43.

最後に集計をするのは私の役目だ。不備はなかった。
そのことを全員に伝えて、解散になる。
そのあと、重い集金箱は草壁先輩が快く預かってくれた。

恭弥先輩は集計の作業中にどこかに行ってしまった。
たぶん誰かを咬み殺しに行ったんだろうなあ、と思う。

それを探そうと思って、少し途方に暮れてしまった。
花火の時間が近づいて、人も増えてきた。
入り口とまったく同じ状況だ。

でも、歩き始めた。

人とぶつかるのは避けてしまうし、視線を彷徨わせてしまうけど、
『見ないように』と気をつけているから大丈夫。
いつまでも手を引かれなきゃ歩けない子供じゃいられない。
それだけの力を貰った。

誰にか、は、わからない。
たぶんそれはただひとり特定の誰かではない。
最近、妙な胸のつっかかりが取れて、息苦しさがなくなったような気がする。
それは今まで無意識に息苦しさを感じていたということにもなるけれど。とにかく。
きっと呼吸するたびに、世界の美しさを吸収して、ちゃんと私は前に進んでいるよ。

そういえば、花火はどこで見ようかなあ。

考えながらゆっくり歩いていると、後ろから肩を叩かれた。
山本君は、景品のようなものがいっぱい入った紙袋を抱えていた。

「よっす。なんか今日はよく会うなー」
「それどうしたの? 屋台は?」
「ツナに頼んで抜けてきた。ボールの的当てやってきたんだ。
これやんないと祭りに来たって感じがしなくてよ。かえでは?」
「私は恭弥先輩探してたとこ。先輩、仕事終わったらどっか行っちゃって」

そう説明すると、山本君は急に神妙な顔で、こう聞いた。

「……なあ、お前らって付き合ってんのか?」
「え?」

不意にそんなことを聞かれて驚いた。
すると、山本君は言い繕うように続けた。

「いや、そういう噂があるんだよ」
「噂?」
「お前たち校内でときどき一緒にいるだろ?
女子の風紀委員って目立つからさ。やっぱ制服変えたのが大きいな」
「ああ、そっか」

『ときどき』どころか、毎日顔を合わせている。
私が応接室という閉鎖された空間に閉じこもっているから、風紀委員以外は知らないことだけど。
目立つようにはなったと思う。
風紀委員が私のことをどういうふうに見ているのかも、だいたい理解した。

付き合うとか付き合わないとかそういう言葉で確認したことはなくて、
いざ表現されてみると、戸惑ってしまう。
よく考えたら私はありていに好きだと面と向かって言ったことはなかった。
もちろん言われたこともない。
でも、きっとそういうこと。
まっすぐに私に向けられた指先。あのとき『指名』を受けた。
『差し上げます』と言えば、返ってきた、満足そうな笑み。
この場に恭弥先輩はいないし、少しは自惚れてもいいんじゃないかと思う。

「うん。そうだよ。たぶん、そういうことなんだと思う」

断言できないのは、何も考えず確かめず、幸せな現状に流されていた自分の責任だった。
だから、伝えたい。と思った。
不意にそんな欲求が湧き上がってきた。
欲しいものがあるから、自分から人に何かを伝えるって重要だと思うのだ。
きっと私が思っていたよりも世界は優しくて、
少し勇気を出せば受け入れてもらえることのほうが多いのだから。
受け入れて、笑ってもらえたら素敵だな。と思う。
そうしたら、なにかいい方向に変化があるかもしれない。

「……そうか」

浮かれている私に反して、山本君は複雑な表情をしていたから、ちょっとびっくりした。
沈黙があって、背景のお祭りの賑やかさが一段と増したような、不思議な感覚があった。
戸惑っていると、山本君は普段どおり明るく笑った。

「そっかー! あー、聞いといてよかったぜ。もう少し遅かったらたぶんヤバかったな」
「どうしたの?」
「いや、こっちの話だ」
「……気になるけど」
「気にすんなって」

