13.迷わずに、貴方だけを目指して

翌週、ヒカルは日本棋院を訪れた。
一方的に打ち切ってしまった取材の続きを受けるためである。

一通りの謝罪や挨拶を済ませた後で、案の定あの少女、玲奈について問われた。
記者にもあの状況を見られていたのだから当然かもしれないが、
先日、和谷やアキラにさんざん問いただされた後だったので、少し疲れを感じた。
誤魔化そうとすると、記者は勝手に野暮な勘違いをしてくれたので助かった。
面倒なので否定はしない。

それに比べて、アキラを撒くのは、かなり厄介だったと思い出す。
一階まで追いかけてきていたらしく、「知り合いのはずなのに自己紹介をしていた」とか、
「藤原と名乗っていなかった」とか、かなり深いところまで追求された。
こういうときのアキラは目的を果たすためになりふりかまわないからタチが悪い。
盗み聞きしてたのかよ、と責めてみても怯むことなく、「それはそれだ。今は質問に答えろ」と宜った。
ヒカルはそのとき急いでいたので、玲奈との間に『藤原』という名前の共通の知り合いがいるのだとだけ説明した。
今日アキラは地方に行っているのでここにはいないが、次に会うときが怖い。

棋院の前で話をしてしまわずに、あえて移動することを提案した玲奈の気配りの重要さを思い知った。
年下だというのに、やけにしっかりした少女である。
『何者なんだろう?』と思わないではない。
見かけは平凡な女子高生のような感じだけど、雰囲気が浮世離れしていて、掴み所がない。
ヒカルは高校に行っていないが、少なくとも高校に通っていた頃の幼馴染はあんなふうではなかった。
それとも、そもそも高校には行っていないのだろうか。彼女ならありうるかもしれない。

幽霊なんて、佐為にしか会ったことがないから、霊能者がどうとかいう話はよくわからない。
もともとヒカルも幽霊を信じていない子供だったのだから。
けれど、とにかく佐為は『死んでいた』だけでなく、『成仏していた』のだ。たしかにそう言っていた。
それを呼び出すことなんてできるのだろうか?

疑問はいくらでも浮かぶが、最初に追及しないことを約束させられたので、聞くことはできない。
アキラも昔こんな気持ちだったのだろうか。
宙に浮いた疑問を持ち続ける苦しみをようやく知った。
『目に見える事実がすべてだ』と割り切ったアキラを尊敬する。
どんなに自分に言い聞かせて言及したいのを抑えても、気になるものは気になる。


アキラに対して、六年もその状態を放置しているのだと思うと、申し訳ない。
昔、『いつか話す』と言ったはずなのに、
すべてを説明するにはタイミングが難しくて、何から話せばいいかわからなくて、結局約束を破り続けている。

―― もしかしたら恐れていたのかもしれない。
せっかく対等に渡り合えるようになったライバルの目が、自分から逸れてしまうことを。
彼はもともと佐為のことを追っていたのだから。
佐為の存在は自分の中にあればいいと思っていた。

( ごめんな、今すべてを話してやりたいけど、もう俺だけの秘密じゃなくなったから )

あの頃から変わったのは呼び方だけではなくなった。
「そういえばずいぶん前に騒がれた、ネット碁のsaiが復活したんだってね」
「ええ」

記者は雑談的にその話題を出してきた。
もちろんそれをヒカルが知らないわけはない。

本人は知らないだろうが、水面下で騒がれていただけのsaiの存在が、何年か前に大きく取り上げられた。
なんといっても、塔矢行洋に勝利したというインパクトが強い。あの一局の棋譜に目を通した棋士は多いだろう。
塔矢行洋はその直後にプロを引退し、碁打ちとしての在り方を変えたのだ。
調べれば調べるほど浮き彫りになる『謎』と『強さ』。
様々な噂や憶測が飛び交い、今や囲碁界の都市伝説と化していた。

そのsaiが今になって復活したというのだから、再び騒がれないはずはなかった。
日を追うごとに波紋は広がる。
二日前に出た週刊碁でも早速記事になっていた。
本当かどうか知らないが、すでにsaiと対局するのは宝くじを当てるような確率だそうだ。
そんなこと、本人は意識してないんだろうなと思う。

「進藤君もsaiに関心ある? というか、ネット碁はやるんだっけ?」
「ネット碁は友達がやるから、まあときどき。でもsaiのことは昔から知ってますよ」
「昔? っていうと、saiが現れたっていう最初の一ヶ月?
えーっと、進藤君はその頃、まだ院生になってないけど、もしかしてsaiと対局したことがあったりする?」

記者はヒカルの経歴が書いてあるらしい資料に目を通しながらいう。
ヒカルは心を決めて息を吸い込んだ。

「っていうか、俺に囲碁を教えてくれたのは佐為 ――『sai』だから」
「へ?」

記者がヒカルを見ると、彼は緊張の色を織り交ぜながら、まっすぐな迷いのない目をしていた。
記者はただ唖然とする。
saiの正体についても噂や憶測が飛び交っているが、何一つ実体が掴めない、はずだった。
もし目の前にsaiの知り合いがいるとしたら、それはとんでもないことなのだ。

「ええーっと、……詳しく聞かせてもらってもいい?」


佐為、――どれだけ探したと思ってる?

姿を見ることは出来なくなったみたいだけど、
お前の碁は変わらずにそこにあったから安心した。
六年間で、俺の碁はすでにお前から離れてしまったから。

お前がいなくなってから、
俺が神の一手を極めようとか、受け継いでいくとか、いろいろ考えていた。
神の一手を目指す思いは変わってないけど、今度は一緒に追い求められるだろうか。


佐為がいなくなってから、なにもしてやれなかったことを激しく悔やんだ。
今度は同じ過ちを繰り返さないように、俺に出来ることを精一杯考えたんだ。
これでいいだろうか。


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