50.

土曜日の夕食時に、ケータイが着信を告げた。
恭弥からだった。
はいもしもし、と受け答えると、唐突な用件が返ってきた。

「風紀が三人襲われた。犯人は捜査中。 安全のために、しばらく家から出ないで」

緊迫した状況に、思わず背筋が伸びた。
深呼吸して、冷静になろうと努める。

「三人って、別々に? 怪我は?」
「別々にだよ。怪我は重傷。特に、歯をほとんど抜かれていてね」
「ひっ」

あまりにも痛々しい話に、自分の口を押さえた。
歯を抜くって、それは喧嘩というよりもむしろ拷問なんじゃないだろうか。どんな危ない状況だ。

けれど恭弥の言葉は疑いようがないし、事実として受け止めなくてはいけない。
並中の風紀というのはそういうものなのだ。
暴力的な側面を否定して、幸福な部分だけに眼を向けることはできない。あまりにも身勝手だ。
私は事務専門で、応接室の外で起こることには基本的にノータッチだ。
けれど、旧制服と緑の腕章、つまりは風紀委員の証をまとう時点で、責任はある。
風紀委員が危ない役職だなんてわかりきっていた。

風紀は誰もが覚悟を持って仕事をしている。
自分の身が自分で守れないようでは、務まらないし、切り捨てられる。
たとえば安全な場所に閉じこもったり、誰かの傍を離れないことが、
私にとっての自己防衛手段で、数少ない『できること』なら、せめてそれを精一杯守るしかない。

それから、いつ、誰が、どうして、どんなふうに、とか、思いつくかぎりの質問をした。
わかったのは、これが恭弥にとっても唐突な事態だったということだった。
応答する声から苛々とした心境を感じ取った私は、これ以上邪魔しちゃいけないと思って、
「もう切るよ」と言われる前に、電話の最後に誓った。

「わかりました。明日は予定もないから、一歩も家から出ないように気をつけます。
……えーっと、心配無用かもしれないけど、気をつけて。早く犯人捕まえて、ね」
「わかってるよ」

そこで通話は切れた。


夜寝る前に、詳細や状況の変化を聞くために、恭弥にメールを入れた。
すると、犯人はまだ捕まってないらしく、それどころか、被害者は増えるばかりだそうだ。
やっぱり明日外出は無理そうだ。

事件の全容が見えてこないのならば、私が過去を見ればいいのかもしれない。
そう思って、私にできることがないかと聞いたけれど、断られてしまった。
今出てこられても安全を保障できないというのが理由だそうだ。
たしかに、身を守る自信もないのだから、邪魔はしないに越したことはない。
危険に飛び込んで周囲を心配させたり、迷惑を掛けるのは嫌だ。
わざわざ首を突っ込んで、でしゃばることはないだろう。
大人しくしていればすぐに恭弥が、風紀が解決してくれると信じたい。

ただ、ひたすら心配ではあった。
身近で、近所で、自分のテリトリーの中で起こっている酷い事件だ。
早く解決してほしいというのが切実な願いだった。

それから、情報が早い里奈子ちゃんから心配のメールが入っていることに気づいて、驚いた。
自宅待機を言い渡されたと告げると、一安心したみたいだ。
「雲雀恭弥もちゃんとアンタのこと考えてんのね」とのこと。
私としては、里奈子ちゃんの恭弥に対する印象が少しでも良くなるといいと思う。
里奈子ちゃんからの申し出で、アドレスを交換してはいたものの、メールをすることはほとんどなかった。
だから、最初の一通がきっかけとなって、なんだかんだと話題は尽きず、結局メールのやりとりは深夜まで続いた。
不謹慎かもしれないけど、そのおかげで不安による胸の高鳴りを紛らわすことができた。


次の日、私はいい子に自宅待機していた。
もとがインドア派なので、予習をまとめてやったり、読書して時間を過ごすのは苦痛じゃない。
強制力が働いたというだけで、やっていることはいつもと変わらないのである。
……いつもと変わらないのだけど、そわそわと何度もケータイを手にとって、メールが着ていないことを確認した。
今、状況はどうのようになっているだろうか。
役に立たないのだから邪魔するのはいけないと思って、連絡は待つに徹していた。


