森の闇で、刃が体を貫いた。その風穴から寿命が流れ落ちていくようだった。実際に溢れたのはぬるりと温かい血液で、その心地悪さに身震いがした。夜の風は変わらないのに、脂汗が滲み、ひどく寒かった。
叫び声が聞こえる。自分を呼ぶ声が。

彼があまりにも当たり前のように自分を庇おうとするから、『それはダメだ』と体が動いたのだ。咄嗟に自分の身を盾にすることしかできなかった。
視界の輪郭は歪む。色彩は割れる。ひたひたと近づいてくる死神の足音が聞こえるようだった。本能が目前に迫った奈落を告げ、愕然とする。

守ることができたというせめてもの安堵は、すぐに別の物に成り代わった。
敵の命を瞬時に奪い取っておきながら、彼は、崩れ落ちる雷蔵を見て瞳を絶望色に染めたのだ。親にでも捨てられたかのような表情をして立ち尽くしている彼を、おいて逝くのだという罪悪感が募った。
護られることを拒絶して、護るだなんてエゴでしかなった。彼の人生にどれだけ重荷になるか、酷い裏切りだということもわかっていた。
それでも、そのエゴによって彼が生きているなら、よかったと思ってしまう。
謝罪や感謝や、言うべきことはたくさんあったけれど、最期に伝えられることはひとつだったから、意識を引き剥がそうとする死神に必死に足掻いて、搾り出した声は『生きて』だった。それはどんなに残酷な願いであることだろう。
ずっと彼に振り回されてきたから、このときばかりは我が儘になってもいいだろうか。それを許してほしいと請うことも、もうできない。
ちゃんと笑ったように見えていたかも自信がない。掠れてしまっただけでなく、誤魔化しようのない極限状態に顔は引き攣っていただろう。

こんな薄暗闇なのに、視界は段々白ずんできて、逆光みたいに彼の顔は見えなくなった。
必死で名前を呼ばれていることはわかるけれど、それさえも単なる音に変わっていく。もう、どうしようもない。引きずり込まれ、死の深淵に落下した。


耳鳴りのような音が、遠くで喚いていた。
それが鮮明になったのは、背中から叩きつけられた瞬間だった。どんっ、と。精神が反転した。
目を覚ますと、布団を被って横たわっていた。ここが自分の部屋だと理解するのに時間がかかった。とりあえず目覚まし時計を止める。世界はあまりにもいつもどおりで、正常だった。

現実感を取り戻すと、非現実は消えてしまった。さっきまであんなにリアルに感じていた光景はもう霧散していて、像として何一つ掴めはしない。自分の機微も、登場人物が誰かも覚えていない。
――かつての雷蔵は再び意識の奥に眠った。本物の死の記憶は、一介の高校生が持つにはあまりにも重かったから。

ただ、自分が死ぬ夢を見ていたのかもしれないということはぼんやりとわかった。像はなく、無音でも、ざらざらした苦い感覚がしっかりと胸に残っている。春だというのにびっしょりと汗をかいていて、息も切らしていた。今も心臓が脈打っている。
なんて寝覚めの悪い夢を見てしまったのだろう。昨日もだったじゃないか、ついてないな。と、立ち上がった。


原因はなんだろう、なんて思いながら教室に入ると、昨日とは違う光景がそこにはあった。

「雷蔵、おはよ」
「おはようハチ、と、さぶろう…?」
「おう、いいだろこれ」

三郎は、明るかった髪の色を雷蔵と同じ…おそらく地毛まで戻し、制服の着方もずいぶんおとなしくなっていた。ピアスはシンプルで透明なものをつけているらしく目立たない。印象がまるで昨日とは別人だ。
改心したのかと尋ねたいところだが、明らかに雷蔵に合わせた外見だった。

雷蔵は、そんな三郎を見て、既視感のようなものを覚えた。何かの予感に近かった。それは鏡に映した自分の顔に似ているからだろうか。それとも……。

「どうしたの、それ?」
「このほうが面白いじゃないか。せっかくだからと思って昨日直してきた」
「あ、まさか昨日早く帰ったのって……」
「これだけのためじゃないさ。戸籍確認してきたりとか、いろいろ」

戸籍という言葉に反応すると、三郎はにやりと笑った。立ち上がり、ふたりにだけ聞こえるように耳を寄せて、「せっかく再会したんだから」と囁いた。雷蔵と双子であることをわかっているらしい。
それにしても、周囲への説明が面倒だから学校では赤の他人で通そうと思っていたのに、そっくりさを強調されては台無しだ。三郎は雷蔵の方針なんて知らないのだから仕方ない。一度 ちゃんと向き合って話をするべきだと思った。今までのことも聞いてみたい。どんなふうに生活して、何を体験して、生きてきたのか。

「本当はピアスホールもどうにかしたかったんだけど、すぐに塞がるものでもないし、なにもつけないとそれはそれで目立つからなぁ。ああ、こうなるってわかっていれば最初から耳に穴なんか開けなかったのに」

嘆くように大仰に肩を竦めた三郎に、竹谷は呆れ半分で呟いた。

「おいおい、ずいぶん徹底してるな」
「俺 こういうのは好きなんだ。こだわるよ。髪型も揃えるから、雷蔵の通ってる美容室教えて」
「いいけど、なんでそこまで…」

なぜ三郎がこんなことをするのかわからない。二人はタイプが異なっている。わざわざ統一することに意味を感じない。せっかく染めていたならその色が気に入ってたんじゃないのか。わざわざ髪の色を暗く落とすなんて…。
すると、一段低い声と荒んだ眼が垣間見えた。

「ああ、真似されるの嫌? 気持ち悪い?」

まっすぐに、雷蔵を捉えたその瞳の奥は陰っていた。重い質問に狼狽える。
三郎の外見は三郎の自由なのだから、禁止する権利はないとも思った。

「別に嫌ってわけじゃないけど…」
「うん、よかった。雷蔵ならそう言ってくれると思ってた」

三郎は一変して満足げに笑った。
何か違和感が胸にひっかかって、雷蔵はその正体に悩むこととなった。


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