放課後。長次はカウンターで仕事をしていた。仙蔵はこの数週間、昼休みも放課後も図書室を利用している。
話す機会はなかったが(間の悪い事に、仙蔵が本を借りる時は別の生徒が当番であった為)、今日は今読んでいる本を借りる予定だ。読み進めていたら存外面白く、気づけば西日が射していた。

カタ

本から目を離さず、席を移動する。
しゃき、しゃき、と背後で音がする。長次がハサミで紙を切る音だ。室内で他に音はなく、廊下で生徒が笑う声や、外で野球部の号令、下の階から吹奏楽部の練習する音が遠く聞こえる。ページを捲る音がやけに大きく感じた。
集中して読んでいれば、かたん、とハサミを置く音。
ふと顔を上げ、時計を見れば、丁度図書室を占める時間。
ひとり残っていた仙蔵は「あ」と声をもらし、片づけを始める。
文次郎はもう帰っただろうか。帰っただろうな。
席を立ち、本を片手にカウンターへ。

「これ、借ります」
「……はい」

低く、聞き取り辛い声。初めて、聞いた。本を渡す手が震える。
どうやら柄にもなく緊張しているらしい。
見下ろす。長次は椅子に座ったままバーコードを通している。

ピー という機械音。

「ん?」
「………」
パソコンの画面には、返却期限切れの本の存在を知らせるウインドウが出ている。
借りた覚えのない本だ。
「他の生徒と、間違えていませんか?」
「…いや…」
と、長次が顔を上げる。目が合って戸惑う。知った顔に丁寧に話しかけるのは妙な感覚だ。
「…カードを…誰かに貸さなかったか…?」
キーボードを操作してウインドウを閉じる長次。
貸すとすれば文次郎しか浮かばないが、貸した覚えはない。

「それはな…」
い、と言い切ろうとしたところで、ふと、カードに目をやる。
学年と組、そして名前が書かれており個別のバーコードの載った図書カード。
「…あぁ!?何故文次郎のカードを私が持っているんだ!?」
静かな室内に声が響く。自分のカードだと思って出したものが文次郎のものであった。
何故。
決まっている。授業で使う資料を二人で探していたときに間違えたのだ。文次郎の馬鹿が花瓶を落として、片付けている間に仙蔵が二人分まとめて借りた。その時だろう。なんということだ。では、自分のカードは文次郎が持っているのか。何を借りているかは知らないが、そちらもまさか延滞していないだろうな…している、だろうな…。ふつふつと、焦りと怒りが沸く。
「……図書室は、静かに」
「す、すまん」
静かな声に、我に返る。

「組と、出席番号と、名前」
「は?」
「…本、借りるのだろう…?」
カードを返されたが、本はまだ長次の下にある。どうやらカードがなくても借りられるらしい。
「助かる。1組の14番、立花…」
名を打つキーの手が一瞬早かった。
「…仙蔵です。私を知っているのですか」
普段の口調であったり、丁寧な口調であったり。自分に呆れる。
長次はこちらを見上げると、頷いた。どきりとする。

「よく…ここにいる…」
「あ、ええ…ですが、名前まで分からないでしょう?」
自分は何を口走っているのか。
もういいではないか。早く借りて、早く帰ろう。
思うのに、返事を待っている。
長次の視線が泳いだ。
なんだ。
一瞬の間が開く。
仙蔵は鼓動がうるさい事に今頃気づいた。
「…知っている」
言う。
これまで以上に小さい声で、ぼそぼそと。けれど仙蔵は確かに聞き取った。

「…昔から…」
恐らく長次は、言うべきか迷ったのだろう。仙蔵の反応を見ずに、貸し出し作業を終えた。
仙蔵はといえば、渡された本を受け取りもせず、顔を背けていた。
顔を上げた長次は首を傾げている。



*



「…訊いてもいいか。『昔』とは…いつ…?」
震えるような声で、長次はそれが、まるで泣いているように聞こえた。
長次は、すすめてみようと思っていた新しい本を、仙蔵の前に置いた。

忍の物語の、分厚い本であった。



*



それを見た瞬間、仙蔵の顔には成り損なった笑みが浮かんだ。
ともすれば、泣きそうな笑顔で。
「私も…お前を昔から知っているよ…」


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