28.泣き虫の意地

不本意で試験に合格してしまったカレンは試験官に体調不良を申し出て休憩室を用意してもらった。勿論仮病である。

ショックの勢いで飛び出してきた会場には戻る気になれなかった。
刻々と時間ばかりがすぎていく。
今頃試合は進んでいるだろうと考え、恐怖した。
知っている展開が嫌なくらい浮かんでくる。
瞳を閉じれば、その場面を見せられているように鮮明な映像が再生され、
耳を塞げば残酷な台詞がエンドレスで流れてくる。

シーツを握りながら唇を噛み締めた。ネオンの占いの言葉を思い出す。

『  その翼はナイフより鋭い諸刃の剣
   羽ばたくたびに傷つく鳥を
   貴女は見守らなければいけない
   銀色の鳥に空を示すことしかできない  』

その言葉の通りでありすぎて悔しくて堪らない。
その週は終わったはずなのに、どうして。
占いはあれ以降確認していないけれど、
“見守る”ことさえ放棄したカレンは震えて泣くことしか出来ないのだろうか。

「……違う、よね?」

決意したはずの心はすぐに揺らいでしまうけれど、
泣き虫なカレンだって伝えられることくらいあるはずだ。
伝えなくちゃいけない。
“キルア君”が人を殺すために生まれてきたわけがないと。

カレンは立ち上がると、会場に戻るために駆け出した。
しかし、時は既に遅く、前方から掌を赤く染め返り血を浴びたキルアが歩いてきた。
その瞳に光はなく、まるでカレンが視界に入っていないかのように機械的に隣を横切っていった。
『買い物の街』での夜の出来事がフラッシュバックする。
カレンは思わず追いかけて腕を掴んだ。
キルアはカレンを見て歩みを止めたが、言うべきことを模索しては口を閉ざす。

「キルア君……」

カレンは自分の姿がまだ彼に映っていることに安心して、
愛しそうに傷ついたその名を呼んだ。

「大好き」

無意識の内に零れた言葉にカレン自身も驚くが、
すぐに微笑んでもう一度大好きだよ、と言った。
キルアは呆気に取られている。

「どうか、あなたに救われた人間がいることを知って。
自由を求めることを止めないで」

キルアはすべてを見透かすような言葉に息を呑み、
ついにその口を開いた。

「なんで、お前は……、」

いつもいてほしいときに傍にいてくれるんだ。
絶対に欲しい言葉をくれるんだ。

兎のように赤くなったカレンの瞳を見て泣いていたことに気付く。
そういえば、出会った当初からそんな姿ばかり見ている気がする。
泣き虫なくせに、涙は見せてくれず微笑み続ける。

「ごめんね、カレンは知ってたの。
ギタラクルさんが本当はイルミさんって名前でキルア君のお兄さんだってこと。
カレンがハンター試験に誘わなければこんな風にならなかったね」

キルアの呟きを「会場にいなかったのに、どうして」という意味に受け取ったのか、
カレンは気まずそうに事実を明かした。
キルアはその内容に驚くが、彼女の情報収集能力を思い出してすぐに納得する。
だから試合を棄権しようとしたのか、と思った。
敵わないと知っていて自分の代わりにイルミと戦おうとしたのか。

カレンは幻滅されることを覚悟していた。
そんなはずないのに、罵られても仕方ないと思いながら顔を強張らせていた。
嫌われることが怖かった。
キルアはそんな様子さえ愛しく、完璧じゃない笑みから零れそうになるカレンの涙を指で拭った。

「いいよ。俺も楽しかったから。
ゴンにも会えたし、お前とも一緒にいられたから。来年は絶対合格してやるよ」
キルアはカレンを安心させるように笑った。
そしてゆっくりと、

「俺も、お前が……いや、また今度会ったときな。俺はちゃんと家にケジメつけてくるから。そうしたら聞いて」
「……うん! キルア君がいる場所を調べだして会いに行っちゃうね」
「ああ。じゃあ、」
「うん。またね」

