48.

ナオにとっての先輩ってことは私と同学年かもしれない。
そういえば名前聞いてないけど、浅い縁だから構わないだろう。

「んんー、んー……
うん。かえでちゃんのが高いな」
「だから嫌だっつったのに」

しばらく迷った末、ナオの先輩らしき人は断言して、ナオが悔しそうに舌打ちをする。
私もなんだか残念な気分だ。
まだ抜かされていないことにはほっとするけど、どうせ抜かされるのだ。
自分で提示した条件でありがなら、ナオの成長を待つだけというのももどかしい。

「なあ、身長でどんな約束してたの?」
「秘密っす」
「えー、いいじゃん教えてよ」

『秘密』というそれこそが答えなのだけど、さすが我が幼馴染さまは意地悪だ。
便乗して、私も「秘密です」と笑った。

「あ、そろそろ次の試合始まるわ」
「ほんとだ。じゃ、弁当ありがとな」
「邪魔してごめんなさい。せっかくだから試合観ていくね」
「おう。俺の勇姿をしっかり目に焼き付けることだな」
「とか言って、活躍しなかったら笑うよ?」

からかうと、ナオは不敵に笑った。
その試合は最後にナオがゴールを入れて勝利を決めた。

「ナオって凄かったんだねー」

昼食を食べてから決勝があり、ナオの学校はそれにも勝利した。つまり優勝した。
まだ地区大会だから当然らしいけど、それって凄いことだ。
一年でレギュラーは凄いことなのよ というエリちゃんの言葉がようやくわかった。
部活っていうのは私が知らない世界だけど、楽しそうだと思った。

表彰式は三時半に終わり、なんだかんだ言いながら最後まで観戦していた私は、ナオと一緒に帰ることになった。
って言っても、疲れているナオに家まで送ってもらうわけにはいかないから、私も江沢邸に遊びにいくのだ。
せっかくだから一緒に帰ろう、と言うとナオはいろんな人に冷やかされていて、
面倒だからすべてに否定はしなかったけれど、後からちゃんと弁明しておいてね。

住んでいる地区が違うせいで、ナオと一緒に帰ったことはあまりなかったから変な気分だ。
サッカーのユニフォームを着て、記憶よりも少し背が高くて、同じ位置に目線がある。
小さいころから知っているナオとは別人みたいで、変な感じ。
男の子ってすぐ大きくなるよね。学校でもどんどん私より背の高い人が増えていく。
山本君とか、何センチくらいあるのかなあ。
ナオは顔を輝かせてのサッカーの話する。私はそれを頷きながら聞いていた。
しばらくすると、ナオは急に空を仰いで、話題を変えた。

「なんか、久しぶりだよなあ」
「前にこんなことあったっけ?」
「あっただろ。一緒に帰ったんじゃなくて、歩いたの。すっげー前。二人して迷子になってさー」
「ああ。そんなこともあったね」

いつのことだったか、たしか、うんと小さいときの話だ。
二人で途方に暮れて、せめて必死で手を繋ぎながら、泣いて彷徨い歩いた。
不安で不安でどうしようもなくて。

私の能力では、迷子の子供を助けてあげることはできても、迷子の自分を助けてあげることはできない。

過去を見る能力は万能ではないのだ。
まず、自分の過去は見えない。
自分と一緒にいる人の、一緒にいる間の過去は見えない。自分の過去と一緒だからね。
つまり私は私が知らない過去しか見えないのである。
未来は意識して見えるものではないし、道路の過去を見ても仕方がない。
特殊な能力の便利さを誇っていたりもしたから、その分、無力さが辛くて寂しくて怖くて嗚咽をあげていた。

たしかあのとき、同じ状況にありながら、ナオは私よりも早く泣き止んだんだった。
自分も泣きたいくせに、堪えて私の手を強く握った。
今思えば情けないなあ、私。
結局パパや並木さんが見つけてくれるのだけど、あの頃からすでにナオはナオだったのだと思い出した。
私の考えていることなんて知らないで、けれど当然のように慰めてくれる。
与えられたものに報いなくてはいけない。自分に出来る、最大の譲歩を。

「ねえ、ナオ。約束を破ってもいい?」
「秘密?」
「うん。きっと待つ必要も待ってもらう必要もない。ナオはもう相応しいんだから」

ナオが私たちの『秘密』を知らないのは、彼が子供だったからだ。
たとえば、幼稚園児に、知り合いの持つ特殊な能力と守秘義務を理解するのは難しい。
言い聞かせても、重要性がわからなければ口を滑らせてしまう可能性があるのだ。
だからナオには教えられなかった。

