22.

「お金は、使ってしまわれたんですよね?」
「…………」
「風紀委員会に借金という形になりますが、よろしいですか」
「うるさい」

人気がなくなったところで、鈴木先輩は足を止めた。

「侮辱罪って知ってる?証拠もなく人を犯人扱いしちゃいけないの」
「証拠ならあります」
「嘘だ」
「目撃者がいるんです」

もちろんそれは私だった。
彼女は単独犯のようだったから、応接室の窓が割られたときのように、
「目撃者はいないはずだ」という反応が返ってくるはずはなかった。
そう考えると、どうして彼女が証拠がないと断言できたのかがいっそ不思議だった。
よっぽど綿密な計画の上に成り立った犯行だったらしい。

「誰?」
「言えません。報復を受けることを恐れていました」
「いいから、言ってみなさいよ」
「では、証拠もなく、どうして先輩が犯人に挙がったと思いますか」
「知らないわ」
「……できれば言いたくなかったんですが、」

私は、さっき見たばかりの光景を頭の中で反芻した。
彼女が少し哀れに、申し訳なくなる。

「お金で繋がった関係ってとても虚しいものだと思います」

鈴木先輩は目を見開き、かっと顔を赤くして、手を振り上げた。
i瞬間の恐怖。骨が叩かれる大きな音が耳に、痛みと衝撃が頬に来て、床に倒れる。
人に全力で殴られたのは多分はじめてだった。
痛みで脳が揺れる。

「うるさいって言ったでしょ!?
あんたに何がわかるのよ!」

言質を取った。
これで、証拠になる。
――もしかして、あの男性が喋ったと誤解させてしまっただろうか。

「すみません。でも、やっぱり責任は取っていただかなくてはいけませんし、
お金は返していただかなきゃいけないんです。
借金の通知と返済方法を追ってお知らせします。
破った場合は覚悟してください。それから、ある程度の利息も。」

喋るだけで顔が痛かった。
紅葉型の痕くらいついているかもしれない。
情けないな、と思う。
昨日、恭弥先輩に最後までやらせてくださいと言ったのは誰だ。
昨日、もう両親と並木さんに心配かけないと誓ったのは誰だ。

鈴木先輩は、八つ当たりのように、地に伏した私のお腹を一発蹴り飛ばして、何も言わずに去っていった。
沈黙は肯定と取る。
私はふらふらと立ち上がって、歯を食いしばり、お腹を押さえながら階段を下った。
彼女が再び戻ってくることが怖かったので、一年生の校舎に行った。

手洗い場で頬を冷やす。
鏡で自分の顔を見ると、思ったより鬱な顔はしていなかった。
自分の使命を割り切れたように思う。
濡れたハンカチを頬に当てながら、腫れはしばらく引きそうにないので、
ため息をついて諦めて、応接室に戻ることにした。
情けないことこの上ないけど、とりあえず仕事はしたから怒られることはないはずだ。

なんとなく足取りは重くなった。
それで、普段は気をつけているのに、廊下を歩けば人とぶつかった。
それで、未来を見た。珍しく、何人も連続で。

内容は、よいものも悪いものも、判断がつかないものもあった。
試合に勝つとか、テストが返ってくるとか、登校中とか。
でも、一際目立って悪い未来があった。

野球部のグラウンドでまた怪我人が出る。
……なんで野球部なんだろう。
いつかのトラウマがあるから、無視できないじゃないか。

あまりにもふらふらとしていたから、ぶつかった瞬間にその人を引き止めることはできなかった。
仕方ないから、方向を変えて昇降口に向かう。校庭に出るために。


フェンスに近づいて練習中のグラウンドを窺った。
さっきの人はどこにいるだろうか。
余所見をしては危ないと伝えなくては。
同時に、忠告の方法を考えていた。どうしよう。でもとにかく探さなきゃ。

それだけに気を取られていると、後ろから肩を叩かれた。

「おい、内藤じゃねーか。どうしたんだ?こんなところで」
「山本くん……」

この状況をピンチと見るかチャンスと見るかは人それぞれだと思う。
でもそのときの私は鈴木先輩のことで酷く疲れていて、早く応接室に帰りたくて、
リボーンが言っていたことを思い出して、もういいや、と諦めに近くて、
山本君には今更焦って隠してもしょうがない気がして、
チャンスかもしれないと思った。

「信じてくれなくてもいいけど、」

そんな保身のための前置きを入れた。
山本君は少し真顔になった。

「また予言をしにきたの」
「予言、って……」
「リボーンにそう言ったんじゃないの?
ああうん、信じてくれなくてもいいけど、とにかく野球部の人が怪我するから。できれば……」

防いでほしい。と言おうと思った。
同時に、それが大役であることを思い出した。
でも、そんなことはお構いなしに山本君は問う。

「誰だ?」
「わからない。顔までは見えなくて」
「背番号とか」
「……9番」
「佐藤か」

視線をグラウンド内に向けて、その人物を探し、無事だったのか安堵の息を吐いた。
彼は故障で精神的に追い込まれた人だから、他人が怪我をするのも心苦しいのだろう。

「詳しいこと、わかるか?」
「練習中だと思う。2,3日以内だと思う。余所見をしていて、ボールがぶつかって」

そのとき、グラウンドから山本君を呼ぶ声がした。
すみません今行きます、と彼は答えた。
そして人当たりのいい笑みを私に向けた。

「わかった、俺できるだけ注意しとくな」
「……なんでそんなに簡単に信じちゃうの?」
「嘘じゃないんだろ?」
「違う」
「お前いい奴だもんな」

心外だった。
山本君とは殆ど会話したことないのに、どうしてそんなことがわかるんだろう。

「そういや内藤、その顔どうしたんだ?」
「……勲章だよ」

指摘されて、ハンカチで押さえていた頬にもう一方の手も添えた。
やっぱり目立つのか。と思いながら、後悔はしていない。
顔が痛くて笑えないけど。

「ごめん、任せたから。さよなら」
「ああ、気をつけろよ」

初めてクラスメートに頼った人かもしれない。
私の中でも、山本君は『悪い人じゃない』という認識が確立された。
『会話するクラスメートリスト』の京子ちゃんの隣に名前が書き込まれた。


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