いったん蓋の空いてしまった入れ物からは、止め処なく思い出が溢れてきた。
自分がどんな生活をして、誰の傍にいたのか。後悔も罪悪もすべて全て。
ふたつの『鉢屋三郎』を共に等しく自分と見なすことは困難で、気力が要った。

『かつてを非難する現在の三郎』と『現在を嘲笑う本来の三郎』が一つの魂に同居して、どれが本物なのかわからなくなりそうだ。

そんな中、三郎は自分の手のひらを見つめ、ぐっと握って感覚をたしかめる。
そして、前方の席の雷蔵を見た。
不確かな感覚の中に、たしかなことがある。いとしい 守りたい と思う、その気持ちは変わっていない。
旧友に会えて嬉しい と、思うことも等しく本心だから、再会を素直に喜べる。

それにしても、せっかくこの世に生まれて十五年間、大切なことを忘れて無為な日々を過ごしていたことが口惜しい。いくらでも楽しむことができたはずなのに。

これから取り戻すしかないな、と決意する。落ち込んでいても仕方ない。これからいくらでも楽しめるのだから。

三郎は考える。
雷蔵は、竹谷は、自分のことを覚えているだろうか。自分だってさっきまで忘れていたのだ、覚えていないと考えるのが自然だろう。忘れているならそれでもいい、せっかく現代は平和なのだから。

輪廻転生とは、巡り合わせとは不思議なものだ。
他の奴らもどこかにいるのだろうか?
それに、現在の自分と雷蔵との因果も気にかかる。
瓜二つのこの顔は作り物ではないからだ。

これからどうしようか、何を話そうか 考えるのに夢中で、口が緩みそうになるのを、頬杖をついて窓の外を向くことで誤魔化した。
担任になった教師の話なんて、ひとかけらも聞いてはいなかった。



そろそろ入学式の時間だ。
体育館に移動するとなって、ようやく席から解放された竹谷は、逸早く雷蔵の腕を掴んで、教室の隅まで引っぱっていった。
これだけの不思議な現象を並べられて、黙っていられるわけがない。
担任が話している間だって、教室の大半の生徒が二人に気を取られていたのだ。三郎の外見のせいであからさまに視線を向けることができなかったのが二人にとっての救いだ。今だって、竹谷が雷蔵と話すことになんとなく聞き耳を立てて、教室から出て行かない生徒がいる。
彼らを追い払うように睨んでから、声を潜めて尋ねた。

「なあ、あの鉢屋って誰なんだよっ」
「三郎?」
「そうそう、あいつ何者なんだ?」

雷蔵は三郎を見たときに、あまり動揺していなかったように思う。他人行儀に自己紹介したわりには、今だって簡単に名前呼びしている。いったいどういう関係なのか。
だが、雷蔵は困ったように眉を下げた。

「僕にもよくわかんない」
「はァ?」
「たぶんこうかなーっていうのはあるんだけど、まだ確信は持てないっていうか……」

この肝心なときに、雷蔵の迷い癖が邪魔をしているらしい。竹谷は、雷蔵の『多分』が8割以上の確信だとわかっていた。

「いいからそれを教えてくれよ!」
「うーん、わかった。じゃあ今日の帰り、兵助にも一緒に話すよ」

一言ですませられる話ではないらしい。それならもうひとりの親友が同席するのも妥当だと思った。
すると、馴れ馴れしく肩を叩かれる。

「おーい、何話してんだ?」

その男・鉢屋三郎は、上機嫌な笑顔で二人の間に入った。第一印象が悪かった竹谷は、やはりそのギャップに苦手意識を覚える。出会い頭のやりとりはなかったことにするつもりだろうか。

「げ」
「人の顔見て『げ』はないだろ、ハチ。なあ、体育館 一緒に行こうぜ」

三郎は竹谷のことをハチと呼んだ。雷蔵が呼んだのを聞いて真似しているらしい。普段から呼ばれ慣れているあだ名だが、三郎は八左ヱ門という本名さえ知らないだろう。

「その呼び名……。俺は竹谷八左ヱ門だ」
「だからハチだろ?」
「お前も『ハチヤ』じゃんか」
「じゃあ俺のことは三郎って呼べよ」
「……いいけど」

別に、あえて拒否するようなことではない、と思う。雷蔵も「三郎」と呼んでいたし、むこうもあだ名で呼んでくるのなら尚更だ。
竹谷は、三郎のその調子の良い態度に、不思議と話しやすさを感じ始めていた。


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