温かい缶コーヒーを両手で包む。いい天気だなぁと、薄く刷いたような雲の浮かぶ青空を見上げる。
昼休みも半ば、グラウンドでは次の授業が体育のクラスが、早くもボールを持って出てサッカーをしている。
体操着がちらほらと。寒そうだと視線を外した。
留三郎はまた、タバコに火をつけた。取り上げてコンクリートの床に落とし、グリグリと足で火を消した。

「もう、だから、ダメだって言ってるだろ」
「けち」
「…あのねぇ留三郎、タバコは」
「健康を害するから禁止、だろ。中学ん頃はそんな事全く言わなかったくせに」

確かに、あの頃は留三郎がタバコを吸っていても『タバコ臭い』とか、文句だけでやめろとは言わなかった。それはきっと、『まあこのくらいの年頃になるとそういうのに興味持っちゃうよねしょうがないよねハハハ』というものではなく、関心を示さなかったんだと思う。世間に対しても、親友の留三郎に対してさえ。深く人と繋がるのがとても億劫だった。誰かに何かを指摘されるのが嫌だから、自分もそうしなかった。
でも、今は違う。

「僕は保健委員だからね」

留三郎は言葉の通りをそのまま受け取った。苦笑する。
過去を思い出したから、そういうものに対する不安だとか億劫さだとかもどこかに飛んでいったんだ。
伝わるわけがない。



陽が当たって暖かい。
留三郎は隣で、最後の一口を食べ終えた。
パンの袋をくしゃくしゃと丸める。コーヒーを飲み干そうと顎を上げた。

遠くで叫び声がする。グラウンドで遊んでいる生徒だろう。
笑い声。叫び声。
アターック!

直後。
「ブッッッ!!!!?」
「伊作!?大丈夫か!!」

ぽん、ぽん…と転がったのは白いバレーボール。体育館にあるものが、何故外に。
伊作の後頭部に直撃し、コーヒーを喉に詰まらせ、勢いで前に転んで制服が汚れた。
大きく咳き込んで涙が浮かぶ。

「う、げほっ、だ、だいじょうぶ…げほっゲホッ」
「すまーん!大丈夫かー!!!」
駆けて来る足音。聞きなれた声。伊作は苦しいのも忘れてバッと顔をそちらに向けた。

「こへ「小平太ぁあ!また貴様か!!」
呟いた声が留三郎の叫び声に消える。
彼はバレーボールを拾って思い切り投げつけた。

(え。)

小平太は難なくそれを受け止める。
「わあ留ちゃんっ!ゴメンってば!」
「留ちゃんってのやめろっつってんだろーが!伊作に謝れ!!」
「あ、いさく君…?ごめんな、大丈夫…じゃなさそうだな、ホントごめん!」
顔の前で手を合わせて謝る小平太。
伊作は呆然と、二人を眺める。

「伊作…?」
「留三郎と、小平太…君は、友達なのか?」
「違う!こいつはあれだ、俺たち文化委員が準備してるもんを今みたいに嵐のように壊して去る敵だ!」
「ひどい!ちゃんと謝ってるだろーッ」
「修補の手伝いもしねぇで何言ってんだ!」
ぎゃいぎゃいと、頭の上で二人が言い争う。一方的に留三郎が怒っているだけだが。

伊作は混乱していた。小平太がこの学校に居た事にまず驚いて、そして留三郎と知り合いだったことに。
まさかそんな。だって世界はこんなに広いのに、留三郎が幼馴染だというだけでも凄い奇跡だと思っていたのに小平太までいるなんて。
思ってふと、視線を感じて顔を上げる。

「あ、長次!お前も留ちゃんに何か言ってくれよ!わざとじゃないんだってー」
「わざとだとしたらとんでもねぇよ!!」
ぽかん、と座り込んでいる伊作を眺めながら、長次は首を傾げた。

「……その様子では…もしかすると、覚えているのか…伊作」
ぼそぼそと、聞き取り難い声。けれど伊作の聴覚はそれを捕らえていた。

なんだそれ。
長次までいる。
それになんだ、今の言葉、『覚えているのか』ってなんだ。
なんで長次は僕の事知ってるんだ。
咳のせいではなく涙が浮かんだ。

長次は二人の言い争いを止めていた。
傍に寄り、片膝を折って伊作の様子を伺う。

「…不運は…相変わらずか」
低い声。
のどが嗄れて上手く言葉が出ない。

留三郎は傍にいたけれど、過去を覚えているのは伊作だけだった。今の世の中が面白いと知っているのは伊作だけで、同意してくれる人は誰も居なかった。それはそれで仕方が無いのだからと、でも少し寂しかったのは本当なんだ。誰かと共有したいとか、思ってしまうのも、だって、しょうがないだろう?
広い世界で、どれくらいの確率なのか留三郎が一緒に居て、それで満足していたのに。

「…うん、それが僕のアイデンティティさ」
笑う。
胸が絞られる様に苦しかった。
でも、嫌な苦しさじゃなかった。

留三郎と小平太が「知り合いだったのか?」と同時に訊いた。
伊作と長次は顔を上げて答えた「ずっと前から」。

長次は伊作に手を貸して立たせると、少し意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「…仙蔵と、文次郎も…同じ学年に居る」
今度こそ、伊作は奇跡ってなんだっけ、とぽかんと気の抜けた顔を向けた。


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