53.覚悟は祈りにも似て

気がつくと、廃墟の中だった。
私は両の手首を後ろで縛られ、床に転がされていた。貧血みたいに頭がだるい。
見えた映像と似た雰囲気の部屋だったから、ここが黒曜ヘルシーランドの中だと推定する。

「おや、目が覚めましたか」

黒曜中の制服を着た男子がソファーに腰掛けていた。すごく見覚えがある。
赤と青の左右で異なる瞳、制服の中に着ている迷彩Tシャツ。
『ムクロ』という不吉な名前で呼ばれていた、この事件の首謀者らしき人物だ。
私は、自分の不甲斐なさが恨めしくて、彼を睨みつけた。
なんとか座りなおしたけれど、手首を縛っている紐が柱に繋がれているせいでそれ以上動けない。
彼は優雅なほどに余裕たっぷりな様子だ。

「頭の悪い連中に乱暴な扱いを受けたりしなくてよかったですね」
「これは充分に乱暴な扱いだと思うけど」
「クフフフ、そうですね」

同調されたことが同情されているように感じて腹立たしい。
今、間違いなく彼の方が優位な立場にあるのだ。
最悪という言葉以外で表現できなかった。

「君を誘拐する予定はなかったんですが、連れてきてしまったものはしかたない。
人質が多くて困ることはないですからね。ちょうど退屈していたんです。
君を連れてきた彼らと、自分の運の悪さを恨んでください」

そんなの、そもそもこんな事件を起こした諸悪の根源を一番に恨むに決まっている。
被害にあった風紀や一般生徒のことを思い起こす。笹川先輩の怪我の酷かったこと。
それになによりも、あのとき見た未来が現実に起こったのだとしたら。

「恭弥先輩は――恭弥はどこ?」

普段、人に話すときは敬称をつけているけれど、今はそんな注意を払っている場合じゃないとさえ感じた。

「クフフ、別の部屋で横になってもらっています。君はいいところに来たんですよ。
頭の悪い連中も、たまには役に立つことをしますね。
君が捕まったのを見て、ようやく彼は観念してくれましたから。
それまではどれだけ痛めつけられても僕から視線を外さなかったんですよ。
かといって一言も喋ろうとしないし、君の恋人はずいぶん強情な男ですね」

クフフ、と彼はまた個性的な笑い方をした。
『恋人』とこの男に言われると、なんだか侮辱されたような気分になった。
さらりと言われた「どれだけ痛めつけられても」という言葉が私の心臓を掴んだ。

「あなたに言われたくない。恭弥を返して」
「面白いですね。それを囚われている君が言いますか」
「うるさいわ」
「彼が喋ってくれないぶん、君とは余計なおしゃべりをしようと思っているんですよ。
雲雀恭弥には、だんまりを決めこまれてしまいましたからね。
ハズレだったとはいえ、並盛の秩序というからには何かしら有益な情報を持っていると思ったんですが。
こうもハズレが続くとそろそろ別の手も考えなくてはいけません。
その制服を見ると君も並盛の風紀委員なんでしょう? 女性は初めて見ました」
「……恭弥がハズレってどういうこと」

いちいち反応するのは癪だったのだけど、聞き流せないことだけ問うた。
この事件は、少なくとも最初は風紀を狙っていたはずだ。
そうじゃなくても、並盛に恨みがあるのだとしたらトップに君臨する恭弥が『ハズレ』なはずがない。
じゃあアタリってなんなんだ。どうしてなんのためにこんなことを。
男は答えた。


「マフィアの一員ではなかった、ということです」


唖然とする。その単語は瞬時に私に特定の人物を連想させた。
かつて隣の席だった、ダメツナと呼ばれていた男の子は、ボスになるんだと言われていた。
達者に喋る物騒な赤ん坊はついさっき電話で『気になることがある』と言っていた。
沢田君、リボーン、山本君、獄寺君、内藤君、牛柄の男の子、それから、それから。
それってつまり、彼らがマフィアなんかだから、こんな事件が起こったってことじゃないか。

