34.外と中の矛盾

『気に入らない』
内藤かえでに対する里奈子の心情はその一言に尽きた。
すべてにおいて、気に入らない。


里奈子は子供の頃、友達から『仲間はずれ』にされたことがあった。
原因は大したことではなかったのだが、その衝撃と苦痛は大きく、
里奈子は自分の何が悪かったのか深刻に思い悩んだ。
そして必死に自分を変える努力をした。
人の流れに乗り、流行の話題を集め、身だしなみを整え、積極的に人を笑わせ、人の相談にも乗った。
結果、今では女子の中心人物にまでなったのだ。


内藤かえでを最初に見たとき、大多数の人間がそうであるように、
里奈子はまずその端麗な容姿に好感を抱いた。
しかし、クラスが違っていたので、内面についてはわからず、
直接接触する機会は合同の体育の授業くらいだった。

その体育の授業で、内藤かえでは誰もが感嘆するような素晴らしい能力を見せつけた。
同時に、完全に人の輪から外れていることを里奈子は発見した。
本来人が集まってくるような人物が、孤立して佇んでいたのである。
短い会話で人を避け、会話をしていても逃げ道を探すように一瞬目が泳ぐ。
里奈子のクラスメートに「すごいね」と話しかけられても、困ったような反応を見せるだけだった。

里奈子はそれに気づいたとき、内藤かえでが自分と同じ、単なる一人の人間なのだと実感した。
人付き合いが苦手であることを過去の自分と重ね合わせて、いっそ親近感さえ抱いた。

そして、内藤かえでも、早く変われればいいのに、と思った。
人見知りならばそのうち馴染むだろう。
もともと才色兼備の魅力的な人物、仲良くなりたいと思っている女子も男子も多いはずである。
人気者になるのは時間の問題に決まっていた。
だから、『独り』が苦しいはずだと思っても、哀れんだりはしなかった。

しかし、その予想は裏切られることとなった。
内藤かえでは、人気者になるどころか、時が経つほど孤立したのだ。
嫌われているわけではない。
内藤かえでが他人を拒否しているのだ。その結論に至った。

それは里奈子には理解しがたいことであった。
自分から他人を拒絶することなんて。

だが、これでもし、内藤かえでが『他人』に嫌われていたなら、
里奈子はそこまで動揺しなかったかもしれない。
しかし、内藤かえでが『他人』を拒否しても、『他人』は内藤かえでを拒否しなかった。
孤立していてもなお、独特の地位を築いていたのだ。

だから、体育の授業でその姿を見るたび、
鮮やかな動作を見せつけられるたび、賞賛の声を耳にするたび、
あるいは、成績表の主席(もしくは)次席の欄に名前を見つけるたび、
不愉快さが募ったのである。

同時に里奈子は、惨めにもなった。
他人なんか必要ないと言うことは、里奈子の生き方を否定することと同義だった。
それでも生きていける、内藤かえでを認めてしまえば、
里奈子がそれまで築いてきたものの価値が、失われる気がした。

だから、できるだけ目を逸らした。視界に入れないようにしてきた。
自分のプライドを守るために。
一年生のときはそれが容易かった。
しかし、二年生になって、同じクラスになってしまった。

それだけなら、まだ目を逸らしていることが出来たかもしれない。
けれど、内藤かえでは嫌でも視界に入った。
何故なら、一人だけ毛色の違う制服を纏っていたからである。
セーラー服と、『風紀』の腕章。

里奈子にしてみれば、喧嘩を売っているのか というところである。
いや、間違いなく喧嘩を売っているのだ。
そういえば一年生のころ、何度か校内放送で呼び出されていた。
そうやって、自分が特別な存在だと誇示するのだ。

許容範囲などとっくに超えていた。
黙々と机に座って読書や勉強をしているたった一人のために、
教室で友達と話していても、気が散って、盛り下がる気がした。
『ヒーロー』とだけ親しげに話していることも、風紀委員長に好かれているという噂も、
なにもかも悪いようにしか捉えられなかった。
耐えられなかった。

