『見上げた空は違う色』3.

目を覚ますと、隣には誰もいなかった。いつものことだ。時刻はとっくに午後。
仕事をした次の日は気を使われて、こんなことも許されてしまう。
ひとりで粗雑な朝食を食べて出て行く恭弥の姿を思い浮かべる。
こんなに甘やかされていいのだろうか。
いつものように、何か大きな喪失感を感じながら起き上がる。

恭弥はきっともう仕事に出かけてしまった。
私の代わりに簡潔な報告をしてくれていることだろう。
促されるに任せて、見えたことをぽつぽつと話したから。
映像の中にまだ使っているような施設があったから、そこを押さえればきっと証拠になる。

シャワーを浴びてから、もっと詳しい報告書を書くために椅子に座った。
手紙形式で、自筆。ベースは日本語で、暗号を交える。冷静な今、次々と詳細が思い出される。
基本的に私は優秀なのだ。これくらいしか活かされることがないけれど。翻訳の仕事でも始めてみようか。

どうせ提出といっても帰ってきた恭弥に渡すだけだから、焦る必要はない。
静かに、呼び覚ますように、記憶を巡らせて、ときどき休憩を入れる。
歌詞が全て聞き取れるようになってしまった洋楽をオーディオから流して、
自分のためにコーヒーを入れて、ふとリビングから部屋を見渡す。

二人暮しには広すぎるマンション。
それぞれの部屋が大きい上に、部屋数も多い。
お互いの趣味で、モノトーンが基調になっていて、清潔の印象が強い。

余った部屋は分け合ってそれぞれの趣味の場になっている。
読書好きな私のために本倉庫があって、本棚が部屋中を多い尽くしている。
イタリア語以外にもいくつかの言語を学んだから、置いてある本は多国籍だ。
でも和書もかなり日本から持ってきた。
沢田君から振り込まれる多額のスパイ業務の報酬は本くらいしか使い道がない。
唯一自分のためと胸を張れることだ。
膨大な書籍は、穏やかに時間を過ごすのにちょうどいい。

たとえ一歩も外に出なくても、洋服とか必要なものは通販で買えるし、
情報はコンピュータとかテレビとかいくらでもメディアがあるし、
息抜きがしたくなったら誰かが付き添ってくれる。訪問客も多い。
両親と共通の知り合いしかいなかった頃を思うと、ずいぶん友好関係が広がった。
ああ、でも今の知り合いというのはほぼ恭弥と共通だけれど。

陽が差し込む窓に歩み寄って、レースのカーテンを開ける。
外は雲一つない快晴だった。
窓も開けると澄んだ風が入り込んでくる。
ベランダに出て、外を見ても、部屋が高い位置にあるせいで見える建物や道路は小さい。
本当はベランダに出ることもあまり良くないんだけど、周辺のどの建物よりも高いし、
すぐ下の階からもよじ登って来れない構造になってるから、少しだけ。

風は冷たいのに陽は暖かかった。
すっかり白くなってしまった肌に沁みる。
眩しいくらい明るい世界。
それでも、薄暗く感じてしまうのはどうしてだろう。

見上げた空は、どこか見慣れない色をしていた。


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