「半目……勝った!」
もう一度指でカウントしてみる。
うん、間違いない。勝ってる勝ってる!
なんか、久しぶりだ……。
「おお、河合さんに勝つとは、古戸さん強いねえ」
「最初に手加減されてたせいもありますよ」
その手加減は、私が対局前に弱い弱いと繰り返していたせいだろう。
それなのに勝っちゃうなんて反則っぽいとも思う。
でも謙遜したくなるのもしかたなかった。
だって、生きているときは部活が中心で、ネット碁ならあるけど、大人と面と向かって対局したことはなかった。
現在では、佐為かヒカルさんに打ってもらうけど、指導碁だろうと、この二人に私が勝つなんてことはない。
『勝たせてもらう』なんてことがあったらそれはそれで不満が残るからだ。
つまり、勝つ見込みのある対局というの自体が久しぶりだった。
だから、最初は対等な勝負の感覚が思い出せなかったくらいだ。
いつもは何目差に縮められるかという、ある意味では謙虚な目標だったのだから。
「でも、勝ったもん勝ちですね」
ふふふ、と気持ち悪い笑みがこみ上げる。
真っ向から挑んで、勝った。勝利の喜びがふつふつと湧き上がってきた。
なつかしい。そうだ、最期に部長に勝ったときの興奮にも似ている。
「やりましたね、玲奈」
佐為を見ると、やっぱり顔を綻ばせていて自分のことのように喜んでくれているのがわかった。
うん、と声に出すかわりに小さく頷く。
ヒカルさんも盤面を覗きにきた。
「おおー、玲奈やったじゃん。ざまーみろ河合さん」
「うるせえ進藤! ……途中から調子が乗ってきたって感じだったな。くっそ、ここでつけこまれた」
「あ、そこは自分でもうまくいって嬉しかったです」
勝負の感覚としては部活のときに似ていたけれど、
途中で思いつく手は昔よりも冴えている!と自覚できた。
やっぱり、指導碁を打ってもらったり、saiとプロの棋士との対局をリアルタイムで観戦したり、
本屋で棋譜や打ち方の本を買ってきて一緒に勉強したりしているせいで、少しは強くなったのかな。
もちろん、まぐれの割合だって多分にあると思うけど。
そんなふうに囲碁中心の生活をしていたのに、今まで私は勝利の喜びを遠くに押しやっていたんだなあ。
「さすが進藤君の知り合いだ」
「バカヤロー、それは褒め言葉じゃねーよ。プロと比べんな」
「そりゃそうだな」
「そうだよ! 玲奈とはそういう知り合いじゃないって言っただろ?」
「ああ、ごめんね」
何気ない発言を否定してくれることが嬉しかった。
なんか、こういうのっていいな。こういう雰囲気。
私は私。身近に佐為がいても、saiがいても、ヒカルさんがいても、私は私。
ヒカルさんが約束どおり私を碁会所に連れてきて簡単に紹介をしてくれてから、
すぐに別の人と対局を始めてしまった理由がわかった気がする。
最初はヒカルさんと打とうとか普通に思ってた。でも、それじゃあいつもと変わらない。
知らない人と話すのだって、ヒカルさんを仲介にしてたんじゃ駄目だ。ここを自分の居場所にしたいのなら。
私が私として、ここの人たちとちゃんと会話するのには必要なことだったんだ。
みんないい人でよかった。少し緊張したけど、私にとっては完全な見ず知らずではないから、親近感もある。
「気にしませんよー。お世辞は嬉しいし、打つの楽しいです」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。女の子がいると場が華やぐし、ぜひまたおいで」
「はい!」
落ち込んでいたのが嘘みたいに世界が開けた。
やっぱり囲碁は楽しい。私は、囲碁が好きだ。
今日は帰りにネットカフェにも寄って、『私』としてネット碁で対局しよう。家に帰ってやらないのは、相変わらずsaiを押しのけているという罪悪感がありそうだからだ。
だって、ネットって始めたら歯止めが利かないでしょう。占領しちゃうでしょう。自信あるよ。
ほら、お金は多すぎるくらいもらってるから心配ないし、ネットカフェって少しの贅沢だ。ジュースも飲めるし。
帰ったらsaiの仲介者をやるから、今この時間は私のものだ。
「よーし、もう一局だ!」
「今度は手加減なしですね」
夏実のことはジン君に頼んだ。私には待つことしかできない。
だから、私は私にできることをして、歩き出そう。