29.望まない闇

カレンが予約をした飛行船が、今ゴウンゴウン……と音を立て飛び立つ。
お互いに一人になりたくて部屋は一人部屋をとってある。
その中でテンはベッドに寝転ぶ。ハンター試験に連れて行った変態殺人狂ピエロは他に用事があるらしく今はいない。
そのおかげか久々の安心した眠りにつける。ふと、昔の自分が思い出さられる。
あの時のキルアを見ていて、一瞬昔の自分が重ねられた。
曲げられた愛情しか受けられないキルア、愛情をあの時から受けられなくなった自分……。
似てないようで似ていそうな境遇……。いや、キルアの方が辛いかもしれない。
一時と言えど、俺を生んでくれて、物心がつくまで女手一つで育ててくれた――本物の愛情をくれた。
だから、あの時はつらかった……。そう考えているとあの時の出来事が鮮明に思い出される。




『お母さん!お母さん!』

一人の少女が布団に寝ている女性を呼ぶ。女性からは尋常じゃないぐらいに汗が吹き出ている。
そのお母さんは泣き叫ぶ俺に顔を向け、精一杯の笑顔を作り、

『ごめん、ね……。お母さん、迎えに来た、から……行か、なく、ちゃ……強く、……生き、続け、て』

と言ってくる。当時の自分はまだ小さく、直球では重いと感じたのかお母さんは遠回しに言ってきた。
確かに、何を言っているのかはイマイチ分からなかったが、一つはわかっていた。
お母さんにはもう会えない……。
初めての人の死だったから、どう表現すればいいのかわからなかった。ただ、この言葉だけが浮かんだ。

『っ、お母さん、頑張って!お母さん!』

無意味だと分かっていても俺はそう叫ぶしか出来なかった。お母さんは変わらず微笑んでいる。
手の色はだんだん白くなっている。もう次の日までは持たないかもしれない……。否、持たない。
父親は今愛人と違う所に行っていて此処にはいない。お母さんはあいつに捨てられたのだ。
けれど、自分にどうにかすることは出来ない。そんな力が俺にはない。

『……テン、お母さん、の、お願い、聞いてくれ、る?』

ふとお母さんがか細い声を出す。それに、一瞬下向きそうな顔を上げ、お母さんを見る。

『辛いこと、いっぱい、あるけど、精一杯、強く、生きて……あなたが、大切にでき、る人を、作ってね』
『……わかった。だから、お母さんも頑張ってよ……』

お母さんの言葉の意味がわからなかったけど、嫌な予感しかしなくてお母さんを励ます。しかし、お母さんは安心した顔で、

『ありがとう……』

眠りについた。手の力も抜けている。その事実に信じられないくて、何度が揺する。

『……おか、あさん?お母さん……お母さん、寝る、の?お母さん……お母さぁぁーんっ!』

もう、お母さんの笑顔が見れない……
もう、お母さんの声が聞こえない……
もう、お母さんの愛情が受けられない……

その事実に心の中にある光が闇に飲まれていく……。生きていく、希望。
できることなら、ずっとお母さんの側にいたかった。ずっとお母さんの側で笑っていたかった。

『なんで、こんな子、私たちが引き取らないといけないの?』
『すまないが、私の家はそんな余裕ある家じゃないからなぁ……』
『産んだのはあんたの女なんだから、あんたがどうにかしなさいよ』

こんな言葉聞きたくなかった。お母さんが生きていたら、こんな言葉聞くことなんてなかったのに。
お父さん方の親戚だけで行われる形だけの小さな葬儀。しかし、彼女が死んで残されたのは俺という厄介な荷物。
結局、実父ということで、俺は死んでもお母さんの側にいなかった男によって育てられることになった。

『なんだ、その目は……仮にも俺はお前の実父だ。そんな反抗的な態度を取るな』

けれど、彼から与えられたのは、愛情とかではなくて、一方的な暴力。
上手いことに、服を着れば見えない位置に増えていく傷。
けれど、子供は非力で、自分で誰かに助けを求めることなんてできなくて。
ただ、酷くならないようにただただ耐えるだけしかできなかった。

『……ここに編入しろ』

そんなある日、あいつは家に帰ってくるなり、一枚の紙を机に置いた。そこには、寮有りの小中高大一貫の学校だった。
学費も奨学制度を受ければタダになり、寮一人一部屋をずっと使える。人気が高い分レベルも高い。
そこをあいつは受けろという。俺はこいつから離れれるならと思いつつ文句が無いので、頷いた。

