17.

三日ぶりに応接室を訪れると、誰もいない代わりに机の上に無言の書類が積んであった。
私に用意された仕事だ。

最近は風紀委員会の書類の殆どを任されるようになった。
他の仕事はまったく知らないけど、その一点だけは役に立っていると断言できる。
私が事務の仕事をすれば、先輩が他の仕事に時間と労力を専念できる。

それに、後期の書記になれたのが嬉しい。
役員を決めるとき、「書記は君ね」と言われて、
驚いたら、恭弥先輩に「君以外に誰がいるの」と言われた。
それは今でも頭の中で何回もリピートされている。
一年生に役職を与えることに不満もあったみたいだけど、
それまで実は私がやっていた書類の数々を見ると、納得してもらえた。
別にでしゃばっているつもりはないけど、気持ちが高ぶれば他の事に構っていられない。

恭弥先輩は多分外回りに出ている。
並盛町全体を取り仕切っているってとても凄いことだと思う、けど、
さすがにガランとした応接室を見ると溜め息が出た。

私は最初、先輩に会いたくて此処に通っていたのだから、
いくら信用されている証とはいえ、本末転倒にも思える。
でも、私は距離の縮め方を知らないし、
現状を維持するためにはやっぱり仕事をするしかないと知っている。

作業スピードもだいぶ向上したから、下校時間の40分近くも前にすべてを終わらせることができた。見直しもして、我ながら完璧だ。

そして、私は読書用の本を取り出した。
終わったなら帰れよ、と思われるかもしれないけど、
下校時間前後に恭弥先輩は校内を見回るために一度帰ってくるから、
一日の報告という名目で、姿を見て、短い会話をするのが目的でぎりぎりまで居座るのである。
我ながら、相変わらず不毛だ。

本を開く前に大きく伸びをした。
座りっぱなしで集中していたために息抜きが必要だった。
とりあえず席を立って、お手洗いに向かう。


応接室を離れたのは本当に短い時間だったし、施錠もしっかりとしていた。
――ちゃんと鍵が渡されていた。
けれど、廊下を歩いているとき、突然硝子の割れる大きな音が聞こえてきた。それも応接室の方向から。
慌てて駆け寄って、その扉を開けた。

唖然とした。窓ガラスが大きく割れていた。
その欠片が危なっかしく床に散らばっている。机にも。
そして、床には拳くらいの大きさの、何かの塊が落ちていた。

どうやらそれが投げ込まれたらしかった。
拾ってみると、石が紙で包まれている。
ポールならともかく、石であることから明らかな悪意がうかがえる。
その包んでいる紙を開いてみると、
『我不許独裁者雲雀』と、ヘタクソで荒い、黒い筆ペンの文字が書かれていた。
われどくさいしゃひばりをゆるさず、と読んでほしいのか。
意味はわかるけど、格好つけようとしているのがなんか頭悪そうだ。

先輩に正面から喧嘩を売れないからってこんな陰湿な手を使うのか。
物凄く腹が立った。この神聖な部屋を汚すなんて。
犯人の正体がわからない? 
まさか。それはフツウだったら、の話だ。
私の能力はこんなときにこそ発揮するべきで、
少し意識をして、目隠しのない目で過去を見据える。
投げ込まれた石の過去に犯人の姿がないはずはなかった。

大きな音を聞きつけた教師がやってきたけど、
事件現場が応接室だと知るとたじろいだ。
私は部外者を勝手に中に入れることに抵抗があったから、
「大丈夫です」と言って、やんわりと侵入を拒否した。
すると、すぐに帰ってくれた。

それから10分もしないうちに恭弥先輩が帰ってきた。
応接室の窓ガラスが割られた、と連絡を受けたらしい。

私は片付けを始めていたけれど、大きな破片や、
思ったより細かいガラスが飛び散っているせいですぐには終わらなかった。
その作業の途中の光景を眺めて、部屋に足を踏み入れながら、先輩は聞いた。

「怪我は?」
「ありません」
「被害は?」
「窓だけです」
「道具は?」
「この石です。紙で包んであったんですけど、」

そう言うと、先輩は無言でそれを奪った。
一瞥して、また問いを紡ぐ。

「――犯人は?」
「顔を、見ました」

本当は「怪我はない」に付け足して、
「部屋にいなかったときに起こった」という事実を伝えるべきだったけど、
「走り去る犯人の顔を見た」ということにしなければいけないから、あえて伏せた。
でも、嘘はついていない。

「生徒?」
「ええ、多分」
「調べて」
「はい」

応接室の本棚には全校生徒の名簿があった。
教員名簿もある。卒業生の分も。
他にもいろいろな資料があって、必要に応じて使っていいとされている。

さっき見た顔を思い浮かべながら、分厚い冊子のページをめくっていく。
一年生ではなかったはずだから、二年生から調べていく。
量が多いから、そして見逃さないように神経を使うから、かなり時間がかかった。
時計の針の音が聞こえるほどの沈黙が続いた。
無言のプレッシャーに取り囲まれて、余計な動きができない。

「あ、」

見つけたのは下校時刻が過ぎてからだった。
恭弥先輩が下校時刻が過ぎても居残ることを許すのは珍しい。
私は30分近く緊張していたせいで少し疲れていた。
だって、その約30分間、先輩はずっと無言だったから。
怒っているのだろうか?ああ、無粋な疑問か。

「この人です。3-Bの、」
「……ふうん」

先輩は獲物を狙い定めるみたいに目を光らせてその顔写真を睨んだ。
ご愁傷様、でも自業自得。と心の中で呟く。

「今日はもう帰っていいよ」
「あ、でもまだ片づけが」
「明日他の人間にやらせるから。気をつけて」
「……はい」

先輩の前だと私は大抵言われるがままになる。なんとなく反論できない。
先生の言うことを聞くのとは少し違う。
尊敬とか、常識とか、そういうのじゃなくて、『逆らいたくない』のだ。
恐怖とも違う。先輩の声は、私の体に張り巡らされた神経を惹きつける。

先輩の『気をつけて』という短い言葉は嬉しかったけど、有無を言わさない圧力があって、
なんとなく苦い気分のまま帰宅した。
まるでざらついた後味が残っている感じだ。

習慣的に、私は一日応接室に行ったら三日後にならないと再び訪れられないから、
関わりがないわけじゃないのに、事件の結末を知らされずに過ごすことになるのだ。
三日も経った後に恭弥先輩に詳しく聞き出すのは難しい。除け者みたい。
だったら明日応接室に行けばいい?
どうやって?どんな言い訳で?

考えていた。
けれど、実はそれは杞憂だった。


 top 


- ナノ -