31.

最近、教室にいると、女の子たちが私を指して、ひそひそと何かを話している。
ときどき聞こえてくるその内容は決して好意的なものではなかった。
冷ややかな視線に、非難の言葉。
蔑みを甘んじて受け入れる、覚悟をしていたつもりだったけど、
覚悟することと傷つかないことは全くの別問題だ。

もともと、私の立場というのはとても危ういものだった。
集団の中で味方を作っておかなかったのだから。
好かれようという努力を怠っていたのだから。
そしてその態勢をこれからも変えるつもりはないのだから。
加えて、異端になる種を自分で生み出してしまった。

逆に、一年生のとき、『放っておいてくれた』クラスメートの人たちの存在は、ありがたかった。
当たり前に感じていたけれど、今になって『許されていた』ことを知る。
どうせ一人でいるなら、周りなんかどうでもいいと思ってたんだけど、それは大きな間違いだと気づいた。

とにかく、私は今のクラスに、ものすごーく馴染めていない。
どれくらいかというと、挨拶を交わす仲の友達もいないのだ。
今更それがどうとか言わないけど、しいていうなら今まで以上に肩の力が抜けない場所だ。

それだけじゃない。
今日は、休み時間に教室に戻ってくると机の中から教科書が一つ、消えていた。
軽いイジメの始まりのようだった。
さすがに少しびっくりして、どうするべきか悩んだけど、放っておくとエスカレートするかもしれない。
探し物は得意なので、探していて偶然見つけたふりをして、ゴミ箱を持ち上げて、
その下に落ちていた教科書を拾い上げた。無表情で席に戻る。背後で舌打ちが聞こえた気がした。

主犯格はわかっている。さっき見た映像の中。
関わりはなくても、人間観察は癖になっているので、クラスのリーダー格が誰かくらい知っている。私はその人物が苦手だ。

なぜなら――馬鹿らしい理由かもしれないが、
彼女は私の小学校のときの幼馴染と同じ名前なのだ。
しかも、漢字まで一緒。『里奈子』
名簿でその名前を見つけたとき、心臓が跳ねた。呼吸が止まるかと思った。
今でも呼ばれているのを聞くと、過去の罪悪感と後悔が巡って息苦しくなる。
一番かかわりあいになりたくなかった。文句も言えない。
どうかこれ以上関らないでと願うだけだった。

そういうわけで、放課後になるまで神経の磨り減るような時間が続く。
放課後になると凄まじい安堵に包まれる。


今や応接室は完全なる私の居場所である。
静かな場所は居心地がよく、ソファーの感触にも馴染んだ。
好きな人が過ごしている場所というのはそれだけで好きになれる。

私は引き続き書記を務め、仕事の能率も上がって、すでに新学期に伴う書類の整理を完了させたところだ。
黙々と仕事をしていると驚くほど作業の進みが速くて、今日やるべき仕事は他にない。
現在恭弥先輩がいないので、正直、暇である。

いつもなら持参した本を読み出すとか、過去の資料を取り出してまとめるとかするんだけど、
定期テスト終了直後ということもあって、最近疲れが溜まっている。
とても新しいことをする気力はなくて、でもまだ帰りたくはなくて、
恭弥先輩が戻ってくるのはもう少し先だろうから、10分だけ寝よう。と思って、ソファーにもたれかかった。
すぐにまどろみがやってきたので、予想以上に眠気があったようだ。

目が覚めたとき、手は黒いソファーに触れていた。
電車の中のように、背もたれにもたれかかっていただけのはずなのに、完全に横になっていた。
紙を捲る音で恭弥先輩の存在に気づき、次にその黒い学ランが私の脚に掛けられていることに気づいた。
慌てて起き上がる。

「私っ!どれくらい寝てましたか」
「さあ、20分くらいじゃない?」

時計を見ると、35分が経過していた。
つまり恭弥先輩が戻ってきてから20分が経過していたってことだ。
頬が朱に染まるのを自覚した。

「すみません!学ランまで掛けていただいちゃって……」

乱れた髪が恥ずかしい。
寝言とか寝相とか大丈夫だっただろうか。
急いで学ランをたたんで手渡した。

「疲れてるなら今日は帰っていいよ」
「え……」
「仕事は終わったんでしょ」

悪い意味にも取れるので、それはつまりどういうことだろうと顔色を窺うと、
恭弥先輩の表情は優しくて、持っていた書類をひらひらとはためかせた。
それはさっき私が終わらせたものだったから、ちゃんと合格をもらえたということだろう。
たしかに今日はこれ以上まともに仕事ができるとは思えない。
大人しく帰るのが賢明だろうな、と思う。

「じゃあ、お先に失礼します。今日はすみませんでした。また明日も来ます」

勿体無いなあと思いながら荷物をまとめて、恭弥先輩を見て、名残惜しく応接室を辞した。
下校のチャイムがなる前にこの部屋を出るのは初めてかもしれない。違和感があった。

ドアを閉めた瞬間にさっきのことを思い出して、顔が熱くなる。
恥ずかしさと、愛しい残像が消えない。
この思いはすでに私の中に深く根付いている。


のぼせた頭を冷ますために、私は歩き始めた。
思いついて、時間があるので、学校からそう離れていない並木さんの家まで徒歩でいくことにした。
最近顔を出していないので、久しぶりに本を借りよう。

目覚めたてで少し身体がだるいので、ゆっくり歩くのがちょうど良かった。
葉桜が美しい。


「なーみきさん!」

今日は敢えて持っていたカードキーで部屋まで上がった。
玄関に靴が置いてあったので、安心して叫んでみる。

「かえで?どうしたんだ、その制服」
「あれ、見せてなかったっけ」

新学期が始まってからも並木さんが家にくることはあったけど、
夜だったから制服から着替えた後だった。
そういうわけで、両親にしたのと同じような説明をする。

「風紀委員会ねえ……。それでここ一年忙しそうだったのか?」
「うん。すっごく充実してたよ」
「危ない目には遭うなよ。あいつらを心配させてやるな」
「……うん」
「ただし、気を使う必要はないからな」

難しいこと言うなあ……、と曖昧に笑った。
すると並木さんは立ち上がって、「家族に気を使ってたらきりがないだろ」と言い、私の頭を撫でた。
久しぶりの感触が心地良い。それから、

「本借りに来たんだろ?来いよ」

と言って、書斎に連れて行ってくれた。
本棚には新しい本がいくつも並んでいて、オススメを三つほど借りた。
それから紅茶を飲みながらしばらく並木さんの部屋で過ごした。


 top 


- ナノ -