26.

この関係にどんな名前がつくだろう。

少し風邪をこじらせた。
というわりには、恭弥先輩は一週間ほど病院に居座っていた。
つらそうな様子はないし、病室は広くて、院長まで挨拶に来ているのを見た。
退屈であるということを除けば居心地は悪くないらしい。
携帯電話を当然のように使っているし、それによって学校や町の様子を易く知ることが出来るらしい。
風紀委員を始めとしてさまざまな人が立ち代り入れ替わりお見舞いを持ってくるせいで、
病室には毎日違う花が飾られ、安くない果物が置かれていた。
お見舞いの品に、花や果物というチョイスはやめてよかったとしみじみ思うのだ。

病室に入ると知らない人がボロボロになって倒れていたり、
それを恭弥先輩は涼しい顔で見ていたりする。それにはもう慣れた。
一応、看護士さんを呼べば怪我人を連れて行ってくれるので。
勝手にルールを作ってゲームなんか始めているのを知って、なかなか楽しそうだなあと思ってしまう。

暇を潰す手伝いになればと思って、私は毎日いくつも本を持って病室に通った。
その中でもミステリーのシリーズはお気に召したようで、
読み終わって棚の上に置かれた本を持ち帰っては続きを持ってくる。そんな日々の繰り返しだ。

たったそれだけの理由で毎日足を運んだのだ。
ベッドの傍の椅子に座って、たわいもない会話をする。
時間にすれば30分から一時間くらい。
不思議なことに、普段のような雑務の話はしなかった。
仕事をくださいといえばもっと居座れるかもしれないと思う一方で、
こんなところでまでそんな話をするのは嫌だと思う自分がいる。

ああ、出来る限りいろんな本を持っていきます。
いろんな話題を考えておきます。
果物を切り分けられるように、お皿と果物ナイフを持っていきます。

どうしたら少しでも長くあなたの顔を見ていられるだろうかと、
私はいつも考えています。


クリスマスの日も、いつもと変わらず先輩を訪ねた。

少し前に、何気なくプレゼントはなにが良いか調査しようとしたら、
「なんで僕がキリストの誕生日を祝わなきゃいけないの」と言われたので、用意できなかった。
ちなみにその言葉があまりにも先輩らしかったので、悲しいよりも誇らしかった。

自分や知り合いの誕生日を祝う意義はわかってくれるようだけど、
この調子だと、お菓子メーカーの策略といわれるバレンタインもきっと駄目だろうなあと思う。
まあ、他意はないふりをして差し出したチョコレートを食べてもらえればそれでいい。

今日は家のクリスマスパーティの準備を抜け出してきた。
知り合いの先輩が入院していて、そのお見舞いに連日通いつめていることは言ってあるし、
だから、パパも出来立てのクリスマスケーキを何ピースか持たせてくれた。
パパの作ったものは美味しいから、きっと恭弥先輩にも気に入ってもらえると思う。

外には雪が降っていた。
白く、白く、降り積もる。

ときどきこの空間で呼吸していることが不思議でたまらなくなる。
それでも、どんなに疑ったって現実には変わりないことに安堵する。
訪問すれば入室を許されること。
名前を呼べば、返事があること。
少し顔の角度を変えれば、視界に入る位置に恭弥先輩がいるということ。
手を伸ばせば届きそうだということ、触れてしまいそうだということ。

はっと我に返って、顔が熱くなる。
過去を見たいわけでも、見たくないわけでも、
未来を見たいわけでも、見たくないわけでもなくて、
恭弥先輩に触れるということは特別な意味を持っているのだった。

大切な人に囲まれて育った。
だから、誰かを大切に思うことを知っているつもりだった。
傍にいることが、呼吸をするように当たり前の人、
壁を作って距離を置くことが当たり前の人、その区別をつけていた。

でも、壁を壊して自分の出来る限りぎりぎりのところまで、
少しずつ歩み寄っていくということは知らなかった。

知らない間に嵌まり込んでいた暗闇から救い出してもらった。
意図せずとも、たくさんのものをもらった。
恭弥先輩の目に私はどう映っているだろう。


新学期になって、一週間すると学年末テストが行われた。
直前は、相変わらず勉強に明け暮れたわけだけれど、
そのおかげで、なんと首位奪還を果たすことが出来た。
点数差は大したことないけれど、とにかく私がこだわっていたものである。

そう、あんなにこだわっていたのに、いざ達成して、
どのくらい嬉しかったのかといわれてもと、なんだか拍子抜けしただけだった。
悩んだ日々のわりに容易かったような気がする。
獄寺は手を抜いたのかなあとさえ思ってしまう。
でも、人生ってそんなものなのかもしれない。

とにかくこれで、もう卑屈にならなくて済む。
と、ほっとする部分が大きかった。

同じ頃、ナオが中学受験に合格した。

委員会の仕事も通信簿も順調。
爽やかな気持ちで、年度を終える準備をしていた。


そこで私は一つ、気になっていたことを聞いてみることにした。

「女子の旧制服ってやっぱりセーラーですか?」
「そうだけど」
「どこで手に入りますか」

ずっと気になっていたのだ。
この学校で風紀委員といえば学ラン。
でも私は、せっかく『書記』の役職をもらったのに、指定のブレザーのまま。
似合わなくて、腕章もつけられない。
制服を変えたら、もっと胸を張れるかなあと思うのだ。

「欲しいの?」
「はい。いくらくらいしますか?この制服と同じくらいでしょうか」

まさか我が儘で親にお金を出してもらうわけにはいかないけど、
貯金を崩せばなんとかなると思うのだ。
そう考えていると、恭弥先輩は唇で弧を描いた。

「いいよ、経費で落としてあげる」
「え」
「君は立派な風紀委員だから」

たしかに風紀委員会の予算には余裕があるはずだけど、
でもあくまで私物を、買ってもらっていいものだろうか。
それともまさか風紀委員の学ランはすべて経費で落ちているのだろうか。そんな馬鹿な。

「えーっと、でも、大丈夫です」

その提案が嬉しくて断るのを少し躊躇った。
こういうのは、他人任せよりも自分の懐を痛めて買ったほうが誇らしいと思うのだ。

「じゃあ学校経由で買ったほうが割引きになるから、始業式の前日に取りにおいで」
「わかりました」

制服が変わればパパやママはは不審に思うだろう。
今以上にクラスで浮くかもしれない。
けれど、その戒めに値する価値はきっとある。

私はもっと胸を張って生きてみたい。


「明日は授業参観だからなー。わかってるか」

すっかり忘れてた。
でも、どちらにしろ両親に来てもらうつもりはない。と思い直す。

この場合は、人が多いからとか忙しいからとかいう理由よりも、
私が孤立している教室に足を踏み入れてほしくないという理由のほうが強い。
なにもいわずにお知らせを捨ててしまうのは申し訳ないけど、どうすることも出来ない。

そして迎えた当日、穏やかでない事態が起こっていた。


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