そういってカレンはキルアの腕を放し、小さく手を振った。
花が綻ぶ様な笑顔を浮かべて、キルアを見送った。

「……カレンもちゃんとケジメつけなきゃね」


試験が終わり、受験生……否、合格者たちは説明を聞くために別の広間に移動した。
キルアの不合格に対する口論が始まっても自分のことが話題に上がっても、カレンは素知らぬ顔で見向きもしなかった。
音を遮断しているかのように前を向き続けるカレンに、クラピカもレオリオも声をかけられなかった。
カレンの目が少し赤いのでテンは心配になる。

暫くするとゴンがその広間に入ってきてイルミに掴みかかった。
カレンはやはり黙っていて、だけど二人を見た。
ゴンに眩しそうに目を細めた後、イルミを哀れんだ。

結局は彼もキルアと同じなのだ。
歪んだ環境で長く育ち、愛情の形を間違えているだけ。
けれど許すことは出来なかったから、二人が離れた後にイルミに言った。

「キルア君は闇人形じゃありません」

会場中の全員が驚いた。
彼女はキルア対ギタラクル戦の現場にはいなかった。
カレン、とテンが思わず声を上げた。
それを見ていたイルミは不思議そうに首をかしげた後、

「ああ、君が“ラン”か」
「ええ。こうして会うことは初めてですね。イルミ=ゾルディックさん」
「女だとは思わなかったよ」

テンちゃんも女の子ですよ、という言葉を飲み込んだ。
レオリオが苛々と叫んだ

「おい、お前ら何の話だ!?」
「カレンが情報屋をやっていて、今は何でも屋の片割れだっていう話です」
「情報屋……ランか!」
「はぁ!?情報屋って、情報屋ランだったのかよ!」

そういえばトリックタワーでそんな話をしたな、と思った。
会場にどよめきが起こる中、ゴンだけが頭に疑問符を浮かべている。
まあ、後で“捲って”みるだろう。

「それで、“ラン”が何の用?」
「ランは関係ありません。カレンはカレンです。
キルア君は闇人形じゃない、それだけですよ。
これからもどうぞご贔屓を」

それだけいうとカレンは再び着席して前を向いた。
ハンター試験終了後、テンはカレンに声をかけてきた。

「大丈夫か?」
「うん。大丈夫。でもごめんね、ランレイのことバラしちゃった」

闇に生きる者が姿を明かすのはとても危険なことだ。
カレンがやっている仕事も、綺麗なものばかりではない。
けれどそんなことを省みないほどきっと怒っていたのだ。
表情から察することは出来ないけれど。

「ああ、それはいいんだ。俺がイルミに“レイ”だって名乗ったのが最初だから」
「そっか」

カレンはテンがキルアのことを聞いてこないことがありがたかった。
何を言えば良いかわからないから。
沈黙が訪れそうになって、カレンは話題を変えた。

「そういえばテンちゃん、ハンゾーさんとの試合で途中で真っ青になったでしょ?
そのあと急に動きが早くなったから、どうしたのかなーって」
「……。……ちょっと変態マッドピエロに脅されてな……」

テンは影を背負って遠くを見た。
心の中では(あの秘密蜘蛛にばらされるって脅されたなんて言えねぇ)と思っていた。
カレンは何を?と聞けなかった。
暫く言葉を捜して、大事なことを見つけた。

「ねえ、テンちゃん」
「ん?」
「もう決めた?」

それだけの会話だったのに、テンはすぐにその真意に気付いた。

「運命か……」

意味深なだが、カレンは肯定した。
テンはカレンは?と質問で返し、カレンは首を振った。

「……まだわからない。決めてないの」
「俺は、もう決めたよ。お前にとって大切な人がキルアなら、俺にとっての大切な人たちはやっぱり俺を認めてくれた人だから。阻止する」
「そっか……。うん、わかった」

違うよ、テンちゃんもカレンの大切な人だよ、とカレンが思っていたことなどテンは知らない。
二人はアジトへ向けて出発した。


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