11.

少し混んでいたけどパパとママと遊園地に行って、並木さんとデートして、
エリちゃんの家に遊びにも行って、ナオに勉強を教えたりナオのゲームをしたりして、
一人で図書館に行って、本屋に行って、公園に行って、読書して、
庭でお祭りの花火の眺めて、(人が多いからお祭りには行かなかった)
パパに料理を、並木さんにパソコンの使い方を教わったりして、
無駄に読書感想文を書き直してみたりしている間に、夏休みはあっという間に過ぎていった。

休み明け最初の日は実力テストだから、一週間前には本格的に勉強を始めた。
打倒獄寺君!を密かに目標に掲げているから、いつもよりもやる気が出る。
もちろん、どうしても勝ちたいなら並木さんに教えてもらうという最終手段がある。
"勉強を"だったり"テストの問題を"だったり。つまりカンニングだ。並木さんならそれが出来る。
でもそれって最初から負けてる。価値が無くなる。
たかが中学のテストだ。そしてプライドがかかっている。

教科書、ノート、資料集、問題集を隅々までチェックして、参考書を立ち読みして、
着々と準備が進んでいたのに、予想外の事態が起こった。


なんと、テストの前日になって私は夏風邪を引いてしまった。


心配するパパを料理教室に送り出して、作っておいてくれたお粥を食べた。
食欲はなかったけど、無理矢理流し込んだ感じだ。
夏風邪は馬鹿が引く、なんてフレーズを思い出して一人で凹んだ。

ベッドに横になって、参考書を開いてみたけど文字が霞んで見えたから放り出してしまった。
頭が痛い。体がだるい。汗が気持ち悪い。
温かくしていた方がいいとわかっているのに、真夏の真昼間に布団に入っているのは辛い。
ぼんやりとする意識の中で、勉強しなきゃという思いだけがぐるぐる巡っていた。


別にパパもママも私に「勉強しろ」なんて言ったことがない。
二人とも当たり前の幸せを知っている人たちだから。
それに授業についていく程度に勉強していれば、一回のテストの結果にこだわる必要なんてないのかもしれない。

でも、きっと私は、優秀な成績を保つことで、自分に価値があると思いたかった。

勉強がどうでもいい、なんていう人は他に学校に行く理由を持っている人だ。
例えば友達、例えば部活。
じゃあ、学校でまともな人間関係が築けない、友達がいない私は、なんで学校にいくの?
――勉強するため。
そんなふうに答えを見出したかった。無意味な時間を過ごしていない証明が。
支えるものが何もなければ私は立っていられない。

皆がわいわい騒いでいる間に、私は勉強でもしていればいい。
将来の役に立つ、有意義な時間。自分の知識が増えていくこと。
幸い、私は勉強が好きだし、休み時間の暇つぶしにだってなる。
堂々として、一人でいることが私の意志であると示したかった。
淋しくないよ。だから、同情しないで、近づかないでと。

集団から外れることは、陰口を言われたりする危険と隣り合わせだ。
でも、私は他人の過去を見ることほど怖いことはないと思っていた。


意識が朦朧として、ナーバスになっている余裕もないのに気が沈む。
いっそう海の中ならいいのに。
呼吸が出来なくても、一瞬ならきっと冷たくて気持ちが良い。
仰向けでベッドに寝てぼんやりと天井を見つめながら睡魔を待っていた。

明日のテストは諦めよう。
ちょっと気を張り詰めすぎていたかもしれない。
そう考えて下唇を噛んだ。
いろんなことを諦めているフリをして、プライドだけが無駄に高い自分が嫌だ。
どうして私の周りは優しい人ばかりなのに、私は優しくなれないんだろう。
ぐずぐずと悩んで、人に相談もしないで、時には八つ当たりをする。
人に理解されようとしないのに、すべてを許されようとしてしまう。

人に焦がれるのは、自分にない輝きを見出すからだ。憧れてばかりいる。
似てるからこそ理解できて、違うからこそ愛せる。
でも、違うからこそ理解できなくて、似てるからこそ愛せないのかもしれない。
手に届く幸せで、どうして満足できないんだろう?

私の価値を奪わないで……。


気付いたら夕方、というほど深く寝入っていた。
急に起き上がるとガンガンと頭が響いて、でも熱は下がっていた。
気分は結構すっきりしていて、晩御飯もそれなりに食べることが出来た。

丸一日眠っていたおかげで治ったんだ。と思った。
寝すぎたせいでふらふらしていたけど、その日予定にしていた勉強に取り掛かった。
睡魔を使い果たしてしまったせいと、焦りで、ベッドに入ったのは朝の4時だった。


中途半端な睡眠時間のせいで頭がぼーっとしていた。
こんなふうに無茶な夜更かしすることってあんまりないから、体が慣れていなかった。
起きたときは大したことなかったけど、自転車のペダルがいつもより重く感じて、校門をくぐる頃には額が熱かった。
ぶり返したかもしれない。病み上がりだから。今からテストなのに。
背筋が凍るほど怖くなったけど、気力で乗り切ろうと思ってなんでもない顔をした。

