獄寺視点

そもそも、獄寺は、尊敬する十代目沢田綱吉以外のクラスメートの誰とも、仲良くする気はない。
特に女子についてはそうだ。煩わしいとしか思わない。
幼い頃の姉に対してのトラウマもあるかもしれないが、とにかく女という生き物が嫌いだった。
優秀な頭脳を持っておきながら、クラスの女子の名は片手で足りるほどしか覚えていない。
それさえも、覚える気はなかったのに覚えてしまったという感じだ。

だから内藤かえでについてと尋ねても、おそらく長い返事は返ってこないだろう。
頭の固い優等生という奴。いけ好かない女。

それでも、教室内で騒がないばかりか、人と会話もせず、
自分の席で勉強をしているか読書しているだけのその女の名前を、
うっかり覚えてしまったのには、いくつか理由がある。


まず、十代目の隣の席だったからだ。
休み時間になっても席についていることが多いから、
十代目の御席の周辺で話していると嫌でも目に付く。
目に付くから、反射的に睨む。ある瞬間に目が合ったりすると、いっそう睨みを強める。
その女はすぐに目を逸らす。

けれど、目が合うのは休み時間だけではなかった。
たとえば授業中に当てられて、黒板から帰ってくるとき、その女は一瞬こちらを見るのだ。
見返せば絶対にすぐ逸らされるのだけど、獄寺は常に気づいている。
一瞬の視線を、頻繁に感じた。

十代目曰く「内藤さんは最初のテストで一番だったから、獄寺君をライバル視してるんじゃない?」ということだった。
驚いてから、鼻で笑った。獄寺にとって学校のテストなど競う合う価値もないようなことだ。
勝手に負けたと思って、こだわっているのだとしたら、呆れるほどプライドの高い女だった。

基本的に黙っているくせに、授業中に当てられたときだけは、はっきりと答える。
それが、いかにも優等生ぶっているという感じで、癇に障る。
だからといって回答は短いのに、嫌に通る声だった。


つまり、獄寺にとってその女は、特にかかわりはないが根本的に馬が合わない相手だった。
目が合った瞬間など、思い出したように砂のようなざらざらとした不快感を与えてくる存在。
だが、もともと彼と馬が合う相手は少ないし、本当にかかわりがなければ、
あえて女子に突っかかるほど彼は暇じゃない。問題はなかった。

しかしながら、ある人物によってそんな均衡は崩されていた。


「――そうなんだよ、内藤もそう思うだろ?」

山本武は、屋上からダイヴして以来、十代目に馴れ馴れしく近づいていた。
それだけでも面白くないのに、わざわざ十代目の隣の席のその女にも話題を振る。
十代目だけならともかくとして、なぜこの女に?と、疑問は耐えない。
野球バカと優等生の間にも接点があるようには思えなかった。
一方的に惚れたのだとしたら、他所でやってほしかった。
笑っているのは本人だけで、女は視線を彷徨わせ、十代目でさえ、二人に視線を行き来させていた。

獄寺自身は、無理やり会話をつなげようとしているような、そのくだらない世間話に加わったりしないが、
重大なのは自分が認めてもいない人間が、獄寺の『日常』の輪に近づいたりしているということだった。
有象無象がいくら増えても変わりはないが、少なくとも名前を覚えてしまう程度には認識してしまっていた。


ほとんど喋らないと思っていたのに、
その女は、あるとき学校の中庭に悠々と現れて、のたまった。


『……あんまり他人に干渉するのは好きじゃないけど、此処は学校だから。
爆発物とか、やめた方がいいと思うよ』  だったら干渉するな。余計なお世話だ。

『謝ってくれなくていいんだよ、私は忠告したかっただけだから。
でも、下手に目立つと、先生とか先輩とかに目を付けられるよ』  それはお前に関係ないことだ。

『煙草は身体に良くないよ』  自分の言うことなら聞くと思ってんのか。


偽善的で偉そうな発言は、獄寺の気分を大いに害した。
優等生ぶって好き勝手なことを言うくせに、こちらが睨めば目を逸らす。
うすっぺらい模範生であることを誇っているなら、勘違いもはなはだしいというものだ。
高いプライドで他人を見下しているなら、教室で孤立するのも当然だと思った。

