「じゃあ、質問だけど、ジン君は、ど、うして、ここにいてくれないの?
呼べ、って、言われた、って、遠慮して、頻、繁、に、呼んだり、出来ないよ。
来てくれれば、いいのに。っていうか、部屋があるんだから、いてくれれば、いいのに」
私は、押し留めていた我侭な質問をひとつだけ解放した。
予想外の質問だったらしく、ジン君は軽く目を見張った。
けれど、すぐに慈しむような穏やかな表情になって、教えてくれた。
ああ、なんだ。聞いてよかったのか。
「一つの世界に二人の神はいらない、という話はしただろう。
三人の神はもっといらない。それだけだ」
かつて、言われたことも思い出して、反芻する。
『ただし、神というのは一つの世界に長く留まることを許されていない。その世界の創造主以外はな。
城の領主は二人要らないし、他人の城で好き勝手してはいけないのと同じ理屈だ。
そして、一つの世界に留まったら、同じだけ間を空けなければ戻ってくることができない』
それらを総合すると、たしかに。と思えなくもなかった。
でも、それならば。
「私がいる世界にジン君もいると、不都合があるってこと?」
「そうだな。俺はこれでも力が強い。もともと一つの世界には長く留まれないんだ」
「どれくらいなら来られる?」
「今日くらいのんびりするなら、約束していいのはだいたい週に一度だな」
「じゃあ、土曜日は一緒にご飯食べよう」
「いいだろう」
一つ約束をして、ようやく感情が収まった。しゃっくりが鎮まり、涙も止まってきた。
質問すべてに丁寧に返答されるというのは思ったより安心感を得られるものだった。
深呼吸をして、今度は佐為に向き直った。
じっと顔を見ると、心配そうな視線を返された。酷い泣き顔をしているのだと思い出す。
心配してくれる人に何もかも隠していては申し訳ない。
自分の中に押し留めて、溜めるだけでは、いつか溢れたり壊れたりするだけだ。
「ねえ、ジン君。佐為にはどこまで話していいの?」
「お前が決めればいい。お前の守護霊なのだから」
「世界のきまりとかはないの?」
「この世界に幽霊を縛る理はない。
そもそも佐為は囲碁の神の思し召しによる例外的な存在だったんだ」
「じゃあ、秘密にすることなかったんだ」
拍子抜けした気分になりながら、単に自分が張り詰めていたのだということを知った。
けれど、話さない道を選んでいたんだとも思う。
自覚しなければ話すことはできないから、隠していたほうが楽だった。
佐為は、私に自分を押し殺してほしくないと言った。いつでも待っていてくれたのに。
最初から、フェアじゃない関係だった。
私は知っていて、佐為は知らなくて、私は勝手に落ち込んで、佐為が心配してくれるという。
自分勝手なエゴをひけらかすのは怖いけど、偏った天秤を対等に近づけたいと願うから。
それなら、私の話をしよう。
上手く話せるかどうかわからないけど。
「もうわかっているかもしれないけど、私は神様でも、つい最近まで人間だったんだよ」
「はい」
佐為が頷いて話を聞いてくれるから、私の口はだんだん滑らかになる。
それこそ、溜まっていた感情を吐き出すみたいに。
「ただの、高校生だったの。どこにでもいる、平凡で、少し囲碁が好きなだけの高校生。
生きていたの。でも、死んでしまった。そういう意味では佐為と同じだね。
でも、幽霊じゃなくて神様になったのは、死んでしまったのが半分くらいジン君のせいだから」
その割合にはちょっと議論の余地があるけれど、とりあえず痛み分けってことに留めておく。
「生きたいと言ったらジン君は私を神様にしてくれた。でも、元の場所には戻れなかった。
神様は同じ世界に長く留まれないんだって。元の世界に戻るにはあと16年待たないといけないんだって。
私は生きたいと願ったけど、突然いろんなものを失って、新しい環境でどういうふうに生きたいかっていう理想はなかったのね。
だから、あなたを呼んだの」
我ながら、省略した部分が多くて親切ではない説明の仕方だ。
大まかな流れだけでもわかってもらえればいい。
「どうして私を?」
「私には目的がなかった。あなたには神の一手を極めるという目的がある。
私には時間が有り余っている。あなたには囲碁を打つ手段がなかった。
だから、私は佐為に私の目的になってほしかったんだよ」
saiの仲介役をすることは、佐為のためというよりもむしろ私のためだ。
だから私は感謝される資格がない。勝手さを責めてもらったっていい。
「玲奈は、なぜ私のことを知っていたのですか?」
「saiが有名だからだよ。ってことにしておいて」
漫画で知ったのよ、と明言するのはあまりに軽々しい。
既に佐為は紙の上の人物ではないのだ。
それに、そもそも佐為は漫画ってものに馴染みがなさそうで、説明はさらに厄介だ。
おそらく佐為は『世界』という言葉にもあまりぴんときていないんだろうな。
だからすべてを話すつもりでいながら、最後に隠し事を残した。
それは仕方ないことだって割り切った。そのほうが良い、って。
ひとつ割り切ったら、肩の荷が下りた。
説明しながら気づいたのだ。私と佐為の関係は案外わかりやすい。
利害関係の一致。どちらが負い目を感じる必要もない。
「これから、ときどき玲奈のことを聞いてもいいですか?」
「うん。そうだね、話をしよう。こうやって話すことは大切だとわかったから。ジン君も」
自然に笑顔になれた。
そのとき、ごちそうさま、とジン君が手を合わせた。
お皿の上は綺麗に空になっていた。