36.君に微笑みを

ホテルに帰るカレンを送る道すがら、キルアが聞いた。

「そういえばさ、カレンの実家ってどこにあんの?」
「……どこにもないよ」

もう行けないくらいずっと遠くにある。
けれどそれではまるで世界一周すれば辿り着けるみたいだから、そんな言い方をした。
下手に詳細な嘘をつくよりは、曖昧なほうがいい。
――元の世界の実家を捨ててしまったつもりはない。
来たときのようにいつか偶然帰ることになるのかもしれないし、どうなるかわからない。
限られた人生ではこの目に見えるもの・この手に触れられるものしか、どうにかすることはできない。

「前に、カレンも家出中って言ってたよな?」
「うん。お世話になった人たちがいるんだけど、出てきちゃった。
ハンター試験のあと一回挨拶に行って、今は勘当してもらった感じかな」
「"勘当してもらった"か。どんなとこ?」

キルアは自分の状況と似ていると感じ、カレンのことを知りたいと思った。
カレンは表情を曇らせて、泣きそうに笑った。

「……素敵なところだったよ」

カレンじゃ駄目だったけど、と小さな声で付け足す。
離れることを選んだからって大切じゃないわけじゃない。
好きだった。そこにいられたらいいと思った。
言い訳にしか聞こえないかもしれないから口には出さないけれど、そう思うことは本当だ。

「そんな顔すんな」

くしゃくしゃに頭を撫でられて、そのまま抱きしめられる。
悲しい涙が温かい涙に変わって、息が苦しかった。
カレンはここだって分不相応だって思っているけれど、
少なくともこの眩しさの中では目を開けていられる。

「ありがとう……。キルア君、大好き」

疎外感に悩んで、喪失感に苦しんで、孤独感に苛まれた。
キルアという心の救いと道しるべがいなければ、カレンの心は折れて戻らなかっただろう。
だから何度でも感謝を伝えたい。
しかしその言葉を紡いだとき、キルアの腕に緊張が宿った。
しばらくの沈黙が下りて、すっと息を吸う音が聞こえる。

「俺も。カレン、好きだ」

それがどういう意味の好きなのか今はよくわかる。
ようやく言えた。ずっと言いたかったとキルアはいう。
ハンター試験のときけじめをつけてからと言っていた告白の返事だ。

「うん」

カレンはそれ以上言葉なく、幸せを噛み締めていた。
――傍にいてくれてありがとう。



「そういえばカレン、ネンって知ってる?」

別れ際、思い出したようにキルアが聞いた。
カレンは教えていいものか悩む。
今はウイングに点・舌・錬・発でごまかされている段階のようだ。
200階に到達すればウイングが精孔を抉じ開けてくれる。
余計なことをしないほうがいいかもしれないが、
調べ上げる能力があると知られているから、隠すのも難儀だ。

へたな手出しをして予定が狂ったらどうなるのか考える。
今後の"予定"を思い返して、
ゴンが200階クラスの第1戦で全治一か月の怪我を負う と気づく。さっと青くなった。
漫画のキャラクターならいざ知らず、友人が怪我をするなら回避を考える。

「3日以内に答えるから待ってて」

その応えを、キルアは"今から調べる"という意味にとったし、
カレンとしては"今から交渉する"という意味だった。



「ウイングさん」

試合を見に来ていたその人にカレンは声をかけた。

「……あなたは?」
「初めまして、カレンと言います。ゴン君とキルア君の友達です」

ぺこりと頭を下げる。
ウイングは応じて少女を眺めた。年の頃はズシや彼らと変わらないが、念を使えるようだ。
少なくとも纏は板についている。

「なんのご用ですか」
「ゴン君とキルア君に念を教えていただけないかとお願いにきました」
「――何故?」

漠然とした質問ほど答えるのが難しい。
ゴンとキルアは念をゆっくり起こしても1週間を待たず目覚めるかもしれないと評価されていた。
200階クラスで戦える程度になるまで、今の階層で何試合か負けさせても不自然ではない。
性急な試合の登録自体を阻止することも考えたが、
時間があるのにわざわざムリヤリ起こすほうを選ぶ必要もないように思えた。

