「佐為! これ見て!」
水曜日に、やっと今週の週刊碁を見て、驚いた。
『進藤六段』がインタビューで『sai』の弟子であることを明かしていたからだ。
「ヒカルが? 何故?」
その疑問は私にもあった。
どうして『今』なのだろう、と。
けれど、すぐに『今だからこそ』だと知った。
「佐為に、打たせてあげるためだわ……」
私は、記事を読んで呆然と呟いた。
その決意がわかったからである。
ヒカルさんは、『出来ることはないか』と聞いた。
これが見つけた答えらしいと思ったのだ。
「これまで隠していたことを明かすというのは勇気がいることのはずだよね。
そして、当然言及を受けるはず。それでも、saiの代弁者になるつもりなんだ……」
すごいことだと思った。
私は、この世界では表に出るつもりはなく、佐為と一緒にひっそり暮らそうと思っているので、
saiの謎の部分は変わらない予定だった。
たしかに不自由な面もある。姿を隠しての活動には限界があるのだ。
saiはあんなに強いのに、ネット碁にシードなんて存在しない。
膨大な数の挑戦者がいる中で、強い打ち手との対局を選ぶのは難しかった。
一方、プロの世界では一流の碁打ちたちが壮絶な戦いを繰り広げている。
佐為は、その落差をどう受け止めているのだろう。
強くなりたいと誰よりも望んでいるのに。
ヒカルさんが、それを叶えてくれる。
「つまり……、どういうことですか?」
「佐為が、プロと対局できるようになるってことだよ」
「えっ!本当ですか!?」
佐為は子供のように目を輝かせた。
No.なんて言えない。私だって叶えてあげたい。
「とにかく、ヒカルさんに連絡してみよう」
そう言ったところで、タイミングよく携帯電話が着信を知らせた。
私の番号を知っているのはジン君とヒカルさんだけである。
ジン君がわざわざ電話してくる状況が思いつかないから、消去法でも、そうじゃなくてもヒカルさんだろう。
「もしもし!?」
「玲奈? えーっと、週刊碁、見た?」
「見ました」
「勝手なことして、悪いな」
「私は別に。大変なのはヒカルさんだと思いますから」
ヒカルさんは電話の向こうで苦笑した。
どうやら図星らしい。すでに大変な思いをしたのだろう。
それが、『sai』の重み。
「ああ、それで、話と――渡したいものがあるんだ」
「わかりました。じゃあ、明日、この前のファミレスで待ってます」
「了解」
「…………」
予定は簡単に決まってしまった。
基本的に、私たちは知り合って間もないので、とくに電話だと、会話が続きづらいのだった。
けれど、用件だけで切ってしまうというのも気まずいから、沈黙が続いた。
しばらくして、再びヒカルさんの声が電話から流れた。
「あのさ、佐為も週刊碁見た?」
「見てますよ」
「なんか言ってた?」
「喜んでますけど……どうしてですか?」
「いや、なんとなく。そうか、それならいいんだ」
「ではまた明日」
「楽しみにしとけって伝えて」
「わかりました。おやすみなさい」
ヒカルさんの『渡したいもの』がなんなのかは想像できなかった。
けれど、事態はいい方向に向かうに違いない。味方が増えるということ。
その日は、もう一局だけネット碁を打って、早々に眠りについた。
「玲奈! 悪い、待った?」
早めにファミレスについて、佐為と一緒に定石の本を読んでいると、ヒカルさんが現れた。
私は暇人、向こうはプロで忙しいのはわかっているし、佐為もいるから退屈していなかった。
だから手を合わせている人に、「大丈夫です」と言った。
ヒカルさんは私の前に座って、アイスティーを注文した。
それから、鞄から紙の束を取り出し、差し出してくる。
「これ、なんですか?」
「saiと対局したがってる人の、リスト」
私たち――つまり、私と佐為は、それを聞いて唖然とした。
なぜなら、リストと言われた人名の書かれた紙は、一枚や二枚じゃなかったのだから。
「週刊碁が発行されてから、いろんな人に問い詰められたんだよなー。
面白いことに、最後に言うことは全員一緒だ。『saiと打たせろ』って。
全部引き受けてきちゃったけど、いい? 佐為」
「もちろんですっ」
涙を流さんばかりに、佐為は何度も首を縦に振った。
その様子をヒカルさんに伝えると、佐為らしいと言って微笑した。
「外国人とかアマもいるんだぜ。棋院に問い合わせが殺到したらしくてさ、怒られちゃったよ。
実力を証明するために、アマチュア国際棋戦の賞状のコピー、ファックスで送ってきた人もいるって」
「すごい、ですね」
私は呆けてそれしか言えなかった。
リストには、名前の他に簡単な備考事項も書いてあった。
プロ何段とか、何とか大会優勝とか。
「対局したいやつが決まったら、日時も指定して教えてくれ。
日本棋院がホームページで告知してくれるらしいから」
「……本当に、凄いことになってますね」
「まあ、ここ数日は大変だったけど。
でも、いいんだ。佐為に打たせてやれるから。
俺はお前の代わりに世界を見てきたんだから、任せとけ。って伝えてくれる?」
「聞こえてますよ。――頼もしいって言ってます」
ヒカルさんは、私の視線のある方向を察して、そこに笑顔を向けた。
晴れ晴れとしているように思えた。
それから、私を見る。
「ところで、お願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「塔矢アキラって知ってる? そいつに、俺と佐為のことを話したいんだ」
「そうですか。それで、私は何をすればいいんですか?」
「何を、っていうか、話していいのか?」
ヒカルさんの虚を突かれたような表情に首を傾げるけど、すぐにその理由に思い至った。
「たしかに私は、私について明かさないし、明かされることも困るけれど、
それはあくまで『私』に関することであって、あなたの過去を縛ろうとするわけじゃないんです」
「……つまり、話していいってことか?」
「私との関連がない部分にいたってはかまいません。――佐為もいいよね?」
「ええ、ヒカルが決めたのであれば」
「佐為もこう言っているので」
「どう言ってるんだ?」
我ながらコントのようなミスをしてしまったので、改めて佐為の言葉を復唱する。
それを聞いて、ヒカルさんは、また新たな決意を固めた。