30.決別

「ただいま〜」
「ただ今戻りました」

幻影旅団のアジトに二人の声が響き、部屋にいた旅団たちがやってくる。

「テン、カレン!」
「ハンター試験は終わったのか?」
「ああ、二人とも合格だ」

簡潔に結果だけを告げると、シャルから「まあそうだろうね」とまるで当然だというような反応が返ってきた。
社交辞令のようにおめでとうと言われてから、他の受験生の実力はどうだったか、念能力者はいたかなどを聞かれる。
雑談を交わすテンの横で、カレンは思いつめた顔でクロロの前に出た。

「……団長さん」

意を決してクロロを呼ぶカレンに対して、返ってきたのは本から顔を上げることもしない気の抜けた返事。
一瞬カレンの悲しみに顔が歪んだ。
それでもめげずに頭を下げる。

「勝手な行動をして申し訳ありませんでした」

一瞥するが、なおもクロロは何も言わない。

「そんなことをしていい身分ではないとわかっていました。
でも、カレンはいつまでも此処にいることは出来ないとも気付いていたから」

雲行きが怪しくなってきたカレンの言葉を聞いた団員はかすかに動揺する。
それはまるで、別れの言葉のようだった。

「ハンターライセンスがあれば非力なカレンでもとりあえず生きていけると思います。
シャルさんに貰った銃があれば日常生活では死なないと思います。だから、」
「カレン?」

何をいうつもりだ、とテンはカレンに尋ねたかった。

何かを決意したことは知っている。では何を?
何か決断を迫られていることは知っている。ではどんな?

守りたいのに守らせてくれない。
か弱いのに強かで在ろうとする横顔は、はっきりと言の葉を紡いだ。

「お世話になりました」

今度ははっきりと団員たちに緊張が走った。
まるで自分が可愛がっていた子猫に指を咬まれた子供のような、
支配されるべき者の不意打ちの反逆への動揺だった。

「なに言ってんの?カレン」
「……」

少し前、カレンを妹のように可愛がっていたシャルが代表して尋ねる。
カレンもクロロも黙っていた。

「君は蜘蛛に、幻影旅団に属する存在だろ?
ハンター試験のことは、遅れて連絡を入れてくれたし結局テンも一緒だったから大した問題じゃない。けれど今度は、勝手に旅団を抜けようっていうのか?」

静寂なアジトに響く問いかけは重かった。
罪の数を数えられているようだった。
泣き虫で、弱虫で甘えん坊のはずのカレンは震えずにいられることが不思議なくらいだった。
逃げ出したかったけど、大切なことを告げた。

「カレンは蜘蛛じゃありませんよ」

震えたのは冷たい空気だった。
泣きそうになりながら笑うと、いくつかの困惑の表情が見えた。

「蜘蛛の刺青もない、番号もない、人を殺したこともない、仕事をしたこともない。
そんなカレンがどうして蜘蛛なんですか?」

自分の財産を自分で切り捨てる、痛みが伴う。
殺されるかもしれない、と思った。
だって蜘蛛じゃないと明言してしまえば、此処にカレンの居場所はなくなるから。
此処に存在する理由がなくなるから、殺されるかもしれないと思った。
最初は、此処に置いてもらうことに必死だったのに、と思い起こす。

自分が形成した絆は、居場所は、目に見えなくて、手で触れなくて、気付けばもうぼろぼろで、繋ぎとめておくことがつらいから、切れるその時を待つだけは怖いから。

自分で壊してしまうしかないの。

「もっともだな」

黙っていたクロロがそう言った。
それは肯定であり、今までへの否定だった。

「クロロ!」
「なに考えてんのさ! 最初に二人を拾ったのは団長だろ?」
「一度手にした物を永遠に所有する義務があるか?
カレンは確かに蜘蛛ではなく、本人が出て行くといっている。引き止める理由がない」
「だけど……!」
「止めな、シャル。団長の言うとおりだよ。出て行くほうがカレンにとって幸せかもしれない」
「……!」

マチにそういわれて、思い当たる節があったのか、シャルは黙った。
心配そうにカレンを見ると、彼女は困ったように笑っている。
シャルは、幸せになるならそれも良いかもしれないと思った。
花のような少女に血塗れた蜘蛛の巣は似合わない。

「テン、お前はどうする?」
「え……?」

急に話を振られて焦るテン。

「お前にも刺青はないだろう」
「ああ……」

すっかり忘れていた。
自分は蜘蛛に認められていると自負して、過信して、思いあがっていたから。
確証となるものはなにもなかったのに。

「俺は、」

ごくんと唾を飲み込んだ。
カレンがかすかに頷いたのがわかった。
何を言っても裏切りじゃないよ、自分のしたいようにして と言われているようだった。

テンとカレンは求めるものが違う。大切なものも違う。
別の人間なのだから、当たり前だった。

「俺は蜘蛛じゃないけど、だったら此処にいちゃ駄目なのか?」

その問いかけにクロロは目を丸くした。
それから、くくっと押し殺すような笑い声が聞こえる。

「問題ないな」
「そうか。なら俺は今までどおりだ」

そう言えば、快く歓迎された。
自分を認めてくれる人がいること。自分の居場所があること。それはこんなにも心地が良い。
でも、カレンの表情はわからなかった。

「カレン、夕食の用意をしろ」
「はい?」

クロロから命じられたことの意味がわからず、カレンは首を傾げる。
今までの会話とかみ合っていないように思う。

「最後に美味い食事を作っていけ」
「! はいっ!」

約一ヶ月ぶりにキッチンに入り、食事を作り、振舞った。
皿洗いも掃除もしてからカレンは巣立つ。テンはアジトの外まで見送りに来た。

「これからどうするんだ?」
「ライセンスでホテルに泊まるよ。ランレイのお仕事もあるし、大丈夫」
「ランレイ……続けるんだな。暗殺でもなんでもいいから、ちゃんと俺にも仕事回せよ?
お前より多いくらいがいいんだ。そうじゃなきゃ、あんなに報酬はいらない」
「……うん、わかった」
「なんかあったら、ちゃんと連絡しろよ」
「うん」

カレンがしっかりと頷いて、そこで話題も途切れた。
風が吹き、夜の空気を運ぶ。

「じゃあな」
「うん、テンちゃん……またね」

2,3メートルの距離で手を振った。
そこには埋められない溝が出来てしまったような気がする。
聳え立つ透明な壁に阻まれ、二度と逢えないわけじゃないとわかっていても不安になる。
淋しくてつらいのに、テンもカレンも素直に相手に伝えることはしなかった。
似ていて、すべてをわかっているからこそ一緒で、でも違って、相容れられないからこそ離れなきゃいけない。

一人は鋼鉄の偽りを
一人は柔らかい微笑みを浮かべて

二人は別々の道を歩き始めた。


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