「ウイングさんは心源流拳法の師範代でいらっしゃいますよね。
ゴン君とキルア君はプロのハンターで、裏試験で念を修得することを要するんです。
彼らには類い稀なる素質があります。
このままでは数日以内に200階に上りつめて、洗礼を受けてしまいます」

根拠として、キルアは6歳のときにすでに200に到達していることなどを挙げる。

「あなたが教えようとは思わないんですか?」
「それができたらいいんですが、見てのとおりカレンには教えられるほどの技術がありません。
中途半端なことをして二人の不利益になるのは嫌なんです」

カレンはオーラの量にもコントロールにも自分の能力にも自信がないし、そもそも正しい念の教えを受けていない。
事故で精孔が開いてしまったから纏を覚え、あとは聞きかじった知識と独学であまり役に立たないと言われる能力を作っただけだ。
誰かに教えを授けたり、安全に精孔を抉じ開けたりするだけの技能はない。
それでもゴンとキルアの素質でどうにかなってしまうかもしれないが、
ゴンとキルアには"知らないよりマシ"なんてクオリティで覚えてほしくない。
覚え始めの重要な時期こそ指導者に恵まれるべきだ。

「そうですか。その判断は賢明です」

――念は奥が深い。
基本ができるだけで できない者とは絶対的な差が生まれてしまうが、
この少女の 安易に"修得した"と驕らない点は評価できた。

「ウイングさんを見込んで、どうかお願いします。
これも何かの縁なんです。お礼が必要なら用意します」
「しかし……」
「受けてもらえないのでしたら、二人が200階に到達する前にカレンが二人の精孔を抉じ開けることになってしまいます」

気が逸って脅し文句のようなことを口走った。
勢いだけの怖い者知らずは了承されてしまったらどうしようと密かに冷や汗をかく。

「やめなさい。あれは未熟な者が行うべきではない」
「それじゃあ、ウイングさんにお願いしていいですか?」

カレンはほっとして微笑むことができた。
ウイングの人の良さも、もともと彼らの味方に傾いていたことも、そのままでも世話を焼いてくれることも知っている。
ずるいな と思ったが、"知っている"からには"知らない"には戻らない。

ウイングにはカレンが本気で危険を顧みず精孔を抉じ開けるつもりかどうかわからないが、
念を使えるからには彼らに四大行の知識を伝えるくらいは容易いだろう。
生半可な知識は彼らのためにならない。
若く目覚ましい才能を惜しんでしまうのは職業病だ。
――そして、この少女も。

「カレンさんと言いましたか」
「はい」
「あなたの師匠は?」
「……特に師匠らしい師匠はいません。事故で精孔開いてしまって、なりゆきで覚えました」

元々念を必要としなかったし、必要とされてもいなかった。
銃は持っていれば護身になるが、へたに纏ができても念能力者だと宣伝するようなものだ。
自室では訓練も兼ねて纏か絶を心がけているが、よそではその限りでない。

「ではあなたも一緒に学びなさい」
「えっと……じゃあ、お願いします…………?」

そんなこと言われるとは予想しておらず、しどろもどろ返事をする。
話がまとまったので、試合を終えたゴン・キルア・ズシを呼びに行くことになった。


ウイングの部屋でゴンとキルアは念についての説明の正しい説明を受ける。
カレンがすでに修得しているということに驚かれたが、
その説得によってウイングが態度を変えたことには感謝された。
ウイングが壁に手を当て亀裂を走らせたのを指して、ゴンが言う。

「カレンもあれできるの?」
「できない……かな」

カレンは強化系ではないし、
発の系統をもろともしないほどオーラの扱いに優れているわけでもない。
というのは、まだオーラの系統について学んでいない彼らには説明しないことにする。
単に未熟だと思われたかもしれないけれどしかたない。