夕方になって、スーパから帰って来たパパとママは顔を真っ青にしていた。
どうやら、並中の風紀委員が襲われたという事件はご近所中でもっぱらの話題になっているらしい。
しかも犯人はまだ捕まっていなくて、それどころか、昨日の時点ではまだ手がかりさえ掴めていないと聞いた。
やっぱり何か捜査に協力するべきだっただろうかと今更に思った。
でも、こんな目立つ事件に関わって、大勢の前でなんて、私は力を使えない。
いつもは恭弥に頼んで密かに事を成してきたのだ。

パパとママの心配はわかる。
私は件の並盛中学風紀委員なのだから。
でも、だからこそ今日は外出しなかったんだよ、と告げる。

今頃は風紀委員総出で捜査が行われているのだろう。
除け者はさみしいけれど、私は女なのだ。非力なのだ。専門外なのだ。仕方ないのだ。
私が外に出るってことは、自分で防げる自信のない危険が付きまとうってことだ。
誰かに常に傍についていてもらうとか、そんな大げさなことをしたくない。
それに、

「きっと恭弥先輩がどうにかしてくれるよ」

両親を安心させるために吐いた言葉はひどく他人任せだった。
でも、我ながら絶対的に信用できる言葉だった。自分で言って自分で納得する。
そう 大丈夫だ。恭弥がなんとかしてくれる。私は信じて待つだけだ。

比較的穏やかな学生生活を送ってきたパパとママには、中学生という固定概念が働いてしまって、
恭弥の凄さが未だによくわかっていないところがあるのだけれど、
――そしてそれは私が詳しく説明しないせいもあるのだけど、
とにかく、私は「並中には恭弥先輩がいるから大丈夫」を繰り返した。
すごいんだよ、強いんだよ、学校中が頼りにしてるんだよ、並盛町を守ってるんだよ。

犯人が捕まるのは時間の問題だと信じていた。
けれど、現実的な問題として、明日は月曜日で、通常どおり学校があるのだ。
欠席するのか送り迎えするのか、と両親に聞かれたので、どうするべきか、恭弥に再び電話して意見を仰いだ。

一日中連絡がなかったことから予測してはいたが、やはり犯人の手がかりは一向に掴めず、
それどころか、つい先ほどから、病院に風紀以外の並中生が運ばれて来るようになったという。
風紀委員だけでなく、並中生が無差別に襲われるようになったという、最悪の事態だった。

「明日は朝から厳戒態勢を敷く。
君には六時半に風紀を迎えを寄越すから」

私は了解した。
こうなった以上、私が風紀が特別危険というわけではない。
普通に学校があり、出席日数に数えられるなら、登校するのは普通のことだった。
欠席しろといわないのは、恭弥らしいと思った。こういうところできちんと規則を重んじる人なのだ。

そして自分自身の変化にも気づいた。
私は恭弥に言われたなら、この緊急事態なら欠席も仕方なしと思っている。
昔は、事故に遭うといわれていても、出来れば欠席はしたくないと思っていたものだ。
優等生ぶるよりも、大切なこだわりを手に入れたのだ。

行かせたくないというのが両親の気持ちだろうと思う。
それでも私は、学校に行く。相変わらず心配をかけてばかりだ。
念のためスタンガンと催涙スプレーをすぐに取り出せる場所に仕舞う。
ブレザーではなくセーラー服を身に纏い、腕章をつけて、自らが風紀委員であることを誇示する。
申し訳ないと思うことはもうやめた。
パパとママは、ぎりぎりまで私の意志を尊重してくれるのだ。


そして明くる日、月曜日の朝、強面の風紀委員二人が我が家の玄関まで私を迎えに来た。
いつも私が家を出るのよりも随分早い時間である。
出迎えたパパは、玄関に並ぶ彼らを見て、かすかに頬を引きつらせた。私も若干引いた。
二人は、学ランにリーゼントと、もはや定番の古めかしい不良スタイルである。中学生とは思えないごつい印象。
見慣れていることとはいえ、それが自分の家の玄関に並んでいるとなると話は別である。
この先、ご近所にどんな噂話や評判が立つのか想像もしたくない。

去年は教室に風紀の人が来るなんていうのも考えられないし耐えられないと思っていたのになあ。
今や、開き直ってしまったから、たぶん学校ではどれだけ目立っても平気だ。

一方、パパは穏やかな世界を生きようとしているから、こんな不良には縁がない。
娘を彼らに引き渡すのはさぞかし不安だろう。
けれど、パパはごくりと一つ喉を鳴らしてから、彼らの前に歩み出ると、深く頭を下げた。

