14.

借りていた洋書を読み終えたから、今日は並木さんの家によって帰ることにする。
続編があったら借りたいし、同じ作者の本を今度自分で買うのも良い。
並木さんは帰ってるかな、と考えながら昇降口を出たところで、独特の声を聞いた。
あの赤ん坊だった。

「待ってたぞ」
「……またあなた?」

正直、ウンザリした。
人に心を乱されるというのは当然良い気分ではない。
なによりも私はこの赤ん坊が好きではなかった。
八つ当たりのような感情も混じっている。
最初の恐怖がいつまでも続くと思わないでほしい。
何度目ともなれば、理不尽な苛立ちさえ込み上げてくる。

「お前風紀委員なんだってな」
「だったら何?」

棘のある口調が滑らかに出ていく。
リボーンと対話することで恭弥先輩、沢田君、それから山本君、獄寺君の顔が順に浮かんで、
恭弥先輩の顔だけを心に留めなおした。

「山本に予言したそうじゃねーか」
「だったらなんだっていうの。あんな偶然。
勘が当たっちゃって苦い思いをしたのはこっちなの。思い出させないで」
「お前何者だ?」

低い位置から浴びせられるのは、相変わらずの探るような鋭い視線。
彼は一挙一動も見逃さずにすべてを見抜こうとしているんだ。
観察されてる身としては気分が悪い。

「暴いてみればいいよ。どうせ私は、あなたなんかに脅かされない」

残念ながら、私を脅かしていいのは恭弥先輩だけだ。
そのことが現在もっぱらの悩みになっているのだけど。

私は上手くやっている。
日々の努力のお蔭で、学校で過去や未来を見ることは殆どない。
見たって自分が苦しむだけで、多少なら平然としていればいい。
そうしていれば、真実に到達される可能性なんて皆無に等しいのだ。
孤立することで周囲にどう思われたって構わない。
それに、仮に誰かが声高々に私の能力を公開したところで、実際に信じる人なんて殆どいないのだ。

ああ、でも沢田君とかは常識よりもリボーンの言葉を信じるかもしれない。
そうすると獄寺君、山本君、……案外もっと沢山の人。
ああ、京子ちゃんに知られるのはちょっと嫌だ。
好きでもない人なら関わらないようにすればいいのにね。
……恭弥先輩は、リボーンの言葉を信じるだろうか。

ざわりと不安が過ぎったけれど、冷静になれと自分に命令を下す。
まだ実際に暴かれたわけじゃないのだ。
リボーンは私に踏み込んだわけではない。
気付かれなければいい。気付かれるわけがない。触らなければ何も見えない。

一連の思考を終えて結論に達すると、
ちょうどリボーンが口許を吊り上げて性格悪そうに笑った。

「後悔してもしらねーぞ」
「はいはい。私帰るからそこ退いてもらえる?」
「………………。内藤かえで」

意味もなく名前を呼ばれたけど、私は振り向かなかった。
無視して、鞄を持って歩き続けた。
駐輪場まで来るとチェーンのロックを開錠して自転車に乗った。
憂鬱な気分を振り払うために、ギアを重くして加速する。

あっという間に並木さんのマンションに着いたけど、その頃には息切れしていた。
セキュリティ万全のそこでは、入り口の自動ドアのところで鍵を使うか、中から開けてもらうかしないと入れない。
呼吸を整えながらインターフォンを鳴らす。
並木さんは留守のことも多いからちゃんとキーを渡されているけど、
一応本人がいるかどうか確認するために毎度インターフォンを鳴らすことにしている。
基本的に並木さんは自由人だから暇なんだけど、さすがに帰宅部の中学生が帰る時間に家にいるのは珍しいのだ。

けれどその日は、珍しく返答があった。
呼び出し音が鳴り止み、受話器を取る音がしたので、私は驚きながらも小さなレンズに向かって微笑んだ。
こんにちは、と愛想よく言うと、並木さんの面倒そうな声が聞こえる。