「でも、ほら、嫌な感じにはさせられるよ」

カレンは練をしてそのオーラを二人に向ける。
本能的な嫌悪を覚えて、ゴンとキルアは顔を青くする。
特にキルアの反応は極端とも言えたが、カレンには反射で向けられた殺気のほうが恐ろしかった。
いじめているような気になったが、彼らが得るはずだった学びを奪うわけにはいかない。
数歩下がって、練を強め、擬似的な敵意を向けた。敵、近づけさせない、と強く意識してオーラを向ける。

「近づける?」

二人は顔色を悪くしながら奮闘してみせたが、
「無理はやめなさい」とウイングが止め、極寒の地に全裸でいるようなものだと説明した。
カレンは練を解除するとどっと疲れが押し寄せたので、少し見栄を張って頑張りすぎたかもしれない。
体術的に劣るカレンに恐れを抱いたことで念の絶対性をますます思い知ることになった。

ゴンとキルアはまず自分のオーラを感じ取るため、
ズシとカレンは初心に帰るために座禅を組むよう言われた。
目を閉じていると、ウイングが言葉によってオーラを、そしてオーラの流れを描写する。

「――そのオーラが血液のように全身をめぐっているよう想像して下さい。
頭のてっぺんから右の肩、手、足を通りそして左側へ――」

心地よいまでの丁寧で順序を踏んだ説明が続く。
これが師匠がいるということかと、カレンはしみじみとありがたみを感じた。
ウイングの性質にもよるかもしれないが、
"外法"の"裏技"と言っていた精孔を抉じ開ける場合でさえ、噛んで含めるように懇切丁寧だった。
つくづく良い師匠に恵まれたと思う。その幸運は、彼らの才能の一部なのだろう。

「そこまで」

どれほど時間が経ったのか、ウイングがぱんと手を叩いたのを聞いて目を開ける。

「ゴン君とキルア君は当分今の座禅を続けてください。
まずはオーラを明確に感じ取れるようになることが目標です。
200階クラスは全員念能力者ですから、纏ができなければ足を踏み入れることもかないませんよ」
「――押忍」
「ズシとカレンさんは別の修行がありますので、私についてきてください」
「押忍」
「……お、おっす!」

はい と答えようとして、みんなに合わせることにした。
武道には馴染みがなかったのでなんだか照れくさかった。

「ゴン君、キルア君。しばらくしたら様子を見にきます」


ズシ・カレンと共に部屋を移して、ウイングは言った。

「まずはカレンさん、あなたの練を見せてください。ズシは凝を」
「この場合"鍛錬の成果を"でいいんですよね」

単純な"練"なら先ほど見せたところだ。ウイングが頷いたので、銃を取り出した。

「えっと、単純でつまらない能力ですけど」

パンパンパンと壁に向かって三発撃ってから「念弾です」と補足した。
ズシはオーラの塊が飛んでいったと見えた物を報告する。
ウイングは「放出系ですか?」と問うが、カレンはばつが悪そうに答える。

「水見式はやったことがなくて……」
「なぜです。発の系統を知ることは大切ですよ」

タイミングが悪かったせいで嫌な思い出ができた。
それを思い出したくないから無意識に避けてきた。
くだらない、今あえてやらないほどの理由にはならない。
とにかく 水見式をやってみることになった。

水を満たしたグラスに葉っぱを浮かべた。
カレンが精一杯の練をすると、グラスの淵に沿って円を描くように葉っぱが動く。

「操作系のようですね」
「……そうですね」

操作系っぽいと言われたことはあったので、そうかもしれないとは思っていたが、事実として突きつけられると感想が違う。
"だから念弾の威力がなかなか上がらなかったんだ"と納得した。
"有限乱射"は"無限乱射"に比べれば威力はまだマシだが、弾数のわりに必殺技たる威力ではない。
念が使えない相手にはまだダメージを与えられるが、念使いに対しては振りかざせないレベルだと自覚している。
放出系は六性図で操作系の隣だから、カレンは最大で80%しか修得できないことになる。

「……個人の能力にケチをつけるつもりはありませんが、
発ではまず最も得意な系統を伸ばすことをオススメしますよ」
「はい……。何か別の能力も考えてみます」

操作系なら何かを操作する能力とことになる。
『シャルナークさんとおそろいだ』とぼんやり思った。
操作系かもしれないとうっすら思って能力を作ろうとしたこともあったが、
明確なイメージを持てず修行法もよくわからず、方針を転換する勇気もなくて断念した。早い話がこれというひらめきがなかった。護身なら既存の能力を磨く方が楽だった。

