日々は鮮やかに過ぎる。
「かえでちゃん、明日暇かなぁ?」
「……どうして?」
「一緒にチョコレート作らない?ハルちゃんもなんだけど」
「ああ、ごめんね。チョコレートはもう買ってあるんだ」
バレンタインが近づき、女の子たちは浮き足立つ。
私もここのところずっと、放課後や週末にお店を練り歩いてチョコレートを選んでいた。
料理はパパの担当で私は自分で作るという発想はなかったけれど、
京子ちゃんやハルちゃんと一緒なら楽しかっただろうから、少し惜しい。
「来年は、混ぜてもらってもいい?」
そんな言葉が自然と滑り落ちていて、焦ったけど、
京子ちゃんからは笑顔が返ってきたので安心する。
チョコレートを渡す相手、追加。
ママは私と同じであげる側だからあげないけど、
女の子の友達にあげることはおかしくないよね?
あとはパパと並木さんに。
バレンタインの日になると、私はクラスでは京子ちゃんにだけ渡したあと、
ひときわ気合の入った包みを携えて、いつものように応接室へ向かった。
脳内では、なにをどう誤魔化して、かの風紀委員長にチョコレートを受け取ってもらおうかと悩んでいた。
「恭弥先輩」
とりえあえず笑ってみる。
頑張らなくても笑顔が自然に出るのは、幸せな証拠かもしれない。
別に放課後中此処にいるのだから、今切り出さなくてもいいんだけど、
後回しにすると最終的に達成できない危険性がある。
「何?」
「日ごろの感謝の気持ちです」
そういって、頭を下げて包装されたチョコレートを差し出した。
いろいろ考えたんだけど、いざ本人の顔を見たら思考が吹っ飛んでしまった。
いくら頭で考えてるつもりでも、私ってこういうところがあるから困る。
表情が窺えないまま、沈黙が降ってくる。
すると、掴んでいた感触がふっと消えた。
顔を上げると、それは先輩の手の中にあった。
「もらってあげる」
弧を描く唇が、いとしかった。
ありがとうございます、という言葉が喉元から出かかったけど、
こっちがお礼を言うのは少しおかしいと気づいて、なにも伝えられない。
願った分だけ叶えばいいのに、思った分だけ届けばいいのに。
いっそすべてを伝えれば、伝えられたら。
そう思いながら、通常業務に戻った。
年度が替わるから今の時期はいろいろと忙しい。
資料の整理をするために休日出勤があったりするけれど、大丈夫。
冬の寒さだって吹き飛ばせてしまう。
(休日にもかかわらず校庭が騒がしくたって、知らないふり)
春休みになると、家では小さなパーティが開かれた。
主な名目はナオの入学祝いと、私の進級祝い。
でもその他いろいろと理由を作って、とにかく楽しいということが重要なのだ。
ナオの受験が終わったことで一番解放されたのはエリちゃんらしかった。
塾の送り迎えなどが大変だったらしくて、それがなくなった今は始終笑顔だ。
無事に合格できて本当によかったと思う。
「なあ、かえで。お前この一年で変わったよな」
「そうかな?」
「一皮むけた気がする」
「それに、綺麗になったわ。いいことね」
口々にそういわれると、悪い気がしない。
この一年なにがあったかなあと考えて、長いようで短いようで、本当にいろんなことがあった。
もしもいい方向に変われているのだとしたら、それは誰のおかげだろう。
優しさに包まれていた気がする。
それは勿論学校で起こったことだけではなくて。
私は学校であったこととか、なにをしているのかとかあまり人に話さない。
実は並盛を支配していると言われる風紀委員会に所属しているんだよとか、並盛最強と言われる風紀委員長様が好きなんだよとか、過去や未来が見えることを話してしまったよ、とか、学校にマフィアのボスを名乗る子がいるよ、とか。
そういうことをなんとなく秘密にしてしまうけど、何も言わない私を見守ってくれる人たちがいる。
言えないというわけではなくて、許容されることに甘えているだけなのだ。
自分のことを話すのは得意ではなくて、今更だからと思ってしまう。
『正しい』行動をしている自覚があるわけじゃないから、
客観的に『正しくない』ことを非難されるのを恐れている。
前に進もうとする一方で罪悪感がチクチクと胸を刺すから、秘密を作ってしまう。
やましいことでもあるのかと問われても答えられない。
少しの無茶をする自覚はあるから。
そのときすでにナオの手元には中学の制服が届いていたらしいので、そのお披露目もされた。
大きめのサイズを買ったらしく、制服に着られているような姿は本人も嫌がっていたけど、
紺色の学ランを見て、急に『ナオが中学生になる』という実感が湧いてきた。
『自分が二年生になる』ということは当たり前に受け止められるのに、少し離れているほど変化に敏感になるんだ。
制服といえば、始業式の前日に私は約束通り応接室を訪れた。
たまたまどこの部活も活動していなかったようで、やけに静かな学校に未視感を抱いた。
けれど、数日ぶりにそのドアを開けて、逆光を背負った恭弥先輩の姿を見たら、緊張は別のものに変わった。
「わざわざありがとうございます」
「別に、君の為だけに学校に来たわけじゃない」
「でも、用意してくださったんですよね?」
「ちゃんと届いてるよ。そこ」
示された場所には白い箱があって、中を確認すると見覚えの無いセーラー服が入っていた。
一年間ブレザーで過ごしていたので、それがとても特殊なものに見える。
でも、これでやっと。
「……2万であってますか」
鞄から封筒を出して、渡すと、先輩は頷いて中身を確認した。
入学したときに制服代を払ったのは当然パパとママなので、
その金額が高いのか安いのかわからないけど、
価値を考えれば決して高くはない。旧制服の手に入りやすさもわからないし。
この学校で旧制服を着ている風紀委員は男子だけだから、これを着るのは私しかいないのだ。
変化を求めればその分だけ反動があるわけで、
それ自体の価値よりも、覚悟をすることに価値があるのだと思う。
「ところで、正式に風紀委員を名乗るなら自分の身くらいは自分で守れるようにしなよ」
身の引き締まる思いを上乗せされた。
思わず返事をしてしまったけど、恭弥先輩の『身を守る』というのは喧嘩で、という意味だ。
私にはそんなスキルも経験もない。
迷った挙句、その日の夕方にさまざまなお店を回って、
スタンガンや催涙スプレーなどの防犯グッズと護身術の本を購入してみた。
恭弥先輩の方針とは少し違う気がするけど、
身を守れといわれただけだし、私に出来ることといったらこれくらいだ。
それらと新しい制服を握り締めて、私は明日から始まる日々を思った。
そういえばクラス替えがある。
制服を替えることをなんと説明しようか。
悩むべきことはたくさんあったけど、きっと大丈夫だと思えた。
どんな未来が訪れても、私は歩いていけるだろう、と。