その女に指図する権利はない。
なぜなら、生きてきた世界が違うからだ。
力もないのに人に言うことを聞かせられると思い込んでいるなら、
女は相当甘ったれた環境で育てられたのだろう。おめでたいことだ。
獄寺は過酷な環境を生き抜いてきたと自負している。
温室育ちの優等生さまとは違うのだ。
勝手に孤立して、勝手に悲観しているような女が許せなかった。

それなのに、あろうことかリボーンはその女をボンゴレに勧誘した。
理解できなかった。
あの赤ん坊の行動は獄寺の想像の範疇を超えるが、今度ばかりはわずかに反感を覚えた。


内藤かえでは獄寺に不快感を与える。
だから、かかわることを避けているつもりだった。
けれど人の縁とは不思議なもので、自分の意思とは関係なく、細い糸のようなもので繋がっているように思えた。
好意とは正反対でも、意識があるからこそ、取るに足りないようなつながりが大きく感じてしまうのかもしれない。


目に焼きついた光景がある。



茜色の空の下を泣きながら歩く女。
澄ましている普段には考えられないくらい、涙で汚れた顔。

獄寺のすぐ隣を通り過ぎたのに、気づきもしなかった。
『あの女』だということが信じられなかったくらいだ。

まるで幼児退行したような仕草。大声というわけではないが、
人目なんかあってもなくてもかまわないというふうに、嗚咽を零し続けている。
赤く腫れた顔はお世辞にも綺麗とはいえない。


けれど、何故か印象的で、胸の奥から離れない光景だった。
夏休みの補習の宿題に取り組んでいたのあの日、
その女の話題になって一番に思い浮かんだくらいに。


山本が連絡を取ったりするからいけないのだ。
いくら難解な問題だとはいえ、相談する相手を間違えている。
あの女に解けたのだから、自分にも解けるはずだと思って、再びプリントを見ていた。

すると、山本が言った。

『でもよ、たしかに内藤って普通じゃないよな』 そんなことはわかってる。認めざるを得ない事実。

『俺が腕骨折したときあっただろ?実はあのとき、内藤に予言されててさ』 最初は意味がわからなかった。

『怪我するから部活に行かない方がいい、ってさ。実際部活のあとに怪我したから、結構引っ掛かってたんだ』
それから、気味が悪いと思った。

けれど、その気味の悪さというのは単に"わからないもの"への感情であって、嫌悪とは少し違っていた。
"あの光景"の中にいる女は、とてもじゃないが恐怖の対象にはならなかったのだ。
優秀な頭脳を持っている獄寺だからこそ、理屈で説明のつかない事象に過剰に反応する。
だから、その女へのあてつけとかいうわけではなく、小さく「悪霊退散」と唱えた。


やがて学年が上がり、その女とはクラスが離れた。
かかわりが絶たれたとも言える。
女は制服を変えて、『風紀』の文字を主張していたが、
風紀委員を名乗ったのは聞いたことがあったので、
あんな組織に入れ込むなんて予想以上のバカだ。としか思わなかった。
その女がどんな格好をしていようと、獄寺にはあまり関係の無いことだ。

もう休み時間に話をしていて目に付くことも、
授業中に意味も無く視線を感じることも、目が合うことも、不快感を感じることもない。
知らない間に、雰囲気も、服装さえも変わった。

それでも、今でもなお、目が合えば反射的に睨むようになっているのは、なぜだろうか。
理由もなく、まるで宿敵のように。
もともとはありはしないと思っていた、『つながり』というやつは、
意識しなかったからこそ、重い鎖に変わるまで気づかなかった。

そしてこれからも、手に取ることはないのだろう。



獄寺は、今でも内藤かえでを見るたびに、あの茜色の光景が浮かぶ。


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