兵助とハチはよく遊びに来ているので、雷蔵の部屋の散らかり具合にも慣れている。三郎は初めて訪れたが、散らかった部屋を見ても雷蔵らしいと笑うだけだった。好奇心から勝手に歩き回って棚の中を物色したりした。
しかし、ハチにいいかげんにしろと怒られ、ようやく小さなテーブルの前に座り、ノートを並べて勉強会は始まった。
それから小一時間後。
最初は物理の問題集を解いていたはずなのだが、机が狭いということもあり、三郎はいつのまにか勉強道具を床に移して、寝転がってノートやプリント・教科書や参考書を眺めるだけの体勢になっていた。これで内容が頭に入るというのなら殴りたくなるものだ。
そんな三郎は、雷蔵に「ここ教えて」と呼ばれ、顔を上げた。

「んー……この条件があるから、上の公式を使って解けるよ」
「ありがとー」
「それと、そこ計算ミスしてる」
「え? あ、ホントだ」

慌てて書き直す雷蔵を、三郎は微笑ましそうに見ていた。
その傍らで、ハチは英語のテキストを兵助に見せる。

「へーすけ。これどういう訳になんの?」
「これは、主語が此処までで、この『that』以下が『country』を修飾するから…」
「おお、さすが! さんきゅ」
「ん」

兵助はひとつ頷いて、すぐに自分のノートに目を戻す。
そんな感じで勉強会は進んでいた。



「あーっ! 疲れた」

ハチは痺れを切らして叫んだ。雷蔵は苦笑し、三郎は自分も飽きていたころだった。兵助は呆れた顔でたしなめた。

「まだ1時間半だぞ?」
「もう1時間半だ。俺よく頑張った。休憩しようぜ」
「あ、じゃあ飲み物持ってくるね」

気を利かせて立ち上がろうとした雷蔵を、兵助が留めた。雷蔵の前には問題が解きかけのノートがある。範囲を終わらせるにはまだかかりそうだ。

「雷蔵まだ途中だろ? ハチに行かせれば?」
「えーっと……」

それは自分の家に友達を招いている側としてはどうなんだろう、でも飽きたって言ってるのはハチだしなぁ…、と迷い癖を発動しそうになる雷蔵を見かねて、ハチは快く了承した。

「いいぜ、取ってくる」
「あ……じゃあお願い。ジュースとかお菓子とかあると思うから、勝手に漁って」
「わかった。ほら行くぞ、三郎」

ハチは、相変わらず寝転がっている三郎に手を差し出した。三郎は呆気にとられた顔をする。

「え? なんで俺も」
「一番暇そうだからだよ」

三郎は納得いかない様子で兵助と雷蔵を見る。ふたりはうんうんと頷いていた。味方がいないことを知って、しぶしぶハチの手を取り、立ち上がる。いってくる、と呟けば、いってらっしゃいと手を振られた。思わず振り向くと、不思議そうな顔をされた。



リビングに行くと三郎はやはり物珍しそうに歩き回った。テレビをつけては消してみたり、壁に飾ってある写真を眺めたりと好き勝手だ。

「手伝えよ、三郎!」
「ちょっと待って、これ雷蔵の小さいときの写真だ!」
「ああ、前から飾ってあるやつな」

雷蔵がランドセルを背負っていたり、就学前と思われる写真もあった。同じ顔なのに、こうも微笑ましく思えるのはどうしてだろう。

「……どっかにアルバムとかないかな」
「あとで本人に聞いてみれば」
「そうする」

頷いて、ようやくハチのいる台所に来た。ハチはすでにスナック菓子をひっぱりだしてきて、ジュースのペットボトルも抱えている。

「コップはそっちの棚にあるから取って。お、アイス発見」
「人んちの冷凍庫漁るなよ」
「許可はもらってるだろ。どうせ勝手知ったる他人の家だし。お前に言われたくねー」
「それは気にすんな」

ひととおりの用意を並べると、黙ってハチは考え込んだ。どうした? と三郎が聞く。

「いや、これでどれだけ兵助の気を逸らせるかと思って」
「なにそれ」
「兵助の休憩時間は短いんだよ。あとは食べながらやればいいだろってことですぐ再開するかも……」
「別にいいじゃないか」
「兵助、勉強に真面目だから、空気がぴりぴりするんだよなー。やらざるをえないっていうか……勉強会しようって言ったの俺だけど」
「つまりハチはサボりたいんだな。よし、俺に任せろ」

すると三郎は、せっかく出したジュースを冷蔵庫に戻す。冷やす必要のないものはそのままにしておいた。そして、リビングに行ってテレビを点けて、ソファに座り、ハチを手招きする。

「これでいいだろ」
「なにが良いんだよ……」
「休憩、きゅーけい」

すっかり寛いで朗らかに笑う三郎に、ハチは文句を言いながらも隣に座った。こいつの性格にも慣れてきた、まあいいか、と思ってしまうのは悪影響なのだろうか。チャンネルをてきとうに回していると、三郎が言った。

「俺、お前らの中学の卒アルとか見たい」
「ああ、別にいいぜ。ちなみに俺と兵助は小学校も同じ」
「ふうん。俺県外だからなあ……」

三郎は電車で一時間ほどかけて通っている。よほど地元を離れたかったのか、という類のことは聞かないでおく。入学式の日の三郎の姿を思い出して、ハチは顔を顰めた。

「三郎の中学時代……うわっ、想像したくない」
「失礼だなー。否定はしないけど」
「しないのかよ。……今度お前も卒アル持ってこいよ」
「見たくないんじゃないのか?」
「とは言ってないだろ。交換条件だ」

本人も『碌でもなかった』と言っている中学生時代に、ハチは怖いもの見たさの興味と好奇心をいだいてしまった。
そうしてお互いの中学時代の話に花が咲き、雑談はだらだらと続いたのだった。



「あいつらサボってるな」

兵助と雷蔵は、早々にふたりを待つことをやめて勉強を再開していた。

「まあまあ、いないほうが捗るんだからいいじゃない。あんまり遅かったら呼びにいけば」
「ハチはちゃんと今日中にテキスト終わらせられんのかねー」
「無理じゃない?」
「また泣きついてくるのかよ」

懲りないやつめ、と兵助は嘆息する。
でもちゃんと手を貸してあげるんだよね、と雷蔵は密かに微笑む。テスト間近になってハチの面倒を見ることになるのを見越して、今その分も取り組んでいるのかもしれない。
それでも、ハチだって一時間半は真面目に勉強していたのだから、この勉強会は無駄ではない。またやろうね、と提案した。

「いいけど、三郎……あいつどうにかならないかな」
「でもさあ、思ったんだけど、ノートは必要なことだけ書いてあるし、訊いた問題に全部答えられるってことは一回解いてるってことでしょ? けっこうちゃんと勉強してるんじゃないの。努力を人に見られたくないタイプなのかもよ」
「なんだよ、それ」

兵助は理解できないという顔をしたので、雷蔵は苦笑した。
中学の頃から真面目な兵助としては、一見不真面目な三郎に成績で絶対に負けたくないのだろう。それも意欲に結びついているようだ。



――「ただいま」 という女の人の声が、玄関から響いたのはそのときだった。


 top 
- ナノ -