それはちょうど部活でスランプに陥ってるときだった。
同じクラスのツナに相談したら、「努力しかない」と言われ、「もっともだ」と思った。
このままじゃスタメン落ちだ。それを防ぐのは自分しかいない。
掃除が終わった途端に部活の鞄を持って教室から駆け出す。
「おい山本〜!」と同じ班の奴らの苦笑する声が遠ざかっていく。
今は一秒でも練習の時間が惜しかった。
廊下を走るな、なんてありふれた注意を気にしてる暇はなかった。
階段を下りようと方向転換したとき、誰かとぶつかった。
相手は、その拍子に尻餅をつく。
衝撃の軽さから女子だと気付いて、慌てて手を合わせ「うわ、悪ぃ!」と謝った。
しかし、相手から反応はなかった。
どうしたんだ、と思って相手の顔を見る。
それは同じクラスの女子、内藤だった。
俺は予想外の人物に少し驚いた。
学年トップの成績で頭が良く、優等生で先生からの受けも良い。
美人で大人びていて、男子の話題にもよく上る。
運動神経もよく、50M走のタイムは女子で五本の指に入る。
けれど、クラスの中心にいるというわけではない。
それどころか、近寄りがたい雰囲気があって、クラスでは浮いていた。
授業中当てられたら完璧な答えを返すくせに、それ以外では滅多に人と話さない。
話しかければ返事は返ってくるが、会話は最低限で終わってしまうと有名だった。
おどおどしているわけではなく、クールな印象が強い。
一人が好きなんだろうと言われていた。
俺も話すのは初めてに近かった。
内藤は目を見開いたまま動かない。
俺を見ているわけでもない。
どうしたんだ?ともう一度思って、「おい大丈夫か?」と声をかける。
怪我でもしたのか?
すると内藤は我に返ったみたいに俺を見て、制服の裾を掴んだ。
直後、放たれた言葉に耳を疑う。
「練習、行かない方がいい」
「……は?」
「疲れてるみたいだし、きっと怪我する」
正直、何を言ってるんだと思った。
練習に行かなければ上手くはなれない。
俺は内藤と話すのは初めてだ。
「何わけわかんないこと言ってんだ」
「ふざけんな」
「今まで俺がどれだけ野球に命かけてきたか知らないだろ」
「此処で全部水の泡になるんだぞ」
「スタメンから外れたらお前が責任取るのか」
湧き上がるように生まれる罵声を飲み込むのに苦労した。
元々苛々しているせいで、多分言い出したら止まらなくなる。
自分を否定されたような気分だった。
怒りを押し殺して、テキトーに笑う。
「おいおい、不吉なこと言わないでくれよ。
今はレギュラー取れるかどうかの大事な時期なんだ。頑張るしかないだろ?」
内藤は黙り込んだだけで、頷かなかった。
でも、内藤に同意されなくたって俺は練習に行く。
こいつはこんな奴だったのかと失望のような感情を持った。
内藤は息を吸ってこう言った。
「野球を長く続けたいなら、焦りは禁物だと思うよ」
吐き捨てるような言葉だった。
内藤は俺の目も見ないで立ち上がって、背を向けて歩いていった。
数秒眺めたあと、俺も黙って鞄を持ち、部活に向かう。
その日の部活終了後、俺は右腕を骨折した。
痛みに耐えて病院に向かいながら、内藤の顔が浮かんだ。
愚かな自分を、彼女は哂うだろうか。