子供が二人、公園で遊んでいる。

「やあやあ、とおからんものは音に聞け、ちかくばよって目にも見よ!われこそはこの城のぐんし、立花せんぞうなるぞ!」
「あ!てめぇ、せんぞー!ずりぃーぞ!ジャングルジムはオレのって言っただろ!」
「ふん、早いもの勝ちだバカモノめ!」
ジャングルジムの頂上の柱に手を置いて、遥か下の文次郎を見下ろす。
仙蔵は、つ、と指を滑り台へ向けた。
「言っておくが、お前が今いるところは海だぞ。ジャングルジムの上から3つ目までと、滑り台の上が陸だ。ほらおぼれるぞ!」
「ひきょーものめ!」
言って息を止め、文次郎は仙蔵の居るジャングルジムをよじ登る。

「ここはオレのじんちだといっただろ!もんじろはあっち!」
「ば、あぶねっ、けるな!ぎゃー!」
ざぶーん、と自分で言って、文次郎は滑り台へクロールしながら走った。
階段を上ると深呼吸をする。

「われはせいぎのヒーローだ!悪のそしきめかくごしろ!!」
「だれが悪だ!」
「おまえだろ!けりやがって!」
「城をまもったのだ!」
「しるかアホ!」

ぎゃいぎゃいと、お互い近くも遠くもない距離で叫ぶ。けれど夕方のこの時間、遊具の少ないこの公園に他に人気はない。二人の家から近いこの公園は、お気に入りの秘密基地でもある。勝手に段ボールを持ってきて、木々の多い場所を探して小屋を作ったり、砂場に山を作って両側から掘り進んでトンネルを開通させたりと、毎日のように遊んでいる場所だ。この時期は木の葉が紅く染まり、特にジャングルジムの辺りは色鮮やかだ。少し肌寒い風が吹く。

飽きたのだろう。
海という設定を無視して文次郎が仙蔵の城に走る。城という設定も無視してジャングルジムの中央の、一番下に潜る。天辺から井戸のそこを覗くように、仙蔵は見下ろした。文次郎は鉄の棒にぶら下がっている。
「おー、すげぇー。空が真っ赤だ!」
「ん?」
文次郎が見上げる。見下ろす仙蔵は逆光でよく見えないが、空の色に目を丸くする。いつの間にか、葉や空だけではなく、まるで空気が染まっているように世界が紅かった。恐らく自分も紅いのだろうと、手を離して掌を見る。紅かった。
「きれいだなぁ」
「せんぞー、オレ、手、真っ赤だぜ!」
「ぜんぶ真っ赤だな」
「せいぎのヒーローだな」

遠く空を眺める仙蔵はそれを無視した。文次郎が登って近づく。城に侵入しても仙蔵は文句を言わなかったし、多分もう設定はどうでもよくなっていた。ただ、空が紅い。それがとても美しくて、初めて見る景色に見惚れていた。
天辺の縁に体重を置いて、一段下に居る仙蔵に声をかける。一段下、と言っても足を乗せている鉄の棒は同じ高さなので身長は変わらないが。

「そろそろ帰るか?」
公園の時計は、午後5時を過ぎていた。あの壊れたからくり時計は頼りにならない、と先日二人は怒ったが、時間は正確に刻んでいるので許した。
仙蔵は足場を変え、見上げていた視線を下ろした。目の前に文次郎。
「そうだな、帰るか」

真っ赤な葉。
真っ赤な空。
真っ赤な空気。
真っ赤な世界。

冷たい風。

黄昏時の。

「せんぞう?」
そろそろ、東の空は藍色を帯びてきた。文次郎の遥か後ろ遠くの空。

何か。
なんだろう。
何かを。

「おりるぞー」
鉄の棒を潜って、仙蔵の隣に立つ。
そういえば、文次郎は仙蔵より少しだけ、ほんの少しだけ背が高い。

「うん」

頷いて。
思う。
いま、何か引っかかった。

「今日の夜ご飯なんだろなー。はらへった。せんぞーんちは?」
「…さぁ…なん、だった…かな」
頭が痛い。

紅と藍が混じる空を見上げる。
気持ちが悪い。
美しいと、数分前は見惚れていた空が。

胸元を押さえた。文次郎の話す言葉が遠い。

頭の上から、すぅ、と冷えるのが分かる。
まるで血液を失ったようだ。

寒い。
冷たい。
頭が痛い。
耳の奥で、キン、と高い音が鳴っている。
音遠い。

「おーい、せんぞ?気分悪いの?」
「…ん、」

一点を見つめて降りようとしない仙蔵を不思議に思い、顔を覗き込む。
真っ白い顔をした仙蔵に、文次郎は「大丈夫か?」と声をかけた。けれど返事は無い。
視線の先を追っても、鉄の棒が紅く染まって、地面に二人の影と共に長く落ちているだけだ。

頭が痛くて、音が聞こえなくて、視界もなんだかどんどん白くなって。
仙蔵は吐きそうになって、胸に置いていた手を口元にやる。自分の顔はとても冷たかった。
文次郎がバランスよく細い棒の上で膝を折る。下から覗き込まれているのがわかるが、ただ今は、気分が悪かった。

ジャングルジムと文次郎とは別に、白い視界に映る像があった。
目の前は暗い森。空はやはり、紅と藍が混じっている。
自分が立っているのは森から少し離れた場所。自分を庇うように、誰かが背を向けて立っている。
『…次…ッ!!!……、………だッ!!!』
何かを叫んでいる自分。自分なのだろうか、それにしては視線は高く、声は低い。身体中が痛かった。泣きそうだ。

文次郎は相変わらず覗き込んだ姿のまま首を傾げている。なんだか笑えた。

背を向けた誰かの背は紅かった。夕日の色ではないことだけ、わかった。何なのかは考えたくなかった。
その誰かは笑った。『バカタレ』と。知らない声だ。けれど酷く、懐かしい。
ジャングルジムの、鉄の棒を握る感触と、知らない自分が何かを握っている感触が同じだった。

冷たい。
頭が痛い。
寒い。

「お、おいっ、せんぞう?」
目をまん丸にして驚く文次郎。なんだ、と思ったら涙が。悲しくも無いのにぽろぽろと零れた。
意味が分からなくて笑った。失敗して頬が引き攣る。
文次郎がハンカチをとりだす。なんでお前、そんなもの持ってるんだ、似合わない。文次郎のくせに。
「腹が痛いのか?あ、おれがお城に登ったから怒ったのか?」
遠く聞こえる声に、は、と息を漏らす。そんなことで怒るか、阿呆。

涙を拭きながら、寒さに震える。
違う、寒いんじゃない。怖いんだ。

『ハ……、オ……か?…ッ!?…せ、ッ!!』
こちらに向かって叫ぶその姿が。

白かった視界は鮮明に、音は戻り、頭痛も吐き気も消えた。
見覚えのある顔に、幼い仙蔵は驚いて半歩、後ずさろうとして。

その先に、鉄の棒は無かった。

『仙蔵!!!!!』
「せんぞう!!!!」

手を伸ばす、二人の姿が重なる。

『「文次郎っ」』

伸ばす手は、届かない。


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