27.

知らない間に家と学校を切り離すくせがついた。
中学生になってからは、家で学校の話をした記憶も、両親を行事に招いた記憶も無い。

家族が嫌いなわけじゃなくて、むしろ大好きなんだけど、
学校が苦痛でしかたないわけじゃなくて、わりと上手くやっていると思うのだけど、
それでも私は学校で緊張感が絶えなくて、家族に不変の安全地帯を求めているのかなと思う。

そんな思いや感謝を伝えることもしないささやかな罪悪感を胸に抱きながら、
悩んでいる間に時間は過ぎる。
ふと思ったときに、ごめんなさいと心の中で呟くだけだ。


授業参観は数学で、得意な科目だから緊張はしていなかった。
どの問題を当てられても答えられるだろうという完璧な予習ノートを机の上に置いて、余裕だった。
でも、先生が「今日は数学の苦手な生徒から当てていく」と言ったので、少し残念な思いだった。

ここまではいい。

最初に山本君が当たり、勘で正解。
次に獄寺君が当たったが態度のせいだったので楽々正解。
その次に沢田君が当たった。

ここまでもよかった。

けれど沢田君が答えを考えているあいだに、
なぜか、
一学期に会った記憶のある幼稚園児くらいの男の子が教卓に現れ、
沢田君のお母さんに引き取られ、
直後綺麗な女の人が現れ、それを見て突然獄寺君が倒れ、
教室内が騒然として、授業は一時中断された。

あっという間に起こった立て続けの出来事だったので、語っているほうもわけがわからない感じだ。
けれど本当の問題はそれからだった。

「俺が代打教師のリボ山だ」

そう名乗って、見たことのない教師が教卓に立った。教壇にではなく、教卓に。
私は、そんな名前の教師を見たことがないはずなのに、どこか見覚えがあった。
だからためしに沢田君の顔色を窺ってみると、彼は真っ青だった。
予感は的中、最悪な予感だ。

代打教師(そう呼ぶことにする)は、保護者への挨拶を済ませたあと、
いきなり黒板を埋めるほどの数式を書き並べた。
百歩譲ったって、どう見ても中学生レベルのものではなかった。
軽口を叩ける友人がいれば、「この学校の先生って頭おかしいよね」と笑っているところだ。
いつかの補習の宿題もしかり。

「ちなみにこの問題を解いた奴は、いいマフィアの就職口を紹介するぞ」

ああ、ごめん。
この学校の先生はたしかにときどき頭おかしいけど、
そもそも"彼"がこの学校の先生であるはずがないし、
頭おかしさでこの赤ん坊と比べちゃいけないよね。
わけわからない発言に抗議した生徒にも、その保護者にもチョークを投げつけて気絶させるんだから。

「どーだ、答えわかる奴いねーのか?手を挙げないなら指名するぞ――内藤かえで」

代打教師は出席簿を眺めてにやりと口元を吊り上げた。
名前を呼ばれた瞬間、悪意と陰謀を感じた。
そのためにわざわざこんなことを仕組んだ、確信犯の存在を。

マフィアの就職口を紹介する?
何度も断ったのに、どうして懲りないんだろう。
拒否にも理由があるってどうしてわからないんだろう。
どうして私なんかを。

「はい」

それでも、教師に名前を呼ばれれば歯切れいい返事をして立ち上がる『いい子ちゃん』な自分が嫌だ。
私は、普段なら勉強に関しては自分の努力で勝ち取ったわけだから、いくら注目を浴びてもかまわないと思っている。
あくまでも普段なら。
だから完璧な『優等生』が身についた。

ツカツカと歩いて黒板の前まで行き、チョークを握る。
他の生徒にしてみれば、誰もわからないような難しい問題に対して、学年で一番の優等生が指名されたという、
きわめて自然な光景として映っているはずだ。
水面下で、リボーンを睨むかわりに白い数式を睨んだ。
中学では習わない文字列。
でも、冷静に一つ一つ見ていけば、自分が持ちうる知識を少し応用させれば解けないこともなさそうだとわかった。

