62.

例の襲撃事件から二週間が経った。恭弥の怪我は順調に回復していて、
学校を長期欠席するのは不本意だという本人の意向もあり、次の週明けには退院できるそうだ。
私も、寂しいことは早く終わってくれると嬉しい。

元クラスメートの彼らも、順々に退院していった。
全員、応急措置が秀逸だったとかで、後遺症が残るようなことはないようだ。
沢田君は怪我というよりも 筋肉痛が酷くてまだまともに動けないらしい。
このままいけば山本君は来月の野球部の秋の大会に間に合うそうで、応援にいくね と約束した。

授業があって、休み時間があって、委員会活動があって、お見舞いに通う。
"昨日まで"と"今日"の変化の幅が少ない一連を日常と呼ぶのなら、
私の日々はたしかに『日常』と呼べる形に落ち着いた。

恭弥がいない私の学校生活の重点は、自然と教室に置かれることになる。
それは授業中だけでなく、できるかぎりクラスメートのそばにいることにつとめるようにした。
お昼ごはんは少し前から里奈子ちゃんのグループの隅っこに混ぜてもらっているし、その後の昼休みも今は教室で過ごしている。
移動教室のときも女の子の集団から離れすぎずを心がけて、挨拶以外にもちゃんと自分からも話しかけている。
それだけで随分円滑な人間関係を築けるようになった と感じているのは私の目標が低いからだろうか。

以前は『ひとり』を当たり前にしていたし、寂しさも感じていないつもりだった。
でも今は、足りない居場所を求めるほどに人恋しさを感じる。
それは受け入れてもらえるあてがあるからだ。
勉強をするでも本を読むでも、時間を潰す方法はいくらでもある。
でも、それはいつでもできることでもあって、それなら、
様々な反省点を鑑みて、クラスの一員としての自分を優先させようと思った。

そうやって群れに身を寄せるのは、慣れてしまえばとても楽だ と気づいた。
グループを形成することは、『共有する』ということだと思う。
話題を、興味を、秘密を、宿題を、悪意を、時間を、空間を。
自分ができない・しないことはきっと誰かが補ってくれて、明るい感情は膨らんで、暗い感情は擦り切れる。
賑やかさは不安を紛らわすから、孤独に染み渡る。

「かえで」「かえでちゃん」と、名前で呼んでくれる子が増えた。
話してみたかったと言ってくれた。それはとても幸福なことだと思った。
溶け込めない制服も、いい目印だと笑ってくれた。

『ひとり』が平気だと思っていたときは、強がりでもなんでもなく平気だと思っていたのだけど、
このぬるま湯のあたたかさを一度覚えたら、中々抜け出そうという気にはなれない。
その温度が懐かしいと感じた、私はやはり恭弥のいうところの草食動物なのだ。

その温度に縋りついていた過去があった。雁字搦めで息苦しくなっていた。
あんなふうに溺れてしまうことは 怖 い と、今はまだささやかな警戒心が残っている。
それさえもいつか日常に融けてしまうだろうか。
笑顔を保って、大勢の会話についていくことにまだ戸惑ったりもするけど、
立派な『止まり木』ができたことが誇らしかった。


一方、風紀委員としての私は、不穏な報告を受けていた。
恭弥の不在を良しとして校内の風紀を乱す輩がいる と。
このタイミングを狙うなんて不謹慎だ と思うんだけど、
被害を受けていない人にとっては喉元過ぎれば熱さを忘れるというわけだろうか。
まぁ風紀は日ごろの行いが悪いから、恨みを買うのも仕方ないけど、命知らずだなぁ、とは思う。
今現在怪我がなく無事ということは六道骸の言っていた『ケンカの強さランキング』から外れたって事だから、
恭弥や風紀の上級生の足元にも及ばないはずだ。
その証拠に、風紀に逆らったという報告は返り討ちとセットだ。

風紀は好き勝手な集団に見えて、案外統制が取れている。
下手なことをするとすぐにブラックリストに載って目をつけられるから、
敵対するなら足がつかないようにするか徹底的にやるかのどちらかだ。

恐ろしいのは、徹底的にやる というほうを選ばれた場合だ。
今回のことでよくわかった。私は風紀の、恭弥の弱点だ。
少なくとも周囲からはそう認識されるということを 自覚しなくてはいけない。

女子で、風紀委員で、雲雀恭弥の彼女。
そこに危険がつきまとうのは当然で、今に始まったことではない。
虎の威を借る狐は、ある程度自信を持った相手には通用しない。
風紀のやり方が横暴だったとして、この制服を着ていればその謗りを受けることになる。