「お前鍵持ってるだろ?」
「勝手に入ると不法侵入みたいじゃん」
「いつも勝手に入ってきてるだろ」
「だっていつもは並木さん留守なんだもん。仕方ないよ」

溜息を吐かれる。
楽しいからやめるつもりはない。
多分並木さんの背後から、笑い声が聞こえた。

「誰かいるの?」
「ああ。……さっさと上がってこいよ」

そう言われると同時に目の前の自動ドアが開いた。
結局開けてくれるから優しい。と、いつも思うんだけど、
そのときは「部屋にいるのは誰だろう?」という疑問の方が大きかった。
今までこんな時間に誰かと鉢合わせしたことはない。
並木さんの部屋は最上階だから、エレベーターに乗っている時間がやけに長かった。

「お邪魔しまーす」

玄関の鍵は自分で開けて、入ると、迎えてくれたのは、

「久しぶりね、かえで」

会長さんだった。

「え!?どうしているの?」
「仕事で近くまできたから寄ったのよ」

会長さん、というのは勿論本名ではない。
高校時代に生徒会長と努めていたことに由来する。
ママが名残で呼び続けているから、私もそう呼んでいる。

職業は刑事さんで、女性でありながら敏腕有能出世街道まっしぐらだ。
といっても下手にエリート意識が強いわけではなく、
どちらかというと責任感が強いというか、
被害者とか部下のことを本当に良く考えている人だ。

長くて色素の薄い髪と同じ色の瞳、整った顔立ちが美しい。
理想の女性は?と聞かれたら、私は迷わず会長さんを挙げる。
仕事が忙しいのと県外に住んでいるのとで会える機会は稀ともいえるけど、大好きだ。

「今日は時間あるの?よかったらうちにも遊びにきてよ!ママもパパもきっと喜ぶよ」
「ごめんなさい。早く解決しなきゃいけない事件があって、そろそろいかなきゃいけないの」
「そうなんだ……」

声のトーンを落としながら、(だから並木さんの力を借りにきたのかな)と理解した。
並木さんの力は、三日前後の未来を自由に見る力だ。

「並木さんに何か見てもらったの?」
「ええ。でも暫くは進展がないみたいで……」

残念ながら収穫はなかったらしい。
ふと、考えが浮かんだ。

「私が見ようか?」
「え」

並木さんが未来を見ても収穫がなかったとしても、
私が過去を見れば何かわかるかもしれない。
そう思ったのだけど、提案すると、会長さんの顔が強張った。

「駄目よ」
「どうして?」
「殺人事件なの。子供が見ていい光景じゃないわ」
「平気だよ。迷宮入りしちゃうよりマシでしょ?」
「でも、」

「お前らひとんちの玄関で立ち話するくらいなら部屋に入れ」

ふいに並木さんが会話を止めた。
私は「そうだね」と返事をして、脱いだ靴をそろえてからリビングに入った。
見慣れた、広くてきれいな部屋。
テーブルの上にはティーカップが二つ。
紅茶がおいしそうとか思っていると、並木さんが言った。

「やめとけよ」
「何を?」
「子供が首を突っ込むな」

殺人事件の話らしかった。

会長さんといい、並木さんといい、私はもう中学生なのに、と思う。
でも並木さんが私を子ども扱いするのは珍しいことだ。嬉しいわけではないけど。
私にとって心を許せて、安心できるのは大人たちだけだった。
だから無意識に背伸びするくせがついた。会話に入り込もうと、必死で。
それがいいことか悪いことかはわからない。
けど、対等に扱って欲しいと思う。それこそが子供じみていて、困らせるだけの思考だとしても。

「そんなに酷い事件なの?」
「ええ、死体がバラバラにされていて、被害者の身元もわからないし……」
「、馬鹿!」

会長さんの言葉に、それこそ私の出番じゃないかと思うと、
それを察した並木さんが怒鳴った。
ニュースと新聞で見たことがある事件かも知れない。

「そんなもん見たってかえでが苦しいだけだろ、ほっとけよ」
「そうよ。警察が地道に捜査するからいいの」
「……わかった」

二人の迫力があまりに凄いから、しぶしぶ引き下がった。
殺人事件に関わったところで、私に利益がないというのも事実だ。
そのわりには、役に立ちたかった。
最近の私は『好きな人の役に立ちたい』という欲で満たされている。

「そんなわけで私は帰るわね」
「もう帰っちゃうの?」
「ええ、もう用事も終わったから……」

会長さんはそこでチラリと並木さんを見たけど、すぐに目を逸らした。

「じゃあ、さよなら」

そう言い残してあっさりと去っていった。
パタリとドアが閉まると、部屋の中が寂しくなった。


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