18.繋がる星

いつ来ても大きな家だと感心しながら、ヒカルは塔矢邸の廊下を歩いていた。
親しみのない日本家屋に緊張していた時期もあったけれど、今では勝手知ったる他人の家だ。
そこにもやはり時の流れを感じたりする。
それでも、今更表情が硬いのは、襖の向こうにかつて名人と呼ばれた人がいるからだろうか。

「失礼します」

いや、それだけではない。
ヒカルは、この場所に招かれて塔矢行洋氏と打ったことも何度かあった。
盤上ではアキラ同様、一人前の棋士として扱われる。
厳かな雰囲気も、障子に畳の部屋に正座することも、いつもはここまで彼を緊張させない。
つまりは恐怖ではない。歓喜に似た興奮だ。

「入りたまえ」

出来るだけ静かに障子を開けると、塔矢行洋は正座してヒカルを待ち構えていた。
ヒカルは気を引き締めなおす。
そして若手らしく深く頭を下げた。

「お久しぶりです」
「ああ、前にあったのは冬になるかな。長く家を空けているから」
「もう此処はアキラは一人暮らしみたいなものですね」

塔矢行洋は、プロを引退後、囲碁界から身を引いたというわけではなく、しがらみが無くなったと言って、
アマチュアの大会や国際棋戦などの大会に、むしろ積極的に参加した。
当然、その絶対的な実力をスポンサーが黙って見ているはずもなく、一般人に戻ったわけでは絶対にないのだが、
それでも、伸び盛りな有力な若手チームに混ざって試合をするのは、
以前――saiと対局する前の――塔矢行洋には考えられないことだった。

ヒカルは、塔矢行洋に倣ってその場に正座した。
真正面に座ることで、さらに威厳に圧倒された。

「――長かった。"彼"が私の前に現れてから、もう六年になる」
「ええ」
「あれ以来、彼は二度と現れなかった。君に聞いても肯定的な返事はない。
だが、やっとその時が来たと思っていいのだろうか」

『時が満ちた』という言い回しをしたアキラのことを考えて、ヒカルは、二人に血の繋がりを感じた。
無言の催促を受けるたびに、ずっと申し訳なくて、心苦しかった。
やっと沈黙以外の答えが出せる。ヒカルは、しっかりと頷いた。

「ぜひ、saiと再戦を」
「はい。もちろんです。今まで叶えられなくてすみませんでした」

六年といえば、かつてヒカルが中学校の囲碁部の大会から、プロになって再びアキラの前に座るまでの年月の、倍だ。
その日々を、一歩一歩、一日一日、一局一局、生きてきた。
けっして短いとはいえない。語りつくせないほどいろんなことがあった。

塔矢行洋も、saiがもうこの世にいないことに気づいていたのではないかと思う。
ただ、それを口に出しはせず、碁打ちとしての人生のあり方を示すかのように、数え切れない名棋譜を生み出してきた。

「この六年間、何度も碁盤の前に彼が座ることを考えた。
私は信じていたよ。高みを目指し続ければ、いずれまた彼と再戦できるだろうと。
なぜなら彼は私と同じ道を歩む者なのだから。
再び向かい合うとき、神の一手に少しでも近づきたい。そう思って、腕を磨いてきた。
その思いがやっと果たせる。ありがとう、進藤君」

頭を下げた塔矢行洋に、ヒカルは慌てた。

「お礼なら……、いえ、伝えておきますね」

言葉を直したのは、感謝を伝えるべき人物に会わせるわけにはいかないと思ったからだった。
塔矢行洋は、そんなヒカルの不審な態度をけっして追及したりしない。
秘密を持っていることは遥か昔から了解されたことで、saiの正体を問いたださないという約束は律儀に守られていた。

それから、詳細の日程を相談する。
玲奈は一ヶ月以上先である分にはいつでもいいと言っていた。
慌てる必要はないのだと説明する。むしろゆとりがあったほうが心を構えて臨めると。
だから、中国のリーグ戦終了に合わせて、約三ヵ月後に設定された。
saiにとってもこんなに遠い予約は初めてだろう。

そして、それは本因坊戦第7局の二日後の予定だった。


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