「どうか、娘を安全に帰してくれ」

誘拐されるような口ぶりだけど、お世辞にも世間体が良いといえない二人に、頭を下げた。
私はそんなパパが嬉しく、誇らしく、かっこいいと思った。

風紀の二人は、頭を下げられたことがかなり意外だったらしい。
彼らは恭弥の指示で来たに過ぎないのだ。一般人に白い眼で見られ、怯えられることにはなれているだろう。
けれど、パパの言動で使命感に火が付いたのか、迫力のある声で「任せろ」と口を揃えた。

今日は安全第一ということで、男臭い風紀委員の二人に左右を塞がれながらの徒歩だ。
朝だから道に人は多くないが、やたら視線を感じる。さぞかし目立つのだろう。
ただでさえ学ランにリーゼントの二人だ。並盛で風紀委員の意味を知らない人はいない。
きわめつけが最近の事件である。
気の毒……というような哀れみの視線ではなく、奇妙な物好きを見るような目つきだった。
眼を向ければ、すぐに視線を逸らされてしまう。それがよりいっそう居心地が悪い。

気にしていてはきりがないので、今はとにかく歩きながら風紀の二人に今回の事件について聞き出すことにした。
私は昨日も現場にいなかったものだから、実状が掴めていないのだ。
風紀の二人は寡黙なものかと思っていたけれど、尋ねてみれば、話す話す。
被害者の名前とか、具体的な容態とか、発見されたときの状況とか、いろいろ。

恭弥の彼女ということが知れ渡ってから特に、風紀委員は私にやけに親切だ。
知らない間に権限というものを手にしてしまった。
乱用はしたくないけれど、対等ぶった顔をしていないと会話が成立しづらい。

報告を聞きながら、あらためて酷い状況だと思った。
これが風紀以外の生徒にまで被害が広がっているのだと考えると、危機的な状況だ。
当然のことながら、二人は、犯人に激しい敵意を燃やしていた。
私も風紀委員だ。だんだんと、覚悟を決めなくてはいけないということを思う。


しばらく歩くと、異様なざわめきを聞いた。
人ごみの向こうに救急車が止まっている。
タイミングがタイミングなだけに、嫌な予感を覚える。

急いで駆け寄った。黒と紺の制服を目にすると、人ごみは二つに割れた。
視界が開けて、まさに救急車に乗せられていた横顔は、
去年の体育大会で総大将をしていて、京子ちゃんのお兄さんの、

「笹川先輩!」

私が声を掛けたことで、救急隊の人さえも手を止めてこちらを見て、顔を青くした。
気にしないで作業を続けてほしいと伝えつつも、救急車に上がりこんで、自分の目で状況を確認した。

酷い怪我だった。
全身傷だらけで、顔色は真っ青で、痣があるし、薄く開かれた口の中は歯が足りなかった。
歯を抜かれたのだ。腕も折れているようだった。意識はない……のかと思ったが、呻き声を上げた。

「お前は……ボクシング部入部希望者、か?」
「はあっ!? や、違います。風紀委員です」
「委員会との掛け持ちは歓迎だ。それにしても、ああ! あのパンチはうちに欲しかった!」
「なんの話をしてるんですか!」

大怪我をしているとは思えないテンションの高さだ。
今にも起き上がりそうだが、それはさすがに無理のようだし、救急隊の人が止めていた。
風紀委員だと言えば、事件の状況を聞きたいのだと察してほしいところだが、埒が明かない。
だから私は、状況を教えてくださいと尋ねながら、その手に触れた。

地に伏せる笹川先輩を見下ろして立っていた少年は、オリーブ色の制服を着ていた。
そして、その色には見覚えがあった。鞄に『黒曜第一』と書いてあるのを見て確信に変わる。
ナオの家に遊びに行ったときに、何度か道ゆく中学生を見かけたことがあった。
つまり、犯人は隣町の黒曜第一中学校の生徒だったのだ。

歯を抜いて、罵声を浴びせて、動けない相手を足蹴にする。
許せないと思った。

救急車を降りる。
私を見やる救急隊の人に「もういいです、すみません出発してください」と声を掛けた。
遠慮がちにでも、ドアが閉まる。
二人の風紀委員は私に様子を尋ねた。

「まずは委員長に連絡します」と断って、ケータイを取り出した。
電話が繋がって、簡潔に事情を説明した。

「もしもし、私です。登校途中に事件の被害者に出くわしました。
三年の笹川了平先輩です。今救急車が病院に向かいました。
それと、犯人の手がかりを掴みました。『足跡』を追いますので、来てください」


「――場所は?」


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