遅刻ギリギリで廊下を走りながら、雷蔵は、なぜか注目を浴びているような気がして首をかしげた。立ち止まっている時間はなかったので、気にしないようにして急いだ。

教室に入ると、その理由がわかった。竹谷と話している男が、自分とまったく瓜二つの顔をしていたのだ。ただし、明るい髪の色や派手な服装によって差異が明確だった。

あ、と呟きがこぼれる。なにが「あ」なのかわからない。うっかり夜中におばけにでも遭遇したかのように硬直した。
ドッペルゲンガーに会った人は数日以内に必ず死ぬという。どうしていいのか、どうすればいいのかわからない。そこにあるのはたしかに自分の顔であり、そうではなかった。

見つめあったまま、互いの視線に囚われた。
『彼』は、雷蔵以上に目を見開いて、それこそ幽霊に会ったかのような間の抜けた顔をしていた。それによって、少なくともワルイモノではないということはわかった。親近感、とでも言おうか。
状況はまだわからない。ただし、可能性を一つ思いついていた。これが雷蔵の人生にとって何か重大な瞬間であることだけは間違いなかった。

硬い表情で恐る恐る、ゆっくりと歩み寄る。
教室中の時間が止まっていた。

「おはよう、ハチ」
「お、おはよう。雷蔵」

まず、傍で声を上げて困惑していた竹谷に声をかける。
雷蔵にとっても唐突な事態だったが、竹谷が雷蔵の分まで慌てているおかげで当の本人が冷静になれたのかもしれない。
『彼』に向かって、意を決して口を開いた。

「……僕は不破雷蔵。きみは?」



教室のドアが開き、その顔を見た瞬間、三郎は体に電撃が走るような感覚を味わった。
『彼』が自分に似ていたからではない。むしろ 三 郎 が 雷 蔵 に 似 て い た か ら だった。

魂の奥底で眠っていた記憶が、急速に呼び醒まされる。
戦乱の世、忍びの身、学園の日々、偽りの姿、そして最期が、走馬灯のようにめぐる。
激流の如く『鉢屋三郎』に乱入するそれに、声も出なかった。
数え切れない感情が立ち代り入れ替わり胸を支配する。

それは、自分が自分として生きていた三郎にとってあまりにも突拍子のない話だった。
けれど拒絶することができなかったのは、今までずっと『欠落』を感じて生きてきたからだった。
半身を失っていたのだ、何をするにも空虚だったのは当然だった。
パズルのピースが埋まっていくように、現在の自分と本来の自分が重なる。
今目の前にいるのは、守るべき大切な人だった。

「俺は、鉢屋三郎だ」



よろしくな、雷蔵。と笑みを浮かべて雷蔵に握手を求めるそいつは、急に人が変わったかのようだった。
さっきまでの荒みきった目と態度はどこに行ったのか。
だが、その声は微かに掠れていたし、伸ばしたのとは逆の手が震えているのを竹谷は見た。

いったいどうなっているのか。
二人は親戚か? まるで初対面みたいに自己紹介している。
赤の他人か? それにしては似すぎている。
鉢屋というのは雷蔵の苗字とも異なるし、三郎というのも竹谷が聞き覚えのない名前だった。

その三郎は、竹谷を見て にぃっと不敵に笑った。

「よろしくな、ハチ」

あまりの豹変振りに、言いたいことと聞きたいことが絡まって言葉に詰まった。
ちょうどそのときチャイムが鳴り、「おーい席に着け」と、これから一年間担任になる男が教室に入ってきたのだった。


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