昼休みになると、久々知が屋上へ呼びにきた。中学の頃から昼は三人で食べていた。
けれど、当然のように声をかける。

「僕たち屋上で食べるんだけど、三郎も一緒にどう?」
「行く行く」
「おう、来い」

すっかり輪に入り込んでいる三郎だった。
机の脇にかけていたコンビニの袋を持って立ち上がる。
だが廊下に出たところで、竹谷が言った。

「俺らは購買部で何か買ってくるから先行ってろ」

その手に持っているのは弁当ではないのか? 成長期だから足りないのか、それとも飲み物の調達だろうか。久々知は財布しか持っていないから、その付き添いかもしれない。
「わかった」と雷蔵がしっかり返事をすると、彼らは購買部の方向へ歩いていった。

そうして、三郎と雷蔵 ふたり並んで歩くが、会話は途切れていた。
あまりにも特殊すぎてお互いを意識しすぎている。話したいことがありすぎて何から聞けばいいのかわからない。
三人、もしくは四人でいるときはただ雑談していればいい。昔と同じように三郎は振舞っていた。
けれどふたりになると誤魔化していられない。踏み込んだ話題になる。
――そうなるために、雷蔵はこっそり竹谷に頼んだのだった。

「父さん…は、元気?」

雷蔵が社交辞令としてまず聞いておくべきだと思ったのは己の父親のことだった。
ちなみに、まったくといっていいほど記憶はなく、顔も名前も思い出せない。
ただでさえ小さすぎた上に、誰かが話してくれるということもなかったのだ。彼らの父親は最悪の男だったとかで、親族の間では話題にするのも憚られるほど忌み嫌われている。ましてや心を痛めやすい母に尋ねられるわけがない。
だから、意識の奥に押しやっていた。いないものは最初からいないことにしてしまった。それで生活するには足りてしまうから。
申し訳ないことに、そうして三郎の存在も忘れていたのだった。

逆に、三郎が親しげなのは、幼いときの記憶を持っているせいなのだと思っていた。少しでも懐かしく思ってくれているのだ、と。
その感覚を共有することはできないが、代わりにこれからの日々を共有していくのだろう。

「まだ、生きてるよ。しぶといことに」

三郎は忌々しげに答えた。雷蔵は一瞬荒んだ眼を見て、触れるべきことではなかったのだと後悔した。
話題にするのも憚られる最悪な男――三郎はそんな父に引き取られたのだと思うと、急に怖くなった。雷蔵の平穏な生活の裏側で、三郎が今までどんな生活を送ってきたのかを知らない。何を思って、何をしてきたのか。傍にいなかったから、わからないことだらけだ。
憎しみさえ宿した瞳は、先ほどまで朗らかに笑っていたのとはギャップが大きい。
だから、三郎には二面性があると思う。自分と竹谷と久々知に対してはフレンドリーだが、他の生徒にはもう少し隔たりがある。派手な第一印象に萎縮していたが雷蔵たちへの態度を見て安心して話しかけたクラスメートが、冷たくあしらわれるのを見ていた。

――実を言うと、三郎はまだ完全に自己統一できていなかった。
かつての鉢屋三郎が持っていた感情をすべて引き継いだものの、高校入学まで生き抜いた鉢屋三郎も紛れもなく彼自身だ。感情は変わらない。嫌いなものは嫌いだし、名前を聞けば吐き気がする。雷蔵たちといるとき以外は、荒んだ性質の彼が無意識に顔を出すのだ。体に馴染んだ反射行動とも言える。

「ああ、雷蔵が気にするようなことじゃないさ」

言葉を失った雷蔵に、三郎は笑みを向けた。
同じ色、同じ顔、同じ制服の着方。まるで鏡を見ているような、けれども『違う』という相変わらず不思議な感覚だった。
雷蔵は朝からずっと聞きたいと思っていたことを尋ねた。

「ねえ、もしも僕が髪を染めたらどうするの?」
「同じ色にする」

即答だった。やっぱりまだ三郎という人物は掴めない、と思う。
そんなにころころ色変えると髪痛むよ、と忠告すると、中学のころは日替わりで髪の色変えてたくらいだから大丈夫だと笑う。気分次第で奇抜な色にしていたらしい。それにしては雷蔵と同じくらいの髪質だということが、納得がいかないと思う。

「じゃあ、僕がピアスあけたら?」
「同じところにあける」

やはり今度も即答だった。三郎の外見は誰のものだろう?
双子のよしみというよりは、むしろ執着に近いものを感じた。その危うさに、ざわざわと胸騒ぎがした。
――本当は、彼を危うくしたのも、いざというときに彼以上の危うさを発揮してしまったのも雷蔵のほうだった。

「それじゃあ、もし僕が大怪我して顔に包帯巻いたら?」

あくまでもたとえばの話だった。けれど仮定が脳裏をよぎってしまったから、聞かないわけにはいかなかった。
三郎は眼を瞠ったあとに、立ち止まって目尻を吊り上げた。

「そんなこと、考えさせるな!」

叫んだ声は必死で、まるで泣きそうだった。
ああ三郎は長い間 なにか大きな孤独に蝕まれていたのだと、雷蔵は直感的に思った。
得体の知れない不安を抱えて、独りで戦っていたのだ、と。

「でも、僕にとって大事なことだから確認させてほしい」

雷蔵がことさらに願うと、三郎はしぶしぶ考えた。

「……雷蔵が望むようにするさ。いつもどおりでいろっていうならそうするし、健康な同じ顔を見たくないっていうなら似ても似つかなくなってみせる」
「ああ、なんだ。それならよかった」
「なんだよそれ」

三郎としては全誠意を尽くして回答したつもりだったし、何気に凄いことを言ったわけなのだが、雷蔵はただ胸を撫で下ろしたようだった。

「同じ怪我をするなんて言われなくてよかった、ってこと。僕の真似なんかしても面白くないと思うけど、三郎の外見は三郎が勝手にすればいいよ」

ずっと離れ離れだった半身にめぐりあったことに意味があるならば、これからは一緒にいよう。
僕は三郎の友達になりたいなと、雷蔵はあらためて思った。


それはつまり、真似をする権利をもらったということだった。どうやら三郎の答えは雷蔵にとって合格だったらしい。
何も覚えていない雷蔵には、訝しいことがさぞかし多いことだろう。
しかし、それらを許せてしまうあたり、昔から変わらないなあ、と三郎は小さく苦笑した。


常時開放されている屋上に出ると、真っ青な空が目に眩しかった。
その夜からしばらく、雷蔵は夢を見なかった。


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