60.

ようやく熱が下がって、体調も回復した。
すっきり澄んだ思考と正常に動く身体が久しぶりで、
まるであの事件から随分時間が経ったかのように感じた。

数日ぶりに学校に行くと、何人かの女の子が心配して声をかけてくれた。
ただの体調不良といっても、私が風紀委員で、事件とのタイミングがあったから、
いろいろと憶測が飛び交っていたらしい。男子からの視線もちらほらと感じた。
寝込んだ原因についてはあながち間違っていないのだけど、
骨折とかそういうわかりやすい怪我はないから、無事と判断されたようだ。

プリントは届けてもらっていたし、ノートを借りる約束も取り付けてあったので、落ち着いて授業を受けられた。
校内はまだ事件の余波が残っていて、包帯姿の生徒を見かけることも多かった。
六道骸が狙ったのは『喧嘩が強いランキング』に載っている生徒らしいから、
被害者は三年生が大部分を占めていた。

「内藤かえではいるか」

昼休みに風紀委員の集団訪問を受けた。先輩も、同級生もいる。
一見してむさくるしくて恐いから、私は慣れたからいいけど、クラスの子は引いてた。
顔も売れているし、制服が違って目立つので、私だと名乗るまでもない。

「はい、なんでしょう」
「委員長に、これを」

どうやらお見舞いの品と書類その他諸々のようだ。
恭弥が入院していて、私がお見舞いに行くのは周知の確定事項だ。
風紀全員(大人数)で行ったらどうなることは言うまでもない。
けれど、私は恭弥の彼女で風紀委員の書記だけど、二年生だ。

「私が代表でいいんですか?」
「俺たちも野暮をする気はない。それに――」
「それに?」
「正直、手負いの猛獣には近寄りたくない」

潜められた苦笑に苦笑を返した。なるほど。
去年のクリスマスに風邪で入院していたときでさえ――あれは冬休みで退屈だったせいもあるんだろうけど、
"ゲーム"と称してストレス解消の犠牲者を出していた。
六道骸への敵意とか、怪我で自由のきかない身体への苛立ちとか、学校を休むことへの遺憾だとか。
恭弥がいつも以上に不機嫌になる要素ならいくらでもある。

私も安全とは言い切れないんだけど、一応今までに咬み殺されたことはないし、
今更恐れるとか恐れないとかそういう問題でもない。
代表にされなくてもどうせお見舞いには行くんだから、喜んで引き受けよう。

「わかりました。
……でも、これ、私ひとりで運ぶのは無理です、ね」

鞄には普段どおりの教科書とノート。
学校帰りに病院に寄ろうと思っていたから、お見舞いの品の本も何冊か持ってきていた。
数名の男子生徒が分担して運んできたような荷物を一人で運ぶのは不可能だ。

「草壁副委員長をはじめとし、風紀委員は他にも複数名入院している。
どちらにせよ病院に用はあるから、荷物は我らが運ぼう」
「すみません、お手数おかけします。
ところで、ここ数日の見回りや警備体制はどうなっていますか?」

業務連絡を少々。
私も数日休んでいたので、把握していない部分があるのだ。
書記としての仕事のためでもあるけど、恭弥に報告するためだ。
ここが教室だという認識が甘かったことは、
風紀が去った後に残ったクラスメートからの視線を浴びて思い知った。


* * *


クラスの子も、知り合いのお見舞いに行くという子がたくさんいたから、受付まで一緒に行くことになった。
荷物は病院に預けられていて、看護士さんに聞くと、ひとつのカートにまとめられて出てきた。
恭弥の名前を出しただけで院長を呼ばれそうになるほど恐縮された。VIP待遇は相変わらずだ。

「雲雀さんに、お大事にしてくださいって伝えて」
「あ、私たちの名前出しちゃダメだよ!」

なんだかんだと恐れられてはいるが、今回の件で恭弥に感謝している子は多い。
並盛を守るための、名誉の負傷と認識されているのだ。
それを知ったら知ったで、恭弥は不快に思うだろうな。
だって、真実その勲章は沢田君たちのものだから。
けれど公に否定することもないだろう。風紀は秩序の名を負う。
屈辱は静かに噛み締めるものだ。

私に、何ができるわけじゃないけれど、せめて、覚えていよう。
彼の中からこの出来事が消えるまで。
口に出すことも態度に出すこともなく、私の感情と一緒に、お墓まで持っていくつもりで。