それでも、
同級生や下級生、女性の先輩からの悪印象は里奈子ちゃんのおかげで払拭されつつある。
私の服装や態度に思うところがあっても、
わざわざ風紀の名にかかわろうとする人は奇特だから、せいぜい視線をくれるくらいだ。
典型的ないじめの対象からは逃れることができている。

危険があるとすれば三年生男子だ。
同級生である恭弥に対して反抗心や恨みを持っている人も少なくない。
恭弥は普段圧倒的な暴力でその口を封じているけれど、
敵わないから服従していても、一矢報いる隙を窺っている人がいる。
里奈子ちゃんは『虎の威を借る狐』が通じない相手というのを想定していなかったのだろう。
本来はそんなもの想定する必要が見当たらないから。

彼女の活躍は、私が気に入らないという女子に対しては効果があった。
気持ちが嬉しかったし、それはそれで十分助かったと言える。
一方で、恭弥が気に入らないという男子に対して不要に名前を広めてしまったという一面もある。
まぁ、制服を変えた時点で目立ってしまうことは覚悟していたのだけど。

普通の生徒よりも危険の可能性が高いのだから、自衛することを考えなくてはいけない。
安全の可能性はできるかぎり高めておくべきだと思う。
護身術を学んで、防犯グッズを常備することはもちろん、
そもそも何か行動を起こされる前にできるだけ隙を作らないことを心がけた。
帰り道に人気のない道は通らない、校内でもできるだけ一人にならない、などなど。
クラスメートの群れに溶け込もうと思ったのはこれも一つの理由である。

防犯グッズ スタンガンも催涙スプレーも、恭弥に預けたら改造されて返ってきた。
エリちゃんには、会うたびに指導してもらっている。
黒曜であった事件を後で聞いてますます心配して、協力してくれる。
知っていればあんな基礎の基礎じゃなくてもっと徹底的に説明すればよかった!とのこと。
習い事や部活として本格的にできたらいいと思うんだけど、
他人との接触が苦手な私はまだ踏み切ることができない。
ナオともぎこちなさが減って元通りに話せるようになってきたし、江沢君は頭撫でてくれた。


――そんなふうに気をつけてはいたんだけど、相手もこの好機を逃すまいと窺っていた。
隙はできてしまうものだ。
駐輪場に向かう途中、階段でたむろしていた三年生男子に呼び止められた。

第一声に振り向いて、嫌だな と思った。
男子の平均身長並の背の高さに近づかれたら威圧感がある。
恥ずかしい写真でも撮るか とか、下世話なことを言われるのも虫唾が走るけど、無視するしかない。
人気のない方向に向かうのは危険だ。道を変えようと、踵を返した。

「風紀に異議を申し立てたければ、私に言わないで、文書で提出してください」

そんな文書、恭弥の意識に触れもしないだろうけど、足早になりながら言い捨てた。
「待て」と掴まれそうになった手を振り払って、駆け出す。
いくら自衛をするって言っても、武器を持っていても、一対多数は荷が重い。
ひとりの不審者くらいはどうにかできるかもしれなくても、
良くも悪くも、集団というのは力があるのだ。

女子の中では足が速いほうなんだけど、全速力がどれだけ保つかわからない。
その前に人目のあるところへ逃げ込まなくてはいけない。
あとは報告すれば他の風紀が処理してくれるし、
もう何日か辛抱すれば、この学校に秩序の要が帰ってくる。それだけのことだ。

必死に走っていたら、曲がり角で誰かとぶつかった。
あぁ? と柄の悪い声が降ってきて、顔を上げると舌打ちされた。
見えた映像によって予測できていたけど、それは獄寺君だった。

「ごめん! ちょっと急いでて」

なんでこういうときに、嫌われている人に突き当たるんだろう。
すぐに立ち上がってまた走り出そうとしたら、「おい」と腕を掴まれた。
これじゃ不良に絡まれている状況として何も変わっていない。

「ちょっと、本当に急いでるの! あとでちゃんと謝るから、逃げさせて」
「……逃げる?」

そうこう言っている間に、例の三年生が背後で私を呼んだ。
引きつった顔を振り向かせるより早く、獄寺君が一歩前に出た。

「なんだ てめぇら」
「あぁ? なんで獄寺がいんだよ。俺たちはヒバリの彼女に用があるんだ」

獄寺君はちらりと私を見た。私はとりあえず首を振った。
逃げたいんだけど、獄寺君は私の腕を掴んだままで、びくともしない。
見かけのわりに悪い人じゃないと思っているんだけど、
嫌われている自信があるから楽観できない。

