37.

内藤あろうは、最愛の娘が階段から落ちたという連絡を受けて、慌てて学校に向かった。
たいしたことはないが、頭を打ちつけているので迎えに来てほしいということだった。
並盛中学校の近くに住んでいる知り合いに任せることもできたが、心配が先立った。

その途中、当然だが、あろうは帰宅途中の中学生を頻繁に見かけた。
しかし、ベージュのブレザーを見るたびになぜか違和感を感じた。
数ヶ月前までは娘もこの制服を着ていたはずである。
それなのにまるで知らないもののようで。
娘は今も同じ学校に通っているはずである。
――黒に近い紺の、セーラー服を着て。

学年が上がると同時に見知らぬ制服に身を包んで、階段から姿を現した娘に、
何があったのかと心配したけれど、委員会の慣わしだと説明されて、ひとまず納得していた。
自分たちは一年ほど前に引っ越してきたばかりの、
いわば余所者なので、地元の中学校の風習など知る由もない。

それから後は、中学校に近づく機会がなかったので、娘のセーラー服姿にすっかり見慣れていたのだ。
しかし、改めて考えると、やはり同じ学校に二種類の制服があるというのは妙なものである。
娘よりも一つだけ年下の知り合いの話によると、
『並中の風紀委員会』というのは特別な意味を持っているそうなので、そこに関係があるのだろう。
特別というのがどういう意味なのかはわからない。


だが、中学校の敷地内に車を止めて、あたりを見回したとき、
あろうの中の違和感は得体の知れない不安に変わった。
校内にはたくさんの生徒…――

(違う制服の生徒なんて、いないじゃないか)

もちろん、ブレザー自体を脱いでいる生徒、着崩している生徒というのはいるが、
明らかに毛色の違うセーラー服などを着ている生徒は一人として見当たらなかった。
まるで異空間に迷い込んだような錯覚に陥って、あろうは動けなくなった。

「あれ?…――あろうさん!」

可愛らしい声に振り向くと、見覚えのある少女が駆け寄ってきた。
屈託のない笑顔が印象的である。
やはり制服はブレザーだったが、少しは不安が和らいだ。

「京子ちゃん」
「わあ!覚えててくれたんですね。あろうさんに教えてもらって、シュークリームが成功したんですよ」
「それはよかった。また今度遊びにおいで」
「はい!それで、今日はどうしたんですか?」
「ああ、かえでが」

階段から落ちたって聞いたから。と付け加えようと思って、とめた。
怪我はたいしたことがないと知らされているし、京子は事情を知らない様子だ。
無垢な笑顔を心配で曇らせてしまうのは忍びない。
すると、なにやらこちらを見たままポカンと口を開けた少年が目に入った。
あろうの視線を追って、京子もその人物を見た。

「あ、ツナ君」
「き、きっ、京子ちゃん。その人は?」

過剰なほど慌てる少年のその反応で、あろうは二人の間の事情がだいたい飲み込めた。
さすがに年の功である。
あろうは、自分が認識しているよりも目立つ外見をしているらしいと指摘されたことがある。
言った本人こそが派手な容姿をしているので、黒髪の自分はそう目立たないと思うのだが、
特に、日々が幸せで満たされるようになってから、人目を惹くらしいのである。
少年が要らぬ勘違いをしたのだとわかって、苦笑した。
わかっているのかいないのか、京子は紹介する。

「内藤あろうさん。かえでちゃんのお父さんだよ」
「……っえええええ!!」

少年の大げさな驚き方に、かえでのクラスメートだろうか、と思う。
かえでは父親似で、あろうにそっくりである。
驚くとしたらそれか、かえでに対するあろうの若さだろう。
あろうはこれまで、中学生の娘がいると言い当てられたことはなかった。
その少年も、「若っ!……でも似てるかも」などと、例に違わないことを呟いていた。
普段遭遇しない、娘と同年代の子供たちを微笑ましく思うが、すぐに本来の用事を思い出した。