「時間が掛かりますが」
「やってみろ」

そう言われて、黒板に解答を書き始めれば、背後で感嘆された。
できる限り気にしないようにしながら、問題にだけ神経を注ぐ。
10分から15分の静寂が流れた。
教室は、代打教師の恐怖を感じながら息を呑んで私を見守っている。
解答がやっと半ばに差し掛かったころで、これ解いてたら授業終わっちゃうな、と思っていた。

背後で幼稚園児くらいの男の子が茶々を入れて、
そのあと爆発音が聞こえたことくらいは聞こえないふりをしていたけど、
突然倒れたはずの獄寺君が廊下から現れたときはさすがに手を止めてそちらを見た。
私は未だに獄寺君に無視できない意識を持っているようだ、と思った。
彼は黒板を指差して、こう叫んだ。

「この問題、見たことが……あります。答えは√5だ!!」
「お前はすでにマフィアだろ」

切り捨てるように言って、リボーンは獄寺君に向かって何かを投げ、再び爆発音が教室内に響いた。
今度は爆発音どころか、火薬が煙を上げる瞬間をばっちり目撃したのだが、
私にしてみれば、そんなことよりも、
必死に解いていた長ったらしい問題の答えを、横からあっさりと言われてしまったことのほうが重大だ。
自業自得だと思ったら酷いだろうか。
とにかく情けないやら、腹立たしいやら、虚しいやら、恨めしいやら、そんな気持ちでいっぱいだった。

「そっかー、√5かあ……」

私は続きを書くのをやめて、目で解答の続きを確かめることにした。
こんなに長い問題なのに、どうして獄寺君は一瞬で解けてしまったんだろう。
能力の差をひしひしと感じる。

「途中式は完璧だぞ」

落ち込んで、黒板消しを手に取ったら、リボーンが言った。
私にだけ聞こえる程度の音量だったので、素直に「ありがとう」と言った。

「やっぱり俺の見込みは正しかったみてーだな。お前、」
「やだ。紹介されたって、従わないから」
「言っとくが、ヒバリもファミリー候補だぞ」

ガタリと音がして、一番前の席の男の子が椅子から落ちていた。
会話が聞こえてしまっていたらしい。
それは風紀委員長の固有名詞に対する反応だろうけど、私の動揺も反映している気がした。
「どうしたの?」と振り向いて、何も知らないような顔でにっこりと微笑む。

「お前は頭の回転が速くて観察眼に優れ、演技力もある。スパイ候補だ」
「恭弥先輩は?」
「アイツはつえーから戦闘員だ」
「そうじゃなくて、先輩は、許可したの?」
「許可なんかなくても決定してることだぞ。俺が決めた」

つまりそれは恭弥先輩に許可を貰っていないということか。
私なんかよりも、あの人は、どこかの組織に属すなんて考えられないと思った。トップとしてならまだともかく。
こんな赤ん坊に対してあの人が許可を与えるものかと思った。

与えないでほしいという願望でもあった。
居心地のいい、私の場所。
独占欲に似た嫉妬心や懇願からくるものだった。
私は賭けに出た。

「じゃあこうしよう。もしも先輩があなたの組織に属すっていうなら、私もそうする」
「……まるで金魚のフンだな」
「うん、それでいい」

日に日に高まる依存心は自覚するところだったのだから。

「よし、約束だぞ。席に戻れ」
「はい、リボ山先生」

最後だけ普通に他の人に聞こえるように言って、私は自分の席に戻った。
着席して椅子を引くと、その行動が沢田君を正気に返らせたようで、
彼はハッと立ち上がって爆発に巻き込まれた……というか明らかに爆発の標的にされた二人の元へ駆けつけた。

うん、もう関わらない関わらない。


そんなふうにいつでも不変的に『我関せず』を貫けばよかったのだ、と思ったのはだいぶ後になってからだった。
一匹狼を貫こうと思ったのに、好奇心とか、譲れないこととか、大切な人とかが関わって、
結局自分から厄介ごとに首を挟む嵌めになることが多かった。
その結果、平穏に別れを告げることになったのかもしれないけど、でも、もう後悔はしない。

私はとっくの昔から、すでに巻き込まれていたのだから。


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