宿題・提出物は完璧に用意してあったから多分提出したんだと思う。
思う、というのは、あまり記憶が定かでないからだ。
教室に入って、席に着いたことは覚えてる。
挨拶をすると、何故か京子ちゃんとか沢田君とか山本君とかが驚いてた気がする。
「おはよう」って言っただけなのに。ああ、いつも言わないからか。
自分の席では、最終確認をするために教科書を開いた。
いつも以上に周囲の雑音が遠くに聞こえた。

テストが開始した。
問題文を見て、唖然とした。読めなかった。
頭に入ってこない、文字を文字として認識できない。
鉛筆の音が教室に充満しているのに、私は一問目にさえ手を付けられない。
今度こそ背筋が凍った。最悪だ。泣きたくなった。

焦りで、なけなしの道徳心が剥がれていく。
問題用紙に触れて過去を読み込む。
といっても、見えるのは問題用紙がコピーし終わって運ばれていく光景だけだった。
でも息苦しい教室、この状況から現実逃避することで、気分転換にはなった。

冷静になると、急に世界が開けたみたいに、視界がクリアになった。
勉強したことが次々と浮かんできて、問題文を見ると同時に手が動いた。
恐ろしいほど冴えている。さっきまでが嘘みたいに。まるで自分じゃないみたいに。

チャイムが鳴るまで無心で問題を解いていたけど、最終的には時間が足りなくなって、最後の問題が解けなかった。
次の時間の数学ではなんとなくすべてがわかったような気になって、英語では長文の読解が曖昧だった。
その日はとにかく体調が悪かったから、テストが終わったらすぐに帰宅した。
二学期の始まり方としては最悪だ。

夜寝る頃になって、恭弥先輩の姿を見てないことを猛烈に後悔した。
テストの結果は考えないようにして、「明日の放課後応接室に行ってみよう」と呟いた。


次の日、席替えがあったけどやっぱり沢田君の隣の席になった。
沢田君は何か物言いた気にこちらをちらちらと見ていたけど、気付かないフリをした。
相変わらず獄寺君の視線を感じる。

そういえば、補習の宿題を聞かれたときには悪いことをした。
たったひとこと言われただけで電話を切ってしまうなんて、大人げないにもほどがあった。
偉そうだろうがなんだろうがリボーンは子供なのに。
だからといって「謝っておいて」なんて沢田君に話しかける気にはなれなかった。


応接室に行ってみたけど生憎の留守で、私はがっかりして自転車に乗った。
いつもよりゆっくり進む。
夏の空気が穏やかな風になって纏わりついてきた。

帰り道、私はふとある場所で自転車を止めた。
終業式の日、交通事故の目撃者を捜す看板があった場所だ。
それは見事に取り払われていた。
「犯人が見つかったんだ」と思った。私のおかげだろうか。

私は誰かを救ったんだろうか。
忌まわしい、この能力で。
私にしかできないことだったりするんだろうか。
私が。
役に立ったんだろうか。

感傷的になっているせいで、それが物凄く重要なことのように思えた。
誰も知らない。完全な自己満足。だけど、
私はしばらくその場所を見つめた後、自転車に跨って、その道路に沿って走り始めた。
家の方向とは違うけど、関係ない。
制服で、と躊躇うこともなく、真っ直ぐに真っ直ぐに私は進んだ。

比較的大きな道路だ。昼間なのに交通量が多い。
私は――また同じような看板を探すつもりだった。
触れて、見て、通報するつもりだった。勿論名乗りはしない。

それが自分勝手で、利己的で、残酷な考えだとはわかっていた。
交通事故が起こっていないか、なんて、人の不幸を喜ぶみたいな。
でも、無性に自分の価値が欲しくなった。
取り留めのない、一時的なものでよかった。
正気に戻ったときに、どんなに後悔するかも予想していた。

結局、10km近い距離を自転車で走った。
まだ残暑の厳しいこの時期に、誰に言われるでもなく、誰に知られるでもなく、何が得られるでもなく。
知らない道を、汗だくになりながら、髪が鬱陶しいと思いながら。
どこまで行っても目標の物は見つからなくて、
やっと諦めて、コンビニで水分補給して、同じ道を戻ってきた。

家に着く頃には疲れていて、無駄に体力を消費しただけだとわかっていて、自嘲した。
こんなに醜い私をママやパパは知っているだろうか?


次の日、テストの答案が返却された。
結果は思ったよりも悪くなくて、いつもどおりに点が取れていた。
実力かどうかと聞かれたらわからないけど。
それでも全教科満点には適わなくて、二位の順位を見て点数差を考えて、悔しく思った。

下らない邪心ばかりの私が勝利を、大切なものを掴めるはずがなかった。
よかった、思い知れた。
もっと謙虚に生きなきゃいけない。


余談だけど、テストの日の私は京子ちゃん並にニコニコ微笑んでいたらしい。
通常の私には考えられないことだ。
ママも風邪を引くと人格が代わるし、遺伝かな。と思った。
自分が知らないところで笑顔を振りまいていたのって嫌だな、とも。


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