49.回りだす世界

昼休みに席で本を読んでいると、
さっきまで友達と談笑していた里奈子ちゃんがまっすぐに歩んできて、私の前に立った。
私は座っていたから、自然と見上げる形になる。
あえて机を一つ隔てた位置にいるのは里奈子ちゃんの配慮だ。
そうわかっていたから、臆することなく見上げた。
教室で話すときは、里奈子ちゃんが優位なくらいのほうがバランスがとれてちょうどいい。

「ねえ、雲雀恭弥と付き合ってるの?」

まさか二学期になって、再びこの手の質問を向けられるとは思わなかった。
たしかに最近、応接室以外で一緒にいる場面が多くなったけれども。

この類の質問は、里奈子ちゃん自身の興味というよりも、クラスの女子全員を代表しているのだ。
教室中に注目されているのを感じる。
勝手な噂が流れる前に本人の口から聞こうという、これも里奈子ちゃんの配慮のはずだ。


一学期には山本君のことを聞かれた。
あれは里奈子ちゃんと和解して直後のことだった。
どうやら、前に名前で呼ばれていたことが、思いのほかみんなの印象に残っていたらしいのだ。
たしかに私が誰かと交流を持つことは珍しいかもしれないけど、そんなに変なことかなあ、と思う。
私にとって親しい人に名前を呼ばれるというのは極めて自然なことなのだ。
だから名前呼びを指摘されたときに、頼んだ。

「せっかくだから里奈子ちゃんも私のこと名前で呼んでくれないかな」

ほら、里奈子ちゃんがみんなに名前で呼ばれているから、私も里奈子ちゃんって呼んでるし。
そんなふうに言い訳をしてみると、里奈子ちゃんは、驚いたあとに、笑った。

「うん、かえで、ね」

その笑顔が私も嬉しかった。
仲良くなれたと思えた。
真正面からぶつかりあったのは悪いことじゃない。

それはさておき、と さらりと流して、里奈子ちゃんは質問を始めた。
私は努めて正直に答えた。
「どんな関係?」には、「去年同じクラスだった」とか、「隣の席が沢田君で縁があった」とか。
「どう思ってるの?」には、いかに山本君が良い人だと思うか語ってみた。
「いつから名前で呼ばれているの?」には、
始業式の日に、A組の内藤君と区別するために「名前で呼んで」と頼んだ、とか。
A組の内藤君、と言ったとき、神妙に頷きながら話を聞いていた里奈子ちゃんがふいに呟いた。

「内藤……ロンシャンね」
「あれ、知り合い?」
「ちょっと腐れ縁」

苦々しげな回答を聞いて、私は内藤ロンシャン君という人物を思い浮かべて苦笑いした。
それにしても不思議な接点だと思った。
私は中学入学時点での知り合いなんていなかったしなあと思う。

ひとしきりの質問が終わると、里奈子ちゃんは
「わかった、ありがとう」と言い残して立ち去り、女の子の集団に混じっていく。

里奈子ちゃんは、クラスにおいての私の認識を訂正しようとしてくれているのだ。
対立していたときに言い過ぎた部分があったから、と。
自分の言動に対する責任感は尊敬に値する。ただただ、ありがたいと思った。


冒頭に戻る。

この学校において、風紀委員長の話題をおおっぴらに出すなんて勇者だなあと思った。
そんなことを言ったら私はどうなるんだって話になるけど、一般的な認識はそんなものだ。
だからこそ躊躇いがあって、そのせいで二学期の今になっての質問なのかな、と思った。
フルネームを出したところという点から、里奈子ちゃんの恭弥先輩への評価が気になるところだ。

――恭弥、と呼び捨てしなくてはいけないのだけれど、まだ慣れない。
どちらにしろ人前では恭弥先輩と呼ぶのだ。

回答には少し迷った。
悩むことはなにもないのだけれど、この注目の中で話すのは少々気が引けた。
でも里奈子ちゃんに嘘をつくという選択肢はなかったから、結局、首を縦振った。

すると、教室中でどよめきが起こった。
悲鳴にも似た女の子の声、ひたすら動揺しているらしい男の子の声。
みんなが後ずさりして私から距離を取ったから、さすがに身を竦ませた。心の中で恭弥に謝罪する。
隠せともいわれてないし、隠すようなことではないと思うのだけど、公表するのは別問題だ。
風紀委員長と付き合っているって、あらためてすごいことなんだなあって思った。
無難な言葉に直すと、まるで自分たちのことじゃないような居慣れない感じがあった。

