23.音に変えて、形に変える

対局の結果は佐為の三目半勝ち。
前とは違う、少し悔しそうなヒカルさんの表情が印象的だった。
勝って安心したみたいな佐為はちょっと自慢で、接戦だった証だ。
私は話題を探した。

「そういえば、塔矢アキラさんに佐為のことを話したんですよね?」
「ああ、うん」
「『現在』のことについてどのくらい話したのか教えてもらってもいいですか?」

私も無関係とは言えない情報だから、知っておくに越したことはない。
ヒカルさんに会いにいく拍子に遭遇してしまうかもしれないから、心構えってものがある。
それに、もしも条件が揃えば、できることがある。

そう思って尋ねたのだけど、ヒカルさんは何か後ろめたいことがあるのか、苦い顔をした。

「あー……」
「どうしたんですか?」
「嘘、はダメだよな。 悪い、佐為が今、玲奈に憑いているってバレた」
「……そうですか」

少しは予想していた。私からすれば、ヒカルさんは必要以上に焦っていた。
たしか、『私について明かされると困る』みたいなことを言ったから、そのことを気にしているのだろう。
そりゃあ、広まりすぎることは困るけど、そもそもヒカルさんに与えている情報も十分に制限されたものであって、
それが『塔矢アキラ』に伝わるくらいならあまり変わらないのかな、と思う。口が堅そうだから。
まあ、それ以上広がらないように牽制は必要だけれど。

バレた、という不本意そうな言い方に、何があったのだろう? と首を傾げる。
すると、言い訳をするみたいに説明が続けられた。

「玲奈が棋院に来たの、アイツ見てたんだよ。
変なとこで勘が鋭いやつでさ……」
「ああ、それなら私に否がありますね」

言葉を選んでいたつもりでも、場所が場所だけに人目を憚れなかったのはたしかだ。
プロ棋士であるヒカルさんと接触するためにはあそこしかないと思ったのだけど。

「でも、それなら『私』が直接saiとして対局できますね」

ヒカルさんは目を見開いた。
佐為も驚いている。
私は目の前の碁盤を指でなぞった。

「ネット碁でも一度対局しましたけど、やっぱり碁盤っていいなって思うんです。
たまにはこういうのも必要ですよね。私じゃ力不足だし、もちろんヒカルさんの存在はありがたいけど、
直接対局できる相手が複数いるっていうのは大事なことじゃないかと思います」
「玲奈は、佐為として碁会所とかで打ったりしないのか?」
「佐為くらい強かったらすぐ有名になっちゃうじゃないですか。ただでさえ世間ではsaiが騒がれているのに。
――ね、佐為。どう?」

「私は……
――それも、懐かしいですね」

それも懐かしいって言ってますって言うと、ヒカルさんは笑った。

「それ、本人に言ったら怒るぜ。
懐かしがるために打つんじゃない、勝つために打つんだってな」

ヒカルさんは似てるのかどうかわからない声真似をしたから、私もつられて笑ってしまった。

「じゃあ、都合の良い日を聞いておいてもらえますか?
こちらはまだ予約の入っていない日か、土日ならいつでも開いているので。
ああ、でも……」

「玲奈ってさ」

付け加えて言おうとすると、ヒカルさんの声に遮られた。
すぐに、ごめん、と断りを入れられた。
続きを話して良いみたいだったので、続ける。

「来週には大事な対局が入ってるので、新しいことをするのはそれからでもいいですよね」

大事な対局、というのはもちろん塔矢行洋氏との対決だった。
もうすぐそこまで迫っている。

意見は賛成されたので、今度はヒカルさんが言いかけたことを尋ねた。


「玲奈って、学校行ってるのか?」
「え……」

このタイミングとしてはかなり予想外の質問だった。
今更。だけど、あたり前の質問でもあった。
saiが一日のほとんどを対局に費やしているなんて周知の事実なのだから。

「あ、ダメなら答えなくてもいいんだ」
「行ってませんよ」

見た目高校生ということを考えれば、複雑な事情がありそうなものだけど、
たしかにある意味で複雑な事情があるのだけど、
私の知識ではヒカルさんも高校に行っていないはずだから、
世間一般の常識よりは色眼鏡をかけないで見てもらえるだろう。
私自身は、ごく普通の高校に通うごく普通の女子高生だったんだけど、ね。

はっきり告げると、ヒカルさんはそれ以上どう追及していいのかわからないみたいだった。
追及してくれないことが一番いいんだけど、止めようとは思わない。
秘密が多いっていうのは苦しいことだった。少しでも譲歩したいと思うのだ。

「玲奈も碁を打つんだよな?」
「どうして?」
「初心者にしては打ち方が綺麗だから。俺なんて、昔は酷かったからさ。
saiのことを調べてたのだって、囲碁に興味があるからだろ?」

打ち方を褒められたことは嬉しかった。
様になってきていたのなら、それは先輩のおかげだった。
小さい頃から打ちなれているだけあって、腕以上に上手く見える打ち方をする人だったから。

「はい。未熟者ですけどね」
「普段どこで打ってるんだ?」

それはたぶん純粋な質問だったのだけど、今の私には酷な質問だったかもしれない。
それでも、隠さなくていいことは隠したくなかったから、当たり障りなく答えた。

「今は、あんまり打ちませんね。
それまでは部活の先輩に教わっていて、碁会所には行ったことがなくて」
「ネット碁は?」
「前はよくやってたんですけどね、今は私がネット碁をやってる時間なんて勿体無くて。
そんな暇があるなら、時間をsaiのほうに使いたいんです」

saiを押しのけて私が対局したって見合う価値はない。
世界にも望まれていない。そんな勇気はない。

「玲奈は打ちたいと思わないのか?」

言葉が胸を貫いた気がした。


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