番外編

応接室で資料を探しながらふと、紙の上の日付が目に入って、
そういえば今日はホワイトデーだなあ、と思った。

家に帰ればきっとパパが焼いたお菓子が待っている。
並木さんが三倍よりも高価なお返しを届けにくるかもしれない。
でも、今年はもっと別のことが頭に浮かんだ。

『日ごろの感謝の気持ちです』

思い出すのは、バレンタインの日。
頭を下げてそう言って差し出すのが精一杯だった。
なんとなく義理を装ってみたけど、包みの中身は本命も本命だった。

『もらってあげる』

その瞬間を思い出して、胸が熱くなった。
弧を描く唇が、いとしくて、眩しかった。
受け取ってくれるかな?とは思っていたけど、本当に受け取ってもらえるとは思っていなかった。
恭弥先輩はこういうくだらないイベントごとが嫌いそうだから、断られる可能性のほうが高いと思っていた。
だから、我ながら奇跡だったと思うのだ。
食べてもらえたかどうかや、その後のチョコレートの行方はわからないけれど、
とにかく自己満足には十分すぎるくらいだった。

お返しを求めるなんてとんでもない。
二月の時点では、まったく念頭になかったと言ってもいい。

今日は3月14日。

もう一度日付を盗み見た。
そういえば、クラスでお菓子を交換していた子が何人かいたなあ。
私はクラスの男子にはあげてないから無縁だと思っていたけど。

そう、求めていなかったんだけど、
こういう日だと認識した途端に胸がざわめきだした。
イベントの名前とムードに流されているのかな。
物が欲しいんじゃなくて、気持ちが欲しい。
密かに願うのはずうずうしいだろうか。

応接室に来ても、恭弥先輩に会えない日というのは珍しくはない。
一人でいても、居心地のいい場所だと感じていたんだけど、
今日はなんとなく、 会いたいなあ、早く帰ってこないかなあ、と、しきりに思った。

その思いが通じたのか、
廊下から足音が響くのが聞こえた。

此処は学校で、公共の場だけれど、
騒いでいることで咬み殺されるのを恐れて、みんな応接室の前は避けようとする。
だからこの近くを通る人は決まっているのだ。
それで、できれば。 と、たったひとりのことだけ考えたのは仕方ないと思う。

足音は近づいてきて、
応接室の前で止まったかと思うと、無言でノックもなく、ドアは開けられた。
間違いなく恭弥先輩だった。

「わあ、お帰りなさい!」

思わず、いつも以上に喜んでしまった。
先輩が一瞬奇妙そうに私を見る。
私は繕うように、報告事項を述べた。早口になってしまい、捲くし立てた形になる。
大丈夫。文章でも用意してあるから。

一通り言うことがなくなると、私は先輩が持っていた菓子折りに気づいた。

「それ、どうしたんですか?」
「貰い物の和菓子。 食べる? っていうか、お茶入れて」
「わかりました」

和菓子なら緑茶だろうと思って、支度をする。
『貰い物』っていう言い方に若干の違和感を覚えて、
どちらかというと貢物ってやつだろうな、と思った。
それは珍しくないから。

ずっと前、たぶん体育祭のときに、応接室は飲食禁止だと忠告された気がするけど、
……っていうかたしかに言われたけど、
今になって、あのときの恭弥先輩は煩わしくて説明を省いたらしいということがわかった。
『恭弥先輩以外』は飲食禁止とか、お弁当はダメでもお茶はOKとかいろいろあるのだ。
たぶんお弁当っていうのが特にダメだったんだろうな、と思う。においが篭るから。

和菓子は校則的にOKだっただろうか、というのは調べないでおく。
業務中に休憩がないのはきついから、コーヒーも紅茶も緑茶も持ち込んでいるし、給湯室でお湯が手に入る。

湯のみを先輩が座ったソファーの前に置くと、件の箱を示された。
仕切りに分けられて、見た目も美しい高級そうな和菓子が並んでいる。

「食べていいんですか?」
「いいよ」
「じゃあ、遠慮なく頂いちゃいますね」

一つお皿に取って、座って食べる。
ひと口味わっただけで、見た目だけじゃなくて味も素晴らしいと知った。
送り主はさぞかし趣味がいいのだろう。

「誰からの貰い物ですか?」
「草壁」
「じゃあ今度お礼言っておきますね」
「言わなくていいよ」

あれ? と首を傾げてから、
そうかこれは恭弥先輩がもらったものであって、私が食べるのは予定外だからかな、と納得した。
草壁先輩も含めて、他の風紀の人とは仲が悪いわけじゃないけど、とにかく接点が薄い。

この部屋で過ごしている時間はある意味、特殊で閉鎖的だ。
規則的で、淡々としていて、脈のよう。
外界に触れない。外から見えない。恭弥先輩にしか知られない日々。それが心地いい。

すっかり幸せな気分になった私は、何気なくを装って、たずねた。

「先輩、今日が何の日だか知ってますか」
「興味ないな」
「じゃあ、何の日でもないってことにしておきましょうか」

宣言して、ふふっと変に笑ってみた。
恭弥先輩は、学校が休みになる記念日しか認識しないのだと知っている。
だからこそ私が並中の創立記念日と同じ日に生まれたことには運命を感じてしまう。
ママには感謝しなきゃね。……ああ、話が逸れた。

先輩にとってはやはり今日はなんでもない日なのだ。
それを崩そうとは思わない。幸せだから。
特別な日だからこそ、特別ではないといい。
特別な幸せが日常だったりするといい。

手を伸ばせば届く距離。
顔を見れば目が合うし、名前を呼べば返事がある。
願えば叶う日々が此処にあるから。


ホワイトデーは和菓子一個で満たされてしまう。
家に帰ると、ちゃんと別腹っていう言葉が発動するんだけどね。


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