「まったく別の能力でなくとも、その念弾に操作系の要素を付加するという方法もあります」「これに?」

無限乱射は得意系統の特性を活かしておらず、制約と誓約もほとんどない。
まだ個性を付加する余地がある能力だとウイングは言う。具体例は与えられず、あとは自分で考えることだとされた。
具現化系の能力などは具現化した物に特殊能力を付加していたりするから、そんな感じだろうか。

その後、四大行とその応用技をどこまで知っていてどれくらいできるのか問われた。
形になるのは"纏"、"絶"、"練"、"発"、"凝"、"隠"、"円"。
聞いたことがあるのは"周"、"堅"、"硬"、"流"だと伝える。
それからズシと一緒に凝までを一つずつおこなって指導を受けた。



その日以降、カレンは 仕事をして、天空闘技場に行って、試合を観戦して、ウイングに学んで、自分の能力を研究するというルーチンを繰り返した。
四大行を学び直すことによって不完全だった部分を補え、オーラはかなり扱いやすくなった。

ゴンとキルアは順調に念を起こしていた。
3日でオーラを明確に意識し、5日目で纏と呼べるまでに至った。
7日目には絶を修得し、8日目からは練を磨いた。まさに驚異的なスピードだ。

「あの二人は200階に上がったらすぐ試合入れちゃう可能性があるので、戦闘可能なレベルまで鍛えてください」とカレンがウイングに口添えしたので、
纏・絶・練が形になるまでは適当に負け越して200階未満に留まることにされた。
190階と180階を何度も行き来したので、ファイトマネーは順調に貯まった。

14日目、ウイングの許しを得て、ゴンとキルアは200階に堂々と足を踏み入れた。

廊下の角から受付嬢が現れ、このクラスの説明をしてくれる。
ゴンとキルアが説明を聞いている間、カレンは別の方向を注視していた。
視線の先にはヒソカと、そしてもう一人。

「テンちゃん!」
「ヒソカ!?」
「なんでお前がここに!?」
「カレン、久しぶり」
「久しぶり。この前のお仕事、どうだった?」
「あぁあのときさー……」

男どもの会話にはかまわず、カレンはテンと話し込む。
ヒソカが、ゴンとキルアがここに来たことは飛行船の予約履歴から知った と言うのが耳に入ってくる。
似たような手段でカレンも彼らと、そして彼と彼女が来ていることを知っていた。

テンと普通に会話できていることにカレンは安堵と感動を同時に覚える。
あらためて、つながりを残しておいてよかったと思った。当たり障りない話題があって。
天空闘技場に滞在しているかぎりは会おうと思えばいつでも会える。
勝手に"予定"をずらしてしまったことはあとで謝っておこう。
隣ではヒソカが歓迎と共に挑発をしている。

『纏を覚えたくらいでいい気になるなよ◇ 念は奥が深い◆』
『はっきり言って今のキミと戦う気は全くない◇ だがこのクラスで一度でも勝つことができたら相手になろうv』

それからゴンとキルアが試合の申し込み登録を終えて、部屋に戻った。

「テンってハンター試験にいたのと同じヤローだよな?」
「随分見た目も印象も違ったね」
「そうだよ。あのときは変装してたし、テンちゃんは役になりきるのが上手だから」
「役?」
「うん。演技派なの」

キルアは 兄貴みたいだなという感想が込み上げて、飲み込んだ。
イルミの狂気じみた変装よりはよっぽどマシだったかもしれない。

「それに野郎じゃないよ。テンちゃんは女の子なの」
「……マジで?」

これにも驚かれた。
特にゴンが人の性別を間違えることは珍しい。
念による変装と雰囲気まで変えてしまう演技力の賜物だ。

「うん。カレンにとって世界でいちばん家族に近い人なの」

親友で、世界で唯一の同胞だ。


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