「さっさとどけよ」
「……胸糞悪ぃ」

ぼそっと呟いて、獄寺君は私の手を離した。
かと思えば、その両手には指の数だけダイナマイトが装備されていた。

「果てろ」

そう言って、あっというまに三年生を伸してしまった。
そういえば獄寺君ってこの学校で三番目に強いんだよね。
もしかしたら優しいのかもしれない、と、助けてもらったらしいことに感動していると、
獄寺君は再び私のところに来て、吐き捨てるように告げた。

「てめぇを助けたわけじゃねぇ」
「でも助かったから、ありがとう。借りが一つ増えたね?」
「……気に入らねぇ」
「知ってるよ」

睨まれて、舌打ちされて、目を逸らされて。
これくらいストレートな悪意だと迷わなくていい。
私だって獄寺君は苦手な部類だ。

借りばかり増えてどうしようか、なんて悩んでいると、獄寺君はまだ私を見ていた。
いつものように睨んでいるわけじゃなくて、物言いたげな視線だ。
そういえば、私はさっき引き止められたんだった。
更なる謝罪を強要していたわけじゃなかったのなら、何か用事があったんだろうか。
何回か行った山本君と沢田君のお見舞いのときは、視線を向ければ逸らされるばかりだったけど。
……私が見たときに逸らすということは、もしかして視線を向けられていた?
沢田君や山本君がいる前では話そうとしなかった?

「何?」
「聞きたいことがある。お前の移動飛距離はどれくらいだ?」
「は?」
「滞空時間は? 体に負荷はどれくらいかかる?」

いつのまにか、獄寺君は真顔で、メモ帳を手にしている。
私に対してこんなに饒舌なんて、初めて見る。
発せられた単語には、嫌な予感がするばかりだった。

「なんの話をしてるの?」
「とぼけんな。俺は自分の目で見たものは信じる主義だ。
ESPについては半信半疑だったが、サイコキネシスを見たからな……。
テレポートと、一瞬宙に浮いてただろ。認めてやるよ。お前がサイキッカーだって!」
「ええぇ?」
リボーンに超能力者だって言われたときもそうだったけど、
その数倍、こそばゆい気持ちになった。
楽しそうなところ悪いけど、私はそんなに面白いものじゃない。

獄寺君がSFマニアで、ESP(超感覚的知覚)――いわゆるエスパーにはそれほど興味を持っていなくて、念力など物理的に力を及ぼすサイコキネシスには強い関心がある ということはわかった。
それくらいの知識はかろうじて私も持っている。
彼らの前に突然現れた私は、恭弥のいうところの『ワープ』で、
瞬間移動(テレポート)に見えて、サイコキネシスに分類されるわけだ。
この現実味のなさが、自分で言ってて気持ち悪い。

"あれは、違うの"

声を大にして主張したいけど、感覚的なものだから、わかってもらえないだろうな。
あれは本来の私じゃない。持っていたものじゃない。持っていいものじゃないし、再び持てるものでもない。身体中の祈りを絞り出した奇跡。

自分が特異な存在だと認めた上で、
あえて名前をつけるなら、私は"スキャナー"じゃないかな と思う。
本来は五感以上の知覚手段を持ち合わせているとは思うから。物は言いようだ。
テレパシーはできないけど、考えようによっては透視や千里眼の真似事はできる。
予知と、過去を見るのは 物体に残る人の残留思念を読み取るというサイコメトリーに近い。
ただし、エスパーという名称は鳥肌が立つくらい嫌だ。

テレパシーとかパイロキネシスとか、獄寺君の口からはSFっぽい単語がどんどん飛び出した。
なまじ頭が良いせいで、異能と科学的根拠を結び付けようとするから面倒だ。
私にしてみれば、リボーンに撃たれても生き返る沢田君のほうがよっぽど不思議だし、
大量のダイナマイトを常備している獄寺君のほうが変人だ。

恐ろしいのは、純粋な興味に押されると、うっかり口を滑らしそうになることだ。
だっていっつも怖い獄寺君に親しみやすさなんて感じてしまったから、私も答えたくなってしまうじゃないか。
案外言っても平気なのかもしれないなぁ なんて思ったけど、
言ったところで 彼の知的好奇心を満たすことはできなさそうだから、やっぱりやめた。

私には他人の未来と過去が見えてしまうことがあるけれど、
それよりも、ちゃんと現在が見える人になれたらいい と 切に思う。


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