「それなら、誠意を示そう」
「どうやって? 謝る以外で、だよ?」
生き返らせることはできないとさっき言われた。
他に、死んだ人間を満足させる方法なんてあるのだろうか。
「神に召し上げてやる」
「神って、あなたみたいな?」
「そうだ。俺の力を分けてやる。
神なら、殻となる身体を作って世界に降り立つことができる」
殻となる身体と言われて、ふわふわした白い毛の金目の猫が思い浮かんだ。
多分、私を猫にするなら灰猫か黒猫だ。
人であることを捨ててしまうのは惜しいけど、猫の寿命は短いかもしれないけど、
このまま死んでしまうことを考えたら……。
死ぬのは、怖い。
死んでしまった今は、消えるのが怖い。『私』が終わってしまうことが怖い。
知らないことが怖い。見えないものが怖い。わからないことが怖い。消滅が怖い。
生きたいと願うのは当然の欲求ではないだろうか。
それに、形が違っても、大好きな人たちに会えるなら。
「神様になったら、猫になって元の場所に帰れるの?」
「……猫でなくてもいい。もちろん、猫よりも人の姿の方が力を消耗するが」
「じゃあ」
『そうして』と言おうとした。妥協案だった。
けれど、この神様は人の言葉を遮って続けた。
「ただし、神というのは一つの世界に長く留まることを許されていない。その世界の創造主以外はな。
城の領主は二人要らないし、他人の城で好き勝手してはいけないのと同じ理屈だ。
そして、一つの世界に留まったら、同じだけ間を空けなければ戻ってくることができない」
「……なにが言いたいの」
「お前の場合は生まれてから今まで、16年だな。
16年間、別の場所で時間を潰さなければ元の場所には戻れない」
16年間、私が今まで生きてきた時間。
それは当然気の遠くなるほど長いと感じた。
夏実や部長と出会ってたかだか一年半。
年月はどれくらい人を変えるのだろう。
でも、やっぱり消えることは嫌で、
絶望から救い上げられるための綱は自分で掴まなくてはいけないと思った。
「時間を潰すって、どこで?」
「俺のように、さまざまな世界を回ればいい」
「私にとっての異世界ってこと?」
「そうだ。普通の人間として暮らすだけなら、一つの世界に留まれる期間は2,3年というところか」
「2、3年……」
それは中学や高校生活と同じくらいの期間なのだけど、短い、と感じてしまったのは仕方ないと思う。
俗にいう『異世界』がどんなところなのかわからないけど、
ファンタジーを参考にするなら、常識や言語さえ違ってしまう未知の土地だ。
なにもわからない、知り合いが誰もいないようなところで、一人で生きる。慣れるにはきっと時間が掛かる。
やっと居場所を築けても、そのころには移動しなくてはいけない。失うとわかっている場所で、なにを築けるだろう。
出会いと別れを繰り返して、16年間待っても、元の世界にいられるのは2,3年だけ。
もしかしたら私のことなんて忘れているかもしれない世界。
「別に、2,3年で一度移住して、期間を空ければ、またしばらくして同じ場所に戻ってくることもできる。
時間は無限にあるし、その間も別の場所にいるのだから、『待つ』期間なんて苦痛に感じなくなる」
「待って、まさか私不老不死になるの?」
『時間は無限にある』という言葉が引っかかった。
"神に召し上げる"という言葉は響きだけでもただ事じゃないのだけど、
彼があまりにもあっさりというものだからその重要性に気づいていなかった。
彼も、それが私にとって当然ではないということを忘れていたようだった。
「まあ、不老不死が嫌なら、適当に老いさせることも、好きなときに俺が引導を渡してやることもできる。
力というのは年月に比例するし、出来ることは次第に増えるだろう」
「……そう」
だとすると、旅行の機会を与えられているようなものかもしれない。
もしくはホームステイ、留学。
忘れた頃に元の場所に帰る。
何もないけど、失った分だけ探す旅。
「では最初の行き先だが……」
「具体的に、どんな世界があるの?」
「わかりやすい手がかりとしては物語、つまりフィクションだな。
"物語"には無数に存在する世界と世界をつなぐ役割がある。
この世界ではフィクションでも、別の世界では現実、というふうに。
出版されるほど世間に出回っている物語ならばたいてい形が定まっている」
「……つまり、小説とか漫画の世界とかに行けちゃうってこと?」
「平たくいえばそういうことだ」
小説や漫画、と言われてもぴんとこない。
マイブーム読書の時期に言ってくれれば、喜んで飛びついただろうに。
残念ながら、今のマイブームは読書じゃなくて囲碁だ。
うーんと唸りながらそんなことをぼやくと、彼はこう言った。
「お前、囲碁を打つのか」
「そうよ。囲碁部の副部長なんだから」
「碁打ちなら、碁の神が治める世界がいいだろう」
「囲碁の神様? それって神の一手とかの?」
そこまで考えて、当然、とある漫画の名前が浮かんだんだけど、
じゃあそこでなにをするのかと聞かれても、別にどんな世界でも、打とうと思えば囲碁は打てる。
たとえ囲碁がない世界でも、普及させるという方法もある。
わざわざその世界である必要はあるだろうか。
『ヒカルの碁』は好きだったけど、登場人物をアイドルのように崇めているわけではなかった。
死んで、まっさらになって、今を捨てて、することがなくなったのだから、
囲碁くらいしかすることはないのだけど、それだけというのも少し寂しい。打ちたくも打てなかった棋士もいたということを考えると心が痛むけど。
1000年の時を長らえて、神の一手を極めるために。
――藤原佐為は囲碁を打ちたくても打てなかったのに。
「ああ、それなら……」
「どうした?」
「ねえ、あなたは『魂を導くこともある』と言ったけど、成仏した霊を呼び戻すことはできる?
生き返らせることはできなくても、新しい私の身体に憑けばいいんだけど」
目標がないのにただ生きたいのなら、
目標が見つかるまで、時間と身体を貸してあげればいいのだ。
その世界にいられるのはたかが2,3年かもしれないけど、
価値のある時間に出来るかもしれない。
「なんだ、早速守護霊が欲しいのか?」
「そんな感じかな? ところで、私が生活するにあたっての生活費とかは?」
「生活環境は整えてやる。それくらいはな」
「そう。それなら決めた」
息を吸い込んで、吐き出す。
「『ヒカルの碁』の世界がいい」
「了解した」