ちょっと困ったようにしながらも、山本君は笑みを崩さない。
普段の、人を安心させてくれるような笑顔じゃなくて、
それ以上の追及を許さない、鎧のような笑顔だった。

「ほんとはヒバリ探すの手伝ってやりたいけど、ツナ待たせてるからなー」
「いいよ。そんなの」
「おお、じゃあ俺行くな」
「うん」

見送ってしまうと、また一人が寂しくなった。
早く恭弥先輩をみつけよう、と思って、特技を発揮することにした。
それでもお祭りは人が多いから、『見る』のに最適の場所はないかな、とも。
『見ながら』歩くのは効率が悪いから。
でも結局、その最適の場所を探すために歩き始めるのだった。
そういえば、花火を見る場所も決めなきゃいけないし。
途中でリンゴ飴を買って、遅い足取りで進む。

どれくらい歩き回っていただろうか。
新鮮な場所で、とりとめもないいくつものことを考えていた。
屋台を見ているだけでも楽しかったのかもしれない。
我ながら注意力が散漫だったのだと思う。

それで、走ってきた男の子にぶつかった。
ぶつかられたと言ったほうが正しいのかもしれない。
私は衝撃で転んでしまい、男の子は謝りもしないで走っていってしまった。
ぶつかった拍子に未来――おそらくだけど――が見えた。

 神社の階段を上ったところに、武器を持った柄の悪い集団がいる。
 私にぶつかった男の子は、運んでいた金庫のような箱をそのうちの一人に渡す。
 声がして、振り返れば、沢田君がいた。男の子を追いかけてきたらしい。
 柄の悪い集団は沢田君を囲い込むように立った。
 危ない!と思う。
 どうやら知り合いらしく、何か因縁をつけた後に
 一人は沢田君の胸倉を掴んで、ナイフをも取り出した。

 そのとき、見馴染んだ麗しい姿が在った。

「恭弥先輩!」

声を出すと同時に現在に引き戻された。
その固有名詞が指す人物を理解して、道行く人が一瞬びくりと反応した。
目の前の人は首を傾げている。どうやら転んだ私に声を掛けていてくれたらしい。
助けを借りて立ち上がって、お礼を言った。

さて、どうしようか。

とりあえず、沢田君が危ない。
たぶん、私が転んでいる間に目の前を通って行ったのだと思う。
さっき『見た』ままの状況になっているだろうから、早く助けを呼ばなくては。

でも、あの映像の最後に、私は恭弥先輩を見た。
屋台の前を歩き回ってもいなかったのに、どうしてあそこに、と思う。
なにやってるんだろうあの人は。しかもとても楽しそうだったような気がする。
ああ、もう少しでも長く見られたらよかったのに。情報が得られたのに。

恭弥先輩がいるなら、それ以上の助けはないと思う。
それでも相手の人数は洒落にならないほど多くて、武器も持っていた。
だから余計なお世話かもしれないけど、何か手を打ったほうがいいのかもしれない。

とにかく、何もしないわけにはいかなかった。
どちらにしろ私は先輩を探していたわけだしね。

そこで、ふと『携帯電話』という手段に思い至った。
弁解しておくと、別に存在を忘れていたとかいう間抜けなことではない。
ただ、先輩に電話をかけるにはそれなりの理由がいる気がして、
ちょっと姿が見えなくなったくらいで、呼び出すようなことをするのは憚らて、使えなかった。
でも、この緊急事態ならしかたないだろう。

そう思ってケータイのアドレス帳を開いて、震える手で通話ボタンを押した。
深呼吸して、「かかった!」と思った瞬間――約二秒後に、切られた。
着うたで言うと、『緑たなびく並森の〜』の、『緑た…』あたりだ。たぶん。

溜息ではなくて、いっそ舌打ちが出かかった。
仕方なく、援軍を求めるためにチョコバナナの屋台へ走るのだった。


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