63.光で紛れた薄い闇

最初は、毒にも薬にもならないはずの戯れだった。

『おや、目が覚めましたか』

彼女が攫われてきた理由は、近くをうろうろしていたから。
並盛中風紀委員だから。雲雀恭弥の恋人だから。ただそれだけだ。
骸が命じたわけではなく、雑用として連れてきていた黒曜中の一部の不良が自主的に行ったことだ。
彼らはよかれと思ったのだろうが、雲雀恭弥はすでにハズレだとわかっていたから、
わざわざ人質をとる必要は感じなかった。

それでも、しぶとかった男があっさりと抵抗をやめたのは酷く愉快だったし、
後々『契約』して駒として使う可能性を考えれば、原型を残しておくのは悪いことではないと思った。
連れてきてしまった以上、わざわざ口を封じて送り返すというのは手間である。
何か聞き出せるかもしれないという点について大して期待はしていなかったが、
"もしかしたら"というのが建前だった。
『アタリ』に行きつくまで退屈を紛らわせられるならそれでよかった。

『君を連れてきた彼らと、自分の運の悪さを恨んでください』

告げれば、両手首を拘束された彼女は骸を恨めしそうに睨んだ。
彼女にとって不幸中の幸いは、誘拐実行犯たちに人質としてのみ扱われたことである。
洗脳によって骸に従順で報告を優先していたからこそだ。
彼らの頭の悪さが別の方向に働いていたらこうはいかなかっただろう。
しかし、それを喜べるほど楽観的ではないらしい。

この強気な目はいつまで保つのだろうか、と思った。
彼女を運んできた連中には雲雀恭弥を牢に連れて行くように命じたため、今この部屋には二人きりだ。
さしあたり積極的な意思はないが、必要を感じれば あるいは 今後の態度によっては、
傷つけ、痛めつけるのも気分次第だろう。

まずは穏便に交渉の真似事でもしてみることにした。
すると意外なことに、彼女は『ボンゴレ』という名に反応を見せた。
ひょっとしたら思わぬ収穫が拾えるかもしれない と 身を入れて追及した。

『どうですか、教えてくれますか?』

これ以上口を閉ざすようなら そろそろ強硬手段に出ようかとも考えた。
瞳を覗き込むために肩に触れた そのとき、彼女は血相を変えて、目は驚愕に見開かれた。
『何か』を見つめて、怖気を震い、嗚咽のような悲鳴のような、声にならない声を零した。
戦慄をあらわにしていくその様子は異常といえた。

一言声をかけると、ようやく彼女の瞳は骸を捉えた。
ただし、先ほどとは違い、そこに明確な怯えを滲ませていた。
先ほどまでの余裕は見当たらず、恐怖に支配されている という感じだった。
頑なな守秘は 頑なな拒絶へと代わり、すなわち自分のことで手一杯になっていた。
まだ手は下していないというのに、どうしたことか。

『あ、あなたは、何?』

今思えば、その問いに対する答え方は無数にあったはずだ。
脱獄囚であり、事件の首謀者であり、黒曜中の生徒だ。
けれど彼女が、まるで化け物でも見たかのように、
まるで骸の本性を察したかのように 言うものだから、逆に問うた。

『また、おかしな質問をしますね。何に見えるんですか?』
『私には人だと思えない。……だって、あなたは人の概念を越えている』

たしかに六道輪廻を司る能力はヒトの手に余るものだろう。
それは骸が自ら望み欲して得たモノでもなかった。
だからといって、その一瞬で彼女は一体何を知ったのか。知ることができたのか。
――面白い。もしかしたらその有能さはボンゴレに通じているのかもしれない。
名乗り、名乗らせてみようという気になった。

そして『内藤かえで』名乗った、彼女の正体について問う。
もはや誰かを庇い立てする余裕などありはしないようだった。
ついにボンゴレとのかかわりを認め、その名を明かした。

人が堕ちていく様をみるのは愉快だ。
このまま追及すれば彼女は更に意志を崩すだろうか。飽くまで じっくり暴けばいい。
計画の順調さに気分をよくし、報告を待つため 上機嫌に部屋を出た。


だが、骸が次にその部屋に戻ってきたとき、彼女は消えていた。
もぬけの空だったのだ。

誰か助けにきたのか、それとも自力で抜け出したのか、
――どちらにせよ建物内を鼠が駆け回っているということに変わりないが、
考える前に、 ふと 妙なことに気づいた。

彼女の手首と柱をつないでいた拘束の紐が、輪を作ったままなのだ。
結び目もそのまま。ちぎれたり刃物で切れられたような箇所もない。
まるですり抜けたかのような……。

何か縄抜けのトリックを使ったのだろうか。
――拘束した瞬間には気を失っていたのに?
あるいは、ほどいた後に結び直したのだろうか。
――急いでいたはずなのに、なんのために?

まるで幻術でも使われたようだ、と幻術使いは思った。
呆然とした思考を笑みに直す。

『まるでガラスの靴ですね』

クフフと、彼は独特に笑った。
それが落とされたのは舞踏会というよりも魔女の屋敷でしかないけれど、
ボンゴレという組織を手に入れたら、その後でじっくり問いつめてみよう、
楽しみが一つ増えたと 建設的に考えることにした。





その後、骸はボンゴレに破れ、その思惑は叶わなかったために、怪奇は怪奇のままだった。
あのとき、早くに『契約』を交わしておくべきだった と、ささやかな悔いが手元に残った。

――そんな『内藤かえで』を視線の先において、少年の身体を借りた骸は、目を細める。
日曜日に行われた秋の野球大会は賑わいを見せていた。
山本武や 『みー君』の兄が出場している試合だ。
彼女は、手を振って言葉を交わしたから、たしかにボンゴレ十代目の一味と知り合いらしい。

そんなことを考えながら、ぼんやりと眺めていたところ、
休憩時間に人ごみとすれ違っていた内藤かえでは、ふいに歩みを止めた。
一瞬考え込む顔をしてから、きびすを返して反対方向に駆けていく。

急いで焦って、何を目指しているのかと思いきや、階段の中央で足を止めた。
それは、おそらく先回りだったのだろう。
しばらくして、人ごみに圧され階段で足を踏み外した女性を支えて受け止めた。

それは、予期していたとしか思えないタイミング。

軽く感謝されて、会釈で受けて、元の歩みに戻る。
気づいているのは骸だけのようだ。
試合が最大の盛り上がりを見せる最中、他人に関心を払っている物好きは他にいないだろう。
それによって、彼女の持つ異能の存在を確信する。

刹那目が合ったが、視線は素通りされた。
子供だからと油断したのだろう。
なんらかの察知能力があるはずだが、直感が鋭いわけではないらしい。

ではそれはどんな能力だろうか?
裏社会において情報は金よりも価値がある。
もしもヒトが知り得ない情報ならば、
それを持っているのが一般人だというのなら、ますます興味深い。

少年は口角を歪める。

探る機会はいずれ訪れるだろう。
ちょうど骸は、手足となる新たな『候補』を見つけているのだから。


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