『……わかりました』
『チャンスは一回だ。失敗したらどうなるか覚えておけ』

彼はただそれだけを残し、家から出て行った。


何ヶ月かして、俺はそこに一発合格し、実父から離れて暮らせられるようになった。
寮は一人で暮らすのに十分な広さだった。荷物は唯一の母親の形見――小さなクマのぬいぐるみのみ……。
それしかないので、部屋が元の広さ以上に広く感じた。
クラスには何人か知っている人がいて、仲良かった子もいた。
皆心配そうにこちらを見ている。その視線が辛く嫌悪を感じた。

『……皆、どうしたんだ?そんな顔してると心配するじゃん』

偽りの笑みを浮かべ、偽りの言葉を述べた。皆、すぐ騙され、明るく話しかけてくる。
クラスにもすぐ馴染み、偽りの友情が成り立っていく。子供たちの親も騙されていく。先生たちも騙されていく。
これからは、ずっとこの仮面を被り続けていかなければならないのか……。
そう思いながら、ある日俺は遊びに参加せず、木陰で読書をしていた。
読んでいるのはシェークスピアの有名な悲劇の一つ、『ロミオとジュリエット』。
対立する家柄のせいで表立って会うことが許されず、勘違いによりお互い死んでしまう物語。
親に進言することも無く、ただ毒を飲み、すれ違い死んだ主人公たち。
彼らには仲間がいた。しかし、彼らには二人を救う力がなかった。
捻くれながら話を読んでいると影がかかる。それに、上を見上げると、一人の少女が立っていった。

『テン先輩、どうしてそんな悲しそうな顔しているんですか?』

その言葉は今でも頭の中に残っている。
彼女の言葉は今までの偽りを剥がす光のようで怖く、嬉しかった……。
今まで吐いてきた偽りの言葉もこの光の前では口にしたくない。
俺はこの光を大事にしたい……!ただ、そう思えた。
けれど、所詮は一定の距離を保った付き合い。俺が自分のことを話さない代わりに彼女も自分のことを話さなかった。
聞こうともしなかった。今の距離。これをこれからも続けたかったから。
深く入ることは自分も彼女も傷つけることになるだろうから……。自分はもう光を傷つけたくない。
しかし、自分の闇を照らすことを許したいわけではない……。けれど、光が欲しい。
自分の心に踏み入れさせたいわけでもない……。けれど、自分を認めて欲しい。
そんな矛盾した想いを持ちながら、一定の間を空けた距離。何時離れるかどうかも分からない微妙な距離。
唯一それを繋げていたのは『HUNTER×HUNTER』かもしれない。
彼女自身それを読んで気に入りそろえ始めていた。中には、ここの世界とは違う夢がある。
もしかしたら俺の存在を認めてくれる存在があるかもしれない。
彼女自身も何か願うことがあるかもしれない。けれど、知ろうとは思わない。
彼女は母が死んでから俺の存在を認めてくれた初めての存在。
彼女は俺の偽りを初めて剥がした存在。
彼女は初めて鳥籠の外に羽ばたかせてくれた光の存在……。
眩しすぎるぐらいの怖い光の存在……。




「テンちゃーん!」
「……どうした?カレン」

いつの間にか寝かかっていたのか、扉を叩くカレンの声で意識が浮上する。
少し嬉しそうなカレンの様子が気になり、扉を開ける。そこにはノートパソコンを抱えたカレンが立っていた。
パソコンのウィンドウには『何でも屋ランレイ』のサイトが映っている。

「何でも屋のサイトか?」
「そうなんだけど、ついに依頼件数が情報屋だった頃から合わせて10万件超えたの!」

カレンの言葉に目を開く。こんなにも仕事をやっていたのか……。そう思いながら、

「本当か……?凄いな!カレン!」
「テンちゃんが途中から入ってくれたからだよ!ありがとう!」
「そんなこと無いよ。俺はまだ2件しかやってないし……」

カレンは笑顔でそう叫ぶ。テンもつられてつい笑顔になる。昔の冷えた笑みではなく暖かい笑みを浮べて。
「カレン……、ありがとうな」

急にテンの口から自分でも聞こえない大きさで紡がれる言葉。それに、聞き取れずカレンは首を傾げる。
カレンのおかげで俺は今此処にいるんだ……

「どうしたの?テンちゃん……」
「なんでもない。……っと、そろそろ到着か?」
「えっ、あ、うん……」

テンの言葉に少しカレンの表情が暗くなる。それに、微笑みながら、

「大丈夫。もしもの時は俺が守るから……」

と小さく言葉を発した。
もう、光が傷つくのは見たくない……。俺を鳥籠から出してくれた光なのだから……。


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