58.ハリボテの羽で空を飛ぼう

あまりの空腹と頭痛で意識が浮上した。
目を開けると、居慣れた空間が広がっていた。
パジャマ姿で自分の部屋のベッドに横たわっている。
起き上がろうすると酷い疲れに襲われた。

沢田君たちを見送ってから、私は借りたお金でタクシーに乗って家に帰り、
出迎えてくれたパパに抱きとめられながら倒れた。
緊張の糸が切れ、朦朧とする意識を留めておくことができなかったのだ。

パパならそれで事情がすべてわかっただろう。
知られてしまう恐ろしさの数倍もの安心感が私を満たしていた。
恐ろしいモノの傍に囚われる恐怖からも、
未知なる異能に飲み込まれる恐怖からも、
大切な人を失うかもしれない恐怖からも、逃避することができた。

窓から白い光が差し込んでいた。
壁にかかっている時計を見ると、もう八時に近い。
昨日が終わって、夜が明けたのだ。
恭弥は、沢田君たちは一体どうなったのだろう。
どうか無事でいてほしい。私がこんなにも無事、だから。

せめてケータイがあれば連絡を取れるのに、と思って、
だるい体を持ち上げると、机の上に私の鞄が置いてあった。
びっくりして、ベッドから降りて駆け寄ろうとすると、貧血のような頭痛と眩暈がした。
それでもどうにか到達して、真っ先に携帯電話を手に取った。
新着メールが7通もあることに驚いた。着信もある。

里奈子ちゃんからが一番多かった。
心配してくれたり、午前授業になったことを教えてくれたり、
今日私が学校に来ていないことを問い詰める内容だったり。
他にもクラスの子から、お見舞いのメールが入っていた。
私は今日、病欠しているらしい。

そんな中で、昨日の夕方に山本君から、たった一言『 勝ったぞ 』とメールが入っていた。
私は胸が熱くなって、泣きそうになった。言葉にならない。
よかったと、心から本当によかったと思った。

『 無事? 』

今日の早朝に送信されたメールは恭弥からで、あまりの短さに笑ってしまった。
これは永久保存版だ。
恭弥はいつも電話だから、メールを打つのに慣れていないんじゃないかとさえ思ってしまう。

さあ返信をしなきゃと明るい気持ちで思えたとき、
ドアがノックされて、お粥を持ってママが入ってきた。

「かえで、寝てなきゃダメだよ」
「ママ」
「熱が40度近くあるの。あろう君が作ったお粥、食べられる?」
「ええと、うん」

吐き気が込み上げてくるほどの、おなかが痛くなるくらいの空腹で、逆に食欲はなかったのだけれど、夕飯も食べていないだろうし、食べなきゃいけない・心配かけちゃいけないという気持ちが勝った。
再びベッドに戻って、上半身を起こした。

「熱いから気をつけてね」
「ママ、仕事は?」
「こういうときくらいお休み。かえでが熱出したんだもの」
「パパは?」
「今日は私が看病するんだから、って代わってもらったの。畑に行ったよ」

ママは、たしかに今はすごく忙しいという時期ではないらしいから、
有休を取ってもいいのかもしれないけれど、私のために、よかったのだろうか。
考えが顔に出ていたらしくて、ママは頭を撫でてくれた。

「大変だったね」

その笑顔を見て、私はすべて知られているのだと理解した。
そして無性に泣きたくなった。まるでずっと迷子になっていたみたい。
帰ってこれなかったかもしれないと思うから。

「大切なものを守ることができた?」
「……うん」
「そうか、それなら大丈夫だね」

ママは、ぎゅっと私を抱きしめてくれた。
それは最高の「おかえり」だった。

「ところで、私の鞄は誰が届けてくれたの?」
「黒い服の男の人たち。恭弥君の知り合いかな?」
「うん、きっと」

恭弥のすごさは、ママもなんとなくだけど知っている。
もしくはボンゴレ……つまり沢田君やリボーンの仕業だろうと思う。
なんにしろ、荷物が返ってきたことに安心する。
それは彼らの無事を示すから。

「あろう君も昔、かえでと同じように熱出したんだよ。
だから今日と明日は学校お休み。ね?」
「うん……あ、でもその前に恭弥のお見舞いに行かなきゃ」
「だーめ! 風邪うつしちゃうよ?」
「……それはダメだね」

パパの作った料理はお粥といえどもやっぱり美味しくて、体が温まった。
それでもお粥を無理やり流し込むのがやっとで、健康とは程遠かった。
疲れが溜まっていたみたいだ。無茶をしたから。

お粥を食べ終わると、ママは器を下げてくれた。
欲しい物は特にないと答えると、後でりんごを剥いてくれるそうだ。大丈夫かなあ。
ママも料理が出来ないわけじゃないんだけれど、いつもはパパがやっていることだから。

「私もおとなしく寝るから、ママも仕事していていいよ!」

そう言うと、ママは少し不満そうだったけれど、ちょくちょく様子を見に来た。
私は忘れずに全てのメールに返信してから、睡魔に従った。
新たな返信が来るたびに起こされて、また返事を返した。
それでも、そんなやりとりが、とても幸福だった。

パパは夕方の、いつもより早い時間に帰ってきた。
すごく心配されていたことがわかる。
私は一日中寝ていたおかげで、熱も下がってきていた。

「かえで」

パパは、あの異能な感覚を体験したことがあるのだろうか。
過去や未来を見るのとはまったく違う、空間に入っていく力。
自分という存在を歪める力を、知っているだろうか。

パパは、この世のものとは思えない光景を目の当たりにしたことがあるだろうか。
誰にも理解されない凄惨な悪夢に、触れてしまったことがあるだろうか。
怖いとは思わなかっただろうか。すべてを。

聞いてみたかったけれど、聞けずにいると、
大きな手のひらと温かい笑顔が頭を撫でた。

「かえで、僕らには普通の人に見えないものが見えるけれど、
無闇に全てを受け入れようとしなくていいんだよ。
世界中の闇を覗くにはあまりにちっぽけな身だろう。人は強いけど、弱いから」

「うん」

「心配させないでっていうのは難しいかな。
でも覚えていて。俺は毎日あったかいご飯を作って待ってるから、絶対帰ってくるんだよ」

「うん」

「俺は父親だから、かえでを守りたいと思うけど、籠の中に閉じ込めたいわけじゃない。
かえでが選んだ道なら、幸せになれるというのなら、応援するよ。
帰ってきたときに精一杯甘えればいいんだ」

「……ありがとう」

私はこんなにも愛されている。


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