そんなことを思いながら、ノックをした。
短い返事でも声が聞けたことに嬉しくなってしまう。
ドアを開けると、わかっていたこととはいえ、
ギプスや包帯だらけで満身創痍の姿に、目を瞠ってしまった。

「久しぶり」

実際にはほんの数日ぶりなのだけど、たしかに久しぶりに感じた。

「ひさしぶり……あの、大丈夫?」
「大丈夫に見えるの」

見えない。

「……大丈夫だよ」

そんなに酷い顔をしていただろうか。
白々しいことを言われて、かろうじて自由な左手で手招きされる。
誘われるままにベッドの傍に行き、少し屈むと、熱を計るように額に手を当てられた。
すると私には、あの部屋で別れてから、ここ数日間に起こった恭弥の過去が光景として流れ込んできた。
見尽くして、ひとつ息を吐く。

「3週間の入院なんて、やっぱり大変な怪我だね」
「退屈すぎて殺しそうだよ」

"死にそう"じゃないところが恭弥らしい。
"殴りそう"だったらいつもやってるしね。
誰を、とは聞かないでおこう。多分私じゃないし。
私は「早く良くなってね」と願うことしかできない。

「熱はもう下がったみたいだね」
「うん。パパも昔、ああいうことになった後に、高熱で倒れたんだって」
「それも遺伝か……。他に怪我は?」
「ないよ。私は無事」
「それならいいけど」

運んできた荷物を部屋に入れて、風紀からの連絡を伝える。
それから、みんなからのお見舞いの言葉も。

「ねぇ、君はあの男に何をされたの」

恭弥は話の腰を折って、唐突に問うた。
なんだか誤解を招きそうな質問で嫌だ。やましいことは何もない。
多分、私が泣いて恭弥の元へ逃げ出したせいだろうな、と思う。

「あの男って、六道骸?」
「そう、それ」
「わざとされたのは誘導尋問くらい。
でも、触れたら、『文字通り』地獄が見えたの。怖かった。
この世のものじゃない光景って本当にあるんだね」

言葉にすると一行にまとまってしまうんだからあっけない。
けれど覚えている。
あの灼熱、あの亡霊、あの怒号、あの悲鳴、あの絶望、あの恐怖。

普通の日常ではすれ違うことさえないような光景。
マフィアという存在が近くにいたからこそ巻き込まれた事件。

「恭弥は、リボーンや沢田君たちのこと どう思ってるの?」
「どういう意味で?」
「マフィアになれって誘われたことない?
あれって本気だと思う? 本気だとしたら、恭弥はマフィアになろうと思う?」
「さぁ。僕は彼を咬み殺せればいい」
「そうかもしれないけど、でも、」
ひとりで悩まないで恭弥に聞いてみよう と、
自然に思えるようになったのは進歩かもしれない。
でもその先が続かない。

恭弥が了承したら私も了承するかもしれない みたいな、
他人任せな約束をかつてリボーンと交わしたことがある。
私の気持ちは拒絶に傾くばかりなのに。
だからって恭弥に、頼み込むこともできない。

恭弥は少し声を苛つかせた。

「僕にどうしてほしいの」

危ないことをしないでほしい?
マフィア、沢田君たちにかかわらないでほしい?

――嫌だ。それを乞うことは、私が。
我が儘だからとか束縛だからとかじゃなくて、
それ以上に、雲雀恭弥という人間に似つかわしくない。
彼の楽しみや悦びを否定して私が成り立つわけがない。
私は、恭弥だから好きになったのに。
平凡を捨ててでも非日常を欲しいと思えたのに。

そう、人を好きになることは、怖い。
何もかも欲しくなってしまう。独占したくなる。
収まるはずのない他人の意を自分の領域に収めようとするなんて、ぞっとする
彼に近しいポジションを得たからって、彼自身を占拠する権利などあるはずがないのに。
だから――

「そのままでいてほしい。好きなように、生きて」

私も、好きにするから。
万が一恭弥が沢田君に味方したって、私もそうなる必要はない。
あくまでも恭弥個人の味方でさえあればいい。
私たちは別個の人間なのだから、何もかも共有することは不可能だ。それがベストではない。
誰よりも大好きだからこそ、心地よい距離を模索し続けよう。

「君もね」

その言葉は嬉しかったけれど、
恭弥が私の意見を捻じ曲げることは容易だから、悔しい。


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