「じゃあ俺はそろそろ行くね」
「そうだ、どこに行くんですか?」

あろうはそう聞かれると、微笑んで、京子の頭に手を載せた。
それでだいたいの校内の見取り図が頭に入った。

その微笑みには誰も干渉できなかった。
「じゃあね」と手を振ったあろうを、京子はぽーっと眺めていた。
それを見て少年、沢田綱吉は慌て出す。

あろうは、ツナ君と呼ばれた少年の隣にいた、睨むような無言の視線が心に留まった。


京子の過去を頼りに、あろうは敷地内を歩いた。
ちなみに、相手は娘と同い年の女の子なので、余計なものは見ないように気をつけたつもりである。

きょろきょろとあたりを見回すのは、
色の違う制服を着ている人を見つけたいと思っているからだった。
娘は学校のことをあまり話さない。だから、知りたいと思う。
――かつて自分にもそんな時期があった。
娘と昔の自分を重ねるたび、早く良い人に出会うといい。
早く幸せを見つけてほしいと願うのであった。


そのとき、あろうの目に留まったのは、黒い学ランの生徒だった。
足を止める。そして驚愕した。
そこには、一昔前のリーゼント頭がいくつも並んでいたのだから。
その全員が柄が悪そうな生徒だったので、あろうは表情を凍らせた。
腕には『風紀』の腕章。
受け入れがたい事実だった。

リーゼントの集団のうち一人が、こちらを見たような気がしたので、あろうは慌てて歩き始めた。
目指すは保健室だ。

保健室のドアを開けると、保険医の姿はなく、
代わりに、なんの偶然か、学ランの少年が椅子に腰掛けていた。
こちらはリーゼントではなく、整った顔立ちをしている。
しかし、かち合った視線は不機嫌そうだった。

「君が保護者?」

ベッドに眠るかえでを指して言ったので、付き添っていてくれたんだと思った。
おそらく委員会の仕事かなにかで一緒だったのだろう。

「そうだよ。君は?」
「……雲雀恭弥」
「なにがあったのかな?」
「知らない」

無愛想な態度は自分が好かれていないせいかとあろうは思ったが、
どうやら本当に知らないようだった。
恭弥という少年は、紙切れを取り出して、あろうに見せた。
そこには、『北館の屋上へ向かう階段に内藤かえでが倒れている』とだけ書かれていた。
渡された紙を手に取る。そしてあろうは見た。
焦って文字を綴る、女の子を。それしかわからなかった。

なぜその女の子が手紙という手段に任せたのかとか、
なぜかえでが階段から落ちたのかとか、
どうしてセーラー服を着ているのがかえでだけなのかとか、そういうことは何も。

娘の眠る顔を見ながら、あろうは、つくづく自分が何も知らないことを思い知った。
話したくないことは聞かないでやるのも優しさだと思っていた。
自分には、妻のように、他人の傷を癒してやれるような強さはないから。
せめて、帰る場所を作ってやればいいと思っていた。

めったに泣かない子だと思っていたのに、涙で目を腫らして帰ってきた日があった。
委員会があるからと言って、放課後帰りが遅くなった。
頬を赤く腫らしてきた日もあった。
いつでも無言で「聞かないで」と懇願するから、聞かないでいた。
けれど、委員会の面々を見た今、心配しないわけがない。
もう知らないわけにはいかない。

知らなければ守ることができない。
知ることは父親の権利であり、義務ではないか。
今、目の前に手がかりになりそうな人物がいる。

「かえでは、学校で……いや、風紀委員会で何をしているんだ?」

そう尋ねて、黒い双眸があろうを映したとき、
「う…」と小さなうめき声がした。

「あれ、パパ?と、恭弥先輩……?」
「――かえで」

名前を呼ぶと、かえでは不思議そうに首を傾げた。
けれど、だんだんと表情が変わる。
状況が飲み込めてきたのだろう。
あろうは、いつになく真剣な声を出した。

「かえで、何があったのか話して。 そうじゃないなら――」

そこで区切って、あろうはかえでの耳に唇を寄せて、聞こえるか聞こえないかくらいの声で言った。
それだけ至近距離でありながら、けっして触れることはない。

「過去を見る」

かえでは、優しい父親が脅迫の台詞を吐いたことに、なによりも目を丸めた。


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