『見上げた空は違う色』2.

本来は絶対着れないようなドレスに身を包み、
不釣合いにならないようにメイクを施してもらって、髪を纏め上げて、会場に入った。
中には「いかにも」といった人が多い。見知った顔もある。隣にいる恭弥もそうだ。
沢田君の配慮で、私がこうやって外に出なきゃいけない仕事にはたいてい恭弥をつけてくれる。
まるで、たったそれだけで私が言いなりになってしまうのを知っているみたいだ。

挨拶回りをしている沢田君には何人か幹部の人がついていて、
それ以外の幹部の人にもそれぞれ挨拶に来る人がいて、
恭弥に近づいてきた人たちに私も愛想笑いを浮かべて対応する。

こういう場所の食事は華やかだけど、あまり喉を通らなくて、パパの料理の方が美味しいのに。と思ってしまう。

恭弥からアイコンタクトがあって、沢田君を見ると少し心配げな、やっぱり合図があって、
私たちはそれとなく目標の人物に近づいた。
彼は恭弥を見ると話しかけてきて、私にも意識を向け、握手を求めてきた。
微笑みを作ってその手を握ると、視界が移り変わるのであった。

見るというよりは読むという感覚で、四次元の中を渡り歩く。
訓練の成果で、かなり速く読めるようになったと思う。

目を逸らしたくなるような残酷な光景が、目まぐるしく流れていく。
乱暴に扱われる人、殺される子供、腐敗した赤。
証拠となるような映像を逃さないように目蓋に焼き付ける。

足場を保つのがやっとだったけど、傍にいてくれる人の顔を思い出して、なんとか持ち堪えた。
手を離したあとも微笑みを絶やさない。
その男性は長く呆然としている私を不審そうに見ていた。

『すみません、祖国の父を思い出してしまって……。』

意味深なことを言って、誤魔化しておく。
さっきの映像の名残で無理をしなくても涙が滲んできたし、
どう見ても私はアジア人だから簡単に同情を買えるのだ。
期待通り、男性は紳士な反応をしてくれて、その言葉に便乗して恭弥が私の手を引き、会場を後にした。

「大丈夫?」
「だい、じょうぶ」

車に乗り込みながら、恭弥が私の手を握ってくれる。
記憶が鮮明なうちに帰って、報告書を書き上げなくてはいけない。
吐きそうなほどぐるぐる脳裏を駆け巡っている映像。
報告書を書くまで忘れないように、という故意的な思いもあり、
同情と悲しみと衝撃で簡単に忘れられないという不本意な部分もある。

何度も何度も目を瞑って湧き上がってくる感情を支配しようとするんだけど、
支配されてしまうばかりで、震えがとまらない。
どんなに虚勢を張っても、中身が伴っていないから、堪えることができない。
今は、外の世界の何ものも受けつけることができない。

無言で手を引いていた恭弥は、エレベーターが上りきって部屋に入った瞬間、私を抱きすくめた。
強い強い腕の力。
体温が伝わってきて、私は言葉にならなくて、縋り付くように泣いた。

「あの男は、黒だったんだね」
「――――」
「報告書はすぐじゃなくていいよ。どうせ忘れないだろうから、整理してからの方が」
「―――――」

優しい声が沁みこんでくる。
自分でも首が動いているのかわからないくらいかすかに頷いて答える。
それを確認したのか、恭弥は一度腕を解いてまた私の手を引いた。
多分、休ませようとしてくれているんだと思う。

「ねえ、君は本当にこれでよかったの?」

不意に、恭弥は後ろを歩く私に声を掛けた。
一瞬遅れて顔を上げて、意味を理解する。

「なんで、そんなこと言うの」
「別に」

存在意義を問いただすような、そんなことを今聞かないでほしい。
質問を質問で返す余裕しかないのだから。
歩きながら、ドレス姿のままだってことに気づく。
恭弥だってタキシード姿のままだ。

寝室のベッドに座らされて、小さな冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して口をつけた。
冷たい水分が脳に浸透して少し冷静さを取り戻す。
メイクだけ落とそうと思って手を伸ばして、ふと、着替えている背中を見上げた。
恭弥、と名前を呼ぶ。

「それでも私はあなたの傍にいたい」

一瞬恭弥の手が止まった。
それから不機嫌なのかと勘違いするくらい、ずんずんと歩み寄ってきて、膝をついて、もう一度私に腕を回した。

「君は――」

いくら待っても続きはなかった。

私は甘んじて瞼を閉じた。唇が落とされる。全てを委ねて、寄りかかる。
ゆっくりと壁を壊せば、恭弥との距離がゼロになる気がするから。
体温を感じながら、懐かしい過去を見る。そこにはたしかに幸せな記憶もある。

でもね、
赤い映像に苦しむ私に、繰り返し赤い映像を、あなたの穏やかでない日々を見せるのは、残酷だと思いませんか。

どんなにあなたの手が汚れても、私は振りほどくことができない。
あなたがどんなに獰猛な目をしていても、私は逸らすことができない。
綺麗な人、麗しい人、孤高の人。
ああ、なんて皮肉な物語。


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