あくまでも孤立を貫き、集団を馬鹿にするなら、集団の強さを教えてやる。
あくまでもお高くとまって、特別な方向しか見ないというなら、無理にでも向かせてやる。

そうして、『嫌がらせ』が始まった。

内藤かえでの言動と、里奈子の導きのせいで、
おおかたの女子が内藤かえでに不信感を抱くようになっていた。
自分を正当化しながら相手を責めていくことなんか簡単だった。

最初は教科書を隠すという単純なもの。
困らせて、その反応を観察するつもりだった。悪趣味なことはわかっている。
けれど内藤かえでは、予想よりも早く、あっさりと、鮮やかとも言える動作で、それを発見してみせた。
神様が味方についているかのような偶然が、憎たらしかったのは言うまでもない。

一度だけなら奇跡で済んだかもしれない。
でも、何度試してみても、内藤かえでは里奈子が望んだほどダメージを受けなかった。
まるでなにかに守られているみたいに。
虚勢を張って、聞こえるように悪態をついてみるけど、ただの負け惜しみだ。
隠すものを教科書じゃなくて体育着やノートにしてみても、結果は同じだった。

思わず、「気持ち悪い」と本人に聞こえるように言ってみると、珍しく返事が返ってきた。

「教えてもらったんだよ」

初めて自分を映した双眸に、里奈子は少したじろいだ。
「誰に」と聞けば、「教えない。約束だから」と返される。
それだけ言って席に着く振る舞いには苛立ちを感じたが、
神懸り的な偶然には裏があることを知って、少しほっとした。
里奈子が恐れているのは、内藤かえでが特別な存在であると思い知ることなのだから。

内藤かえでを庇うような声はもともとあったので、裏切り者がいるということを不自然に思わなかった。
クラス中の女子を一通り見渡して、ほぼ全員が怪しく見えてしまったので、きりがなくてやめた。
下手に追及してしまえば、里奈子が『疎外』されるかもしれない。
今は紙一重の綱渡りをしている状態なのだ。
間違っていもクラスメイトには、里奈子が個人的な感情で執着している様子を見せてはいけない。
頭がおかしくなりそうなほどコンプレックスを抱いているなんて。
腸が煮えくり返りそうな嫌悪の、隣に並ぶ感情には気づかないふりをした。

味方を作ろうとして、足を掬われていたのではたまらない。
もともと自分の中で生まれた嫌悪の感情は、自分で向き合おう。
他に迷惑を掛けず、自分だけで実行できる嫌がらせを思いついた。
その週末、里奈子は自宅の近くのホームセンターで自転車用のチェーン錠を購入した。
それを友達に見せびらかせて、計画を自慢すると「よく考えるね」と苦笑された。嫌な笑みではない。
そのことに満足して、早速、内藤かえでの自転車にそれを取り付けたのである。

さすがにそんなに暇ではないので、反応を観察するために見張っていることはしなかったが、
気づかれたときの反応を思うと、胸が躍った。
性格の悪い笑みが、口元を歪ませるのを里奈子は止められなかった。

次の日、内藤かえではいつもより遅く登校してきた。
息が切れていて、チャイムの鳴る寸前だったが、遅刻ではない。
里奈子はそれを残念に見ていた。
すると、目が合った。その表情は晴れ晴れとしているように思えた。

チェーン錠の鍵を制服のポケットの中で握ったまま、里奈子は内藤かえでを窺った。
平然とした顔をしているが、確認しても、ちゃんと自転車には里奈子のチェーン錠がかかったままなので、
事実、困っているはずである。
そのうち文句を言ってくるかと思ったが、一向にその様子はない。
いつまで里奈子を無視するつもりなのか。

そう、里奈子はきっと、文句を言ってほしかったのである。
そして、正面から堂々と「気に入らない」と言いたかった。
人を傷つけたいという歪んだ欲望だが、それだけじゃない。
きっと対等な立場で話をしたかった。
『内藤かえで』に、正直に生きてほしかった。
一年生の頃、集団を物欲しげに眺めていたのを、覚えていたから。


けれど、叶わなかった。
内藤かえでは不平を言わずに徒歩で登校を続けているようだった。
彼女の自転車を拘束して一ヶ月、
里奈子はその効果を諦めて、内藤かえでを屋上への階段に呼び出した。


 top 


- ナノ -