一方で、里奈子ちゃんの反応は比較的静かだった。
瞬きを数回繰り返しただけで、一つ呼吸してから、「やっぱりね」と納得したふうだった。
「わかった、ありがとう」とお決まりの言葉を紡いで、質問はそれだけで終わった。
さっさと女の子の輪に帰っていくと、里奈子ちゃんの話す調子は数段明るくなった。
二人きりで話すときにまとっている知的な雰囲気とはまた違う。
あんな社交性を私も身に付けたいものだ、と思う。

それにしても、里奈子ちゃんと先輩には何か接点があっただろうか?
なんとなく里奈子ちゃんの反応にそう思いついて、それから、嫌な予感がした。
接点があるとしたら私かもしれないと思ったのだ。

階段から落ちた日、保健室で、恭弥の前で、里奈子ちゃんの名前を出した。
不可抗力だったけれど、恭弥がその話を聞いてどう感じたかはわからない。
次の日、状況説明をしたときも、恭弥は不機嫌そうだった。
出来るだけ里奈子ちゃんを悪者にしないように話したつもりだったから、
その怒りはむしろ不甲斐ない私に向けられていたようにも思うけど、
もしかしてそのあとに何かあったんだろうか?
恭弥は女子であろうとも『敵』には容赦がない。


教室で出すにはあまりにも里奈子ちゃんが不利になる話題だったから、
尋ねたのは数日後、周囲に人がいないのを見計らって、だった。

「もしかして、里奈子ちゃんって恭弥先輩と何かあった?」

すると、里奈子ちゃんは奇怪そうに片眉を上げてから、考え込むように唸った。
それは伝える真実を選んでいるようで、なにかあったんだと私に確信させた。
ぽつりと、零れ落ちた言葉。

「……ちょっと脅されたかな」

それを聞いて、血の気が引いた。

「そんな! ごめん」

手を合わせて、怪我とかしてない? 大丈夫だった? と聞く。
トンファーを構えた恭弥の怖さは私が身を持って知っている。

「まあ、すれ違いざまに『次はないよ』って言われただけだし。
むしろそれだけですんだのは奇跡でしょ」
「そっか、よかった」

安堵の息を吐いた。
せっかく和解した友達を失いたくない。
恭弥だって、そういうことはわかっていてくれているだろうけど、普段が普段だから心配してしまう。
すると、里奈子ちゃんは声を低くして語った。

「ああ、でも怖かった。なんていうか、自分がいかに小物かって思い知らされた。
視線だけで人が殺せそうだってリアルに思ったのは初めて」

率直な意見に、思わず苦笑した。
慣れて、傍にいることが自然になってしまったけど、あんな人に滅多にお目にかかれるものじゃない。
麗しくて、怖くて、冷ややかで、鋭くて、優しい。

「彼女ってのは知らなかったにしても風紀委員に手を出したんだから自業自得だけどね。
その日は食欲もなくしたし、あんたがその人の彼女やってんのがつくづく奇特だと思うわ」

物言いたげな、変な物を見るような眼で見られたことはあっても、ここまではっきりと指摘されたことはなかった。
里奈子ちゃんのそういうところに、私は好感を持つのだ。
話題が話題だから、ひたすら苦笑いするしかないけれど。

「いっとくけど、人の趣味に口を挟みたいわけじゃないのよ。
なんだかんだ言ってあんたたちはお似合いだと思うし、
応援してるわけじゃないけど、邪魔はしないから」

婉曲した言い回しがどこか気になったけど、お似合いといわれたことがどこか誇らしい。
最近ではセーラー服姿にも、少なくともクラスのみんなは慣れてくれたみたいだ。
教室に風紀委員の誰かが私を呼びにきたり、なにかあれば後ずさるけど、
里奈子ちゃんが間に入ってくれているおかげで、隔絶することもなく、距離を保っている。
廊下を歩いていれば、上級生にも道を開けられてしまったり、陰口が聞こえてきたりもするけれど。

里奈子ちゃんは、自信に満ちて人を惹きつける笑顔を作った。

「この前は変なこと聞いて悪かったわ。
あれで学校中にあんたは雲雀恭弥の彼女って広まるだろうけど、
どうせほっといても噂は立ってたんだから、
この場合はむしろ堂々としていたほうが誰も手出せないんじゃない?」
「うん、ありがとう」

里奈子ちゃんが働きかけてくれたおかげで、
私の山本君に関する噂は、知らない間に撤回されているらしいのだった。
里奈子ちゃんの持っているもの。それも、一つの強さだと私は思う。
強力な味方を手にして、守られているとつくづく感じるのだった。

「里奈子ちゃんも、困ったことがあったら言ってね。私、絶対助けるから!」

私に何かできるだろうか。何ができるだろうか。
それはわからないけれど、でもきっと、できることがあれば全力を尽くすよ。

「――期待してる。
かえでも風紀、気をつけてね。せいぜい怪我なんてしないように」
「うん」



その週末、事件が起こった。


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