

そっか、と相槌を打つと、「どうする?」と本題を問われた。
私がこの世界に来てから、九ヶ月。
縮まる期間というのはどれだけだろう。
と、聞くと、「わからない」と言われた。

「正確に数字を計算できるようなことじゃない。二、三年というのは経験的だ」
「そのときが来ればわかるってこと?」「ああ、そうだ」
「そっか。でも一度世界を離れても、同じだけ時間を置けば、また戻って来ることはできるんだよね?」

肯定が返ってきたので、私も頷く。

「ん、了解。わかったから、方法を教えてくれる?」
「いいのか? お前にとって、一つの世界に長く留まることは大切だろう」
「うん。でも、これは必要なことだと思うから」

自分が神様なのか人間なのかという問いは、難しい。
ヒトだった私は死んで、神様になったはずなのだけど、
相変わらず私の認識は、自分が人間だと思っている。
どちらかを選べと言われても困ってしまう。
選ぶ必要は、ないんじゃないかな。

多少の不都合があるからといって、できることをしないのだったら、
佐為とヒカルさんを隔てているモノは私ということになってしまう。

「私は後悔したくないの。
長く細くよりも、充実した日々にすることが大切だから。ね、佐為」


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