16.閉ざされた世界の片隅で

カレンダーを捲ると『October』の文字が目に入って、「もう10月か」と呟いた。
中学に入学して半年、私が並盛町に引っ越してきてから、もう1年になる。

ふいに、ちょうど一年前の記憶が蘇ってきた。
まだ小学生だった頃。特に6年生。
あの日、両親に「学校に行きたくない」と泣きついた日。


私の目隠しというのは生まれたときから欠陥品で、
気付いた頃にはもうその力を有していた。
人に触れればその人の過去が見え、ふとした拍子には未来が見える。
それは私にとってあまりに自然なことで、なんの抵抗もなく受け入れていた。

見るのは悪いことじゃないんだよ、と教えられた。
卑屈にならないように。コンプレックスをもたないように。

普通の人には『見えない』ということは教えられていたし、やがて理解した。
知り合いに三人も『見える』人がいる私にとってはその方が"不自然"だったけど、
私が特殊なんだ、と知ってからは力のことを人に触れ回らないようにした。

私には見えるのに、見えない人たちが道を歩いている。
そこはまさに目隠しの国だった。

けれど、見えてしまうから、それを抑えるのは難しくて、
幼い頃の私は、ときどき誰かの悪い未来を見ては、理解されない言動に出た。
見るのが悪いことと教えられなかったから、
今のように拒絶していたわけでもなく、触れれば常に流れ込んできた。

怖い光景を見ることもあった。
何か行動を起こして、人を助けたとしても、助けられなかったとしても、
昔は今よりももっと立ち回るのが下手だったから、私にいいことなんてなかった。
それでも両親の教えを信じていたから、わかりあえる人たちがいたから、そう悲観してはいなかった。

高学年になるにしたがって、少しずつ自制を覚えていった。
見ずに済むなら見ないほうがいいと学んでいた。
できるだけ気を逸らし、目を逸らし、
必要なときに目隠しをしていない目を開くだけ。
忠告するにしても言い方を覚えたし、私は上手く生きていると思っていた。

暴かなくていいような嘘をいくつも暴いたけれど、私自身は偽りだらけだった。
誰にも真実を話してはいなかった。
過去が見えれば、どんなに人が嘘に塗れているかわかってしまう。
プライバシーの侵害とか、そういうことまで考えられなかった。
嘘をつかない人に安心していた。そんな人、いないのに。
"彼女"はそうだと思っていた。私を受け入れてくれる人。

あの日裏切ったのはあなただった? それとも私だった?
裏切りなんてどこにもなかったのに、私は勝手に、酷く傷ついた。
正しさなんてわからない。この場所には結果しか残っていないのだから。

私は世界に嘘が多いと知っていたから、
たくさんの人に友達のレッテルを貼るという芸当ができなかった。
友人関係は狭く深くて、たった一人以外はただのクラスメートだったといってもいい。
唯一、友達――親友と、呼べた人。
けれど彼女には私以外にも沢山友達がいた。
には、その他の友達といるときの彼女が一番楽しそうに見えた。

その頃私は今ほど読書にのめりこんではいなくて、むしろ彼女の方が読書家と言えた。
彼女が薦めた本は例外なく楽しかったし、今でも大切に本棚にしまってある。
それを開くたび、胸が痛くなる。

彼女は私に愚痴を零すことも多かった。
親、教師、友達……。
どんな話でも私は大抵頷いて聞いていたから、段々エスカレートしていった。
どうしてもっと楽しい話をしてくれないのとうんざりすることもあった。

「そうなんだよ、最悪だと思わない!?」
「うん、思うよ」
「ね、かえでは私の味方だよね?」
「うん」
「親友だもんね」
「……うん!」

彼女の愚痴がかなり事実と異なっていることや、
大袈裟なことはすぐにわかったけど、指摘はしなかった。
欲しい言葉をくれるから、甘えていた。嫌われたくないと思った。

でも、その嘘に気付いてしまった。真実に向き合いたくなんてなかったのに。
裏切られたと感じてしまった。人を責める権利なんかなかったのに。

たとえば、忙しいから先に帰ってと言った彼女は直後別の友達と帰っていたり、
私のことを話題にして笑っていたり、
宿題見せて、とか、そういう要求が増えていったり、それはあまりにも些細なことで、
けれどたったそれだけのことに私は一々傷ついて、疲れていった。

たしかに私一人といるよりも、沢山の友達に囲まれていた方が楽しいに決まっていた。
だからしょうがないという気持ちもあって、我慢しているつもりだった。
けれど次第に、私は明確に蔑ろにされていて、蓄積されたものが、ある日氾濫した。

鞄を取りに教室の扉を開けると、彼女とその友達がはっと話を止めて私を見た。
私は、自分が話題になっていたような気がして、
何を話してたんだろうと思って、教室の過去を見た。見なければよかった。

「――あの子友達いないから」

そう言った彼女の言葉が一番ショックだった。
そして、その悲しみはすぐに怒りに変わった。
これ以上一緒にいて一方的に傷つけられることには耐えられないと思った。
自制が利かなくなって、彼女に近づいて、

「言っとくけど、私はあなたのことだって友達だと思ってないから」

と言った。強がりだった。
いっぱいいっぱいの私に比べて、彼女は平然としていた。それにさらに苛ついた。

「聞いてたの?」
「そう。大嫌い」
「へえ、可哀想だね」

彼女は私から目を逸らした。終わった。
唯一の友情が終わるということは、思ったより深刻なことだった。
たとえば教室で話しかける人がいない。
それどころか、陰口さえも聞こえてくる。まさに四面楚歌だ。

卒業まで半年、私は別れを惜しんでも未来への希望を抱いてもいなかった。
そこにあるのは絶望だ。

変わらない顔ぶれで中学に進むこと。
家が近い彼女はもう一緒に登校してくれない。
新しい友達なんてできない。――いらない。
三年間。あまりに長い。毎日後悔と自責に耐えなければいけない。

「学校に行きたくない」と言ったとき、両親は何も聞かなかった。
もしかしたら、パパは見てしまったのかもしれないけど。
ちょうど我が家ではマイホーム計画中で、それはあと何年も先の予定だったけど、

「ちょうど良い物件が見つかったの。引っ越そうか」
「駅から近くて、エリちゃん家の隣町だよ」

そう言ってくれた。私のために。
願ってもないことだったから、勿論望んだ。
それからは驚くほど対応が早くて、エリちゃんは家が近くなることを歓迎してくれた。
ナオも引越しを手伝ってくれた。並木さんも私たちの家の近くにマンションを買った。

どうしてこんなに優しいんだろう。
どうして、私と同じ力があるはずなのに。
わかってた。悪いのは、力じゃなくて私なんだ。

苦しい。だから、新しい場所では、友達なんかいらない。
勉強でもしよう。と心に誓った。

「大嫌い」と言われて傷つかないはずがないのに、
どうしてあんなに簡単に言えてしまったんだろう。
一年たった今ごろになって私は自分の否を考えるようになっていた。
きっと彼女は何も悪くなかった。
気味の悪い力ですべてを暴こうとした私に比べれば。


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