「おや、何か知っている顔ですね。もしかして君はボンゴレという組織をご存知ですか?」

ボンゴレ。その名前にも聞き覚えがある。
たしか夏祭りでリボーンがいいもんのマフィアだとか言っていた。
あの言い草だと、きっと沢田君たちがその『ボンゴレ』なんだ。

事実が衝撃的すぎて言葉を失った。
つまりこの状況は彼らを恨めばいいってことなの?
どちらにしろ、何か言えば情報を提供するようで怖かったから、黙り込むことに決めた。

「困りましたね。君には自分の立場を理解してもらわなくてはいけないようだ。
君が雲雀恭弥にとって人質であると同時に、彼も君への人質なんですよ。
返してほしいなら積極的に協力していただきたいんですが」

恭弥の名前を出すなんて、性格が悪い。
ただでさえ心配でたまらないっていうのに。
けれど、短絡的になってもきっと後悔するだけだ。

「誰が、あなたみたいな人の言うことを信用できるっていうの」
「んー、そうですね。僕のことを信じてくれなくても結構ですよ。
怖がらせるよりは自主的に話してもらおうと努力をしているだけです。暇ですからね。
それにしても、もったいぶるということは、それに値する情報を持っていると取りますよ」
「……知らない」
「答えは本当にそれでいいんですか?」


物腰と口調は柔らかに、けれど並々ならない威をともなって彼は私に歩みよった。
そして、青と赤のオッドアイが穏やかな笑みを湛えたまま床に座っている私を覗き込んだ。
左右で色の違う瞳なんて初めて見た。たしか虹彩異色症っていうんだよね。
人を見透かすような視線が私を射抜いた。

怖くても、怖いからこそ目を逸らさないのは私のくせのようなものだ。
睨んでも唸っても状況は変わらないけど、
威嚇するように視線を据えるのはせめて心が折れないようにするためかもしれない。

「知らない。……たいしたことは、何も」
「じゃあその大したことのない情報を教えてもらいましょうか」

正直に口を滑らせてしまったのは、
私がこの状況になってまで沢田君たちを庇うべきか、決めかねていたからだと思う。
だってもともと彼らが呼び込んだ災いでしょう。
そりゃあ、できるだけ不利になってほしくないとは思うけど、危機を迎えているのは私のほうなのだ。
ああ、でもだからってやっぱり知り合いを売るようなまねには出来るだけ抵抗したいわけで、
やっぱり黙り込むしかなかった。

「庇っているんですか? つまりボンゴレと知り合いってことでしょうか」

彼は痛いところをつく。
カウンセリングのつもりだろうか、合わせた目から心の中を読み取ろうとでもしているようだ。

「ああ、何を喋っても君が気に病む必要はないんですよ。
どうせこれからわかることなんですから、どっちにしろ時間の問題です。
君は自分の身と、せいぜい恋人の身でも心配したらどうですか」

彼は、耳元で悪魔のように囁いた。
最後の言葉は余計なお世話だと思うけれど、どれも説得力があることにはある。
どうやら私は説き伏せられようとしているらしい。

近距離にあればあるほど、得体の知れない不気味さを感じさせた。
まるで、混沌とした闇が彼の周りを渦巻いているようだ。

「どうですか、教えてくれますか?」

最終宣告とばかりに、彼は問い、そして、私の肩に手を伸ばした。
そんな『接触』に、心はいつものように過剰反応した。
けれど、同時に、好機かもしれないと思った。
最終手段をあてにするのは褒められたことじゃないけど、
私は無力で、状況を打開する『何か』を得られるとしたらこれしか考えられなかったのだ。


――これまで、この力で得たものなんてあっただろうか。
失うもののほうが多かったってわかりきってたのに、ね。


あえて動かないように自分を固定し、意識を集中させた。
急な硬直は不自然だったかもしれないけど、そんなことはしらない。



闇に包まれた。


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