38.貴方の隣、私の居場所

千年前、私は絶望の果てに自ら命を手放した。
しかし、不思議なめぐり合わせによって霊体となりながらも現世に留まり、
浅ましくも捨て切れなかった『囲碁を打ちたい』という思いを昇華する機会を与えられた。

最初に私の願いを叶えてくれたのは、虎次郎という子だった。
我侭を聞き入れて、すべて好きなように打たせてくれていた。
喪ったときの悲しみは計り知れない。

失意の後、次に出会ったのがヒカルだった。
彼は、最初、囲碁を知らない子供だったけれど、
さまざまな手段を講じて私に打たせようとしてくれた。
そして、碁の世界に飛び込み、才能を開花させた。

私は、ヒカルの才能を開花させることが役目だったのだと気づいた。
そのために千年を永らえたのだ、と。
知ったときには砂時計の砂はもうほどんど残っていなかった。
ついに天の定めた運命によって終わりを告げられたのだった。

そんな私を救い上げてくれたのが、今 傍にいる玲奈だった。

一見はただの少女としか思えないのに、不思議な性質の子だと思う。
自らの意思で私を現世に呼び出した。話す前から私のことを知っていた。
私に打ちたいかと問うた。
神だと言った。囲碁の神ではないけれど、と。
私と同じように、人としての生を一度終えているのだと言った。

傍にいても、話しても、囲碁を打っていても、やはり普通の少女だ。
親や友人から離れて暮らしていることは寂しいだろうと思う。
ときどき泣きそうな目をすることを知っている。悲しそうに立ち止まることもある。

それでも、できるだけいつも笑顔でいようとしているのがわかる。
無理はしないでほしいけど、碁を打っているときは楽しそうだし、私が勝利したときは一緒に喜んでくれる。

最初は、どうして此処まで私のためにしてくれるのだろうと思っていた。
けれど最近になって、ようやく、
『やりたいことが決まらないから、しばらくの間私の時間をあなたに貸してあげる』
と言われた意味が理解できるようになった。

私の目標を彼女の目標として仮に設定しているのが現在なのだとしたら、
早く玲奈自身のやりたいことが見つかるといいと思う。
……そうしたら私が打つ機会は減るのかもしれないが、それでも。少しくらいは我慢……する、から。
だって、囲碁を打たせてくれるから、玲奈と居たいのではない。それだけが理由なはずがない。
私も力になりたい。少しでも恩を返したい。自己犠牲してほしくない。だから、応援したい。
何も決まらず、彼女の時間が空白となるのならば、私が傍にいることで少しでも埋めたい。励ましていたい。

――けれど、そのときまでは、存分に時間と力を貸してもらっていいだろうか。

まだ知らないことは、話してくれるまで待ちたいと思う。
求められるだけ傍に居て、寄り添って、決して踏み込まず、自分の役割をまっとうする。
それでも、玲奈はきっといつかすべてを教えてくれるから。


今日は土曜日で、ジン殿が夕食を食べに来る日だ。
玲奈はジン殿の訪問をいつも楽しみにしている。
以前はよく外食をしたり、弁当やおかずをスーパーで買ってきていたのだが、
ジン殿が毎週訪れるという約束をしてから、玲奈は料理をすることが増えた。
私は傍にいることはできても味見をしてやることさえできないから、ジン殿の存在に感謝するばかりだ。

ふたりは外見も似ていて、まるで親子や兄妹のようだ、そういうわけではないらしい。
孤独な現状の玲奈が、もっとも心を許している相手なのだ。とても懐いている。
ジン殿も、まるで妹や娘を見るように慈しみの目で彼女を見る。

土曜日に振舞われるのは、必ず一度作ったことがあり、かつ、納得の出来となった料理だ。
平日には試行錯誤を重ねて、失敗した料理を苦い顔で食べていたりするのだが、
その気配を見せずに「美味しい」という称賛に喜んでいるのがとても微笑ましく思う。

「ジン君、いらっしゃい。おかえりなさい」
「ただいま」

指定の時間が近づくと、玲奈はジン殿の部屋の前で待ち伏せした。
待ちきれず、自発的にそうしているのだ。
客を歓迎する言葉と、家族を出迎える言葉の両方に、ジン殿は玲奈が一番喜ぶ言葉を返した。
それによって顔を綻ばせたのはいつのものことだが、今日はそれから何かを期待するようにじっとジン殿を見た。
ジン殿は、その表情を見ただけで全てを察したように、口を開いた。

「頼まれていたことだが」
「夏実のこと!?」
「そうだ。俺なりに手段と人脈を尽くして、必要な映像を集めてきた。見せてやろう」

ぱあっと玲奈の顔が明るくなる。さすがジン君!と喜ぶ。
ずっと親友のことを案じていたのだと言っていたから、よかったですね、と声をかける。うん、と頷いた。
だが、見せてやろう、というのはどういうことなのだろうか。

「心の準備はいいか?」
「いいけど、どうするの?」
「こうするんだ」

ジン殿は、玲奈を覗き込むようにして肩に手を置き、そして一方の手をその額に触れさせた。
ふたりは近しく見つめあっていたかと思うと、突然にふっと玲奈が気を失った。
それをすかさず受け止めるジン殿。
慌てる私を尻目に、玲奈を抱えたままリビングへ歩いていってしまう。

「玲奈はどうしたんですか?」
「懐かしい夢を、見せてやっているんだ」

玲奈をソファに寝かせると、ジン殿は食卓に並べられた料理に何らかのまじないを施したようだった。


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