同じくらい子供だった私が知ってしまったのはしかたないよね。
だって自分のことだもん。
自分のことだから、嫌でも重要性を体感することになった。
そして、特殊だということと、特殊でないのだということを言い聞かせられた。

ナオが秘密を守れるくらいの年、小学2、3年の頃になると、『私』が"変化"を恐れた。
すなわち、ナオに能力を知られて、ナオの私に対する態度や私たちの関係が変わることを恐れたのだ。
受け入れてもらえないことに絶望しても、二度と会わなければいい という相手ではない。
他の友達に拒絶されても、ナオに拒絶されることは特に恐れた。
ナオなら大丈夫だろうと思いつつ、私の心境を理解して大人たちは秘密を明かす時期を私に一任している。
私だけの秘密じゃないのに、ね。

今ならきっと大丈夫。
そう信じたかった。

自分で勝手に決めた約束を勝手に破ろうとする私に、
けれどナオは「かえでが良いならもちろんかまわない」と言った。
普段生意気口調のナオの本質は実はフェミニストだったりする。
エリちゃんが作ったお弁当も、文句を言いながら全部平らげた。

私は歩みを止めて、ナオも停まって私を見た。

「秘密って何?」

まっすぐな瞳が私を射抜いた。
いつか言わなきゃいけない、今なら言えるかもしれないと思っても、いざそのときが来ると迷わずにはいられなかった。
本当に言っていいのか、どう言えばわかってもらえるだろうか、ダメージが少なくてすむだろうか、と。
だから、話を逸らすことから始めた。

「……私は、かくれんぼが嫌いだったでしょ?」

ナオの家は広い。隠れるスペースがいくらでもある。
交代で鬼をやって交代で隠れようと提案してきたことがある。
友達とよくやっている、お得意の遊びらしかった。
けれど私にとってそれはつまらない遊びだった。

「ああ、すぐ見つかるからつまんないって言って。俺も隠れ甲斐がないから、結局やらなくなったよな」
「私にはナオがどこに隠れてるかすぐにわかった」

ナオは私の真意を掴みかねるように眉を顰めた。
私は続ける。


「人や物に触ると、その人やその物の過去が見える。

人に触ると、ときどきその人の未来も見える。

――それが、私の秘密」


は? と、ナオは間抜けな顔をした。
信じられないという心境を示すその声に少し傷つくけど、仕方のないことだった。
静かにナオを見定めると、拙いと思ったらしく、ナオは慌てて手を口で塞いだ。
私は嘘や冗談を言っているわけじゃない。まずはそれをわかってもらう必要があった。

「隠すことや話すことが私の自由なら、どう受け止めるかはナオの自由だと思うの。
さんざん隠していた分、どんな質問にも答えるよ。だからなんでも聞いて」

できることなら迷いのない言葉を語りたかったのだけど、無理だった。
ナオの中で今何が起こっているのか考えて、手足が震えた。真夏の太陽で背中に汗をかく。

バランスを保っていたものに目に見えて『変化』が起こる。
どうか信じて。疑わないで。変わらないで。嫌わないで。傷つかないで。傷つかないで。守って。
数え切れない祈りの衝動に手を合わせる思いだったけれど、声にすることはしなかった。
その我が儘は許されてはいけない気がした。

おそらく複雑な表情をしていたのだろう、そんな私を心配そうに見て、
ナオはできる限り、冷静に言葉を紡ごうと努めようとしていた。

「未来とか、過去っていうのは?」
「言葉のとおり。その人が体験してきたことと、体験することを、映像で」
「人に触ると、ってことは……」
「ナオに触ればナオの過去が見える。
過去は見ないように目を逸らすこともできるけど、未来は突然見えるから、できない」

すっとナオの前に手を差し出した。ナオは動けずにいる。
困らせるようなことばかりでごめんね。
私には他の、もっと上手な方法が思いつかないのだ。

「すぐに信じてとは言わない。冗談でもない。でも、変わらないでいてくれると嬉しい」

手を引っ込めて、前を見て歩き出した。
ナオは無言でついてくる。
もうすぐ家に着くというところで、再び立ち止まった。

「正直、信じられない。でも、かえでのことは信じたいと思う。
だから時間をくれ。
かえではかえでだって、わかってるつもりだから」

私は喜んで頷いた。
「言えたよ」と報告すると、頭を撫でてくれるあたたかい掌がある。


だから、私は幸せ者だ。


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