10.

部屋で並木さんに借りた本を読んでいたら、携帯が震えた。
しかも振動の仕方がメールではなく着信だ。
私はとりあえず並木さんの顔が浮かんで、
もしかしたらこの前ケー番とメアドを交換したばかりのナオかもしれないと思って、
画面を見て一瞬停止した。

そこにはありふれたデジタルの文字で『山本 武』とクラスメートの名前が表示されていた。

そういえば、そういえば、そういえば、と。記憶を掘り起こす。
いつだったか、いつものように隣の席であの三人が会話していて、
どういう流れだったか、山本君が私に「内藤ってケータイ持ってる?」と聞いてきて、
持ってると答えたらケー番とアドレスを聞いてきて、
どうせ連絡なんか取らないだろうと思って教えてしまったんだった。
現に今までは一度もかかってきたことはなかったから、忘れていた。

「はい。もしもし?」
「あ、内藤?」
「そうだけど、何の用?」

いつも以上に声が冷たくなった。
別に意図したわけじゃないけど、予想外の事態に緊張しているのかもしれなかった。

「今ツナんちで補習の宿題やってたんだけど、
どうしても一問わかんない問題があってさー、内藤なら解けるんじゃねーかって」
「なんでそこで私なの?獄寺君がいるじゃない」
「獄寺もわかんねーって言うんだよ」

そんな馬鹿な、と思った。
補習っていうのは基礎を理解していない人が基礎を理解するために行われるわけで、
その宿題を学年トップが解けないはずがない。
そんな問題が出されたとしたら、きっと教師は相当の馬鹿だ。

「だったら私に解けるわけないよ」

言ってから、そうかな?と思った。
もしかしたら解けるかもしれない。
一応数学は得意だった。
問題を見てみなくちゃわからない。
それに、どんな問題だろうと好奇心が沸いた。

「そういわずに問題だけでも聞いてくれねーか」
「わかった」

簡潔に了承して、読み上げられる数式を紙に書き写した。
そして、あれ?と思った。
見覚えがある。

「これって、習ってない公式使ってもいいんだよね?」
「多分」
「見たことある公式が使えそう。……中学生レベルじゃないと思うけど」

前に並木さんの家にあった数学の専門書を読んだとき、
複雑なわりに変な名前の公式だったから覚えている。
たしか、『ネコジャラシの公式』。

「解けるのか?」
「うん。計算するから待って」

机の上にケータイを置いて計算をする。
電話の向こうでは歓声が上がっていた。
ちょっと気分が良い。
基本的に、触らなくてよければ、余計なものを見なくていいから、
相手と目を合わせなければ、見透かさる必要がないから、電話でなら気楽に会話できた。

それから、やっと答えが出て、再び電話に出た。
もしもし、と言うと詐欺みたいな言葉が返ってきた。

「俺だぞ」
「……リボーン?」

一度しか会ったことがないけど、独特の声口調ですぐにわかった。
あの赤ん坊の姿が目に浮かぶ。

「山本君は?」
「俺はツナの家庭教師だからな。簡単に答えを教えられたら困るんだぞ」
「だったら最初から電話させなきゃいいのに」
「お前の実力を知りたかったからな。答えを言ってみろ」
「……4」

嫌な予感がしながら答えを言った。
私の実力を知りたい?どうして?
リボーンは簡潔に要求した。

「お前、マフィアになれ」
「それは前に断ったはずだよ」
「今回は命令だ」
「どうして?」
「お前は普通じゃないだろ」

放たれた言葉を反芻して、理解して、思わず電話を切った。ついでに電源も。
心臓がどくどくと脈を打っていた。
そんな衝動を起こしたのは、恐怖だ。

リボーンが私の特殊な力について勘付いているとは思えなかった。
だって、私リボーンの前では使ってない。
それなのに怖かった。
私は他人に見透かされることを恐れる。

再び電源を入れる気にはなれなかったから、無理矢理気分を転換して部屋を出た。
パパの夕食の手伝いでもすることにする。


「ちっ、切れやがった」

その頃、ツナの部屋ではリボーンが舌打ちをしていた。

「なっ……!お前なんてこと言うんだよ!
普通じゃない、なんて言ったら内藤さんが怒るのも当然だろ!?」
「だってそう思ったんだもんー」
「可愛い子ぶってもダメだから!なんで邪魔したんだよ。折角答えがわかるっていってたのにさ」

ツナが肩を落とすと、何を思ったか、獄寺が目を輝かせて申し出た。

「十代目!俺もう一度考えてみます!」
「え、いや」
「ほらさっさと貸せ、馬鹿女」
「ああああすみません。だって解けると思ったんです!」
「うるせー!さっさとプリントを寄越せ!」

獄寺がハルから宿題のプリントを奪って唸っている間に、何気なく山本が呟いた。

「でもよ、たしかに内藤って普通じゃないよな」
「え……、あー、うん」

ツナも歯切れ悪く同意した。
窓際の席で、独り本に向かう姿を思い出す。
授業で当てられたらすらすらと答え、体育の授業でも課題を軽々とこなす。
整った容姿で、大人びていて、完璧な人間といってもよかった。
それなのに、嫌われているわけでもないのに、人を寄せ付けない雰囲気がある。
隣の席だというのに、会話したのはリボーンが入ファミリー試験とか言ってたときが初めてだ。

彼女は浮いている。
クラスメートの誰もが口を揃えることだ。
けれど、山本が言っているのはそれだけじゃないようだった。

「何かあったのか」

それを見透かすようにリボーンが問う。
山本は珍しく神妙に答えた。

「俺が腕骨折したときあっただろ?実はあのとき、内藤に予言されててさ」
「予言?」
「怪我するから部活に行かない方がいい、ってさ。
実際部活のあとに怪我したから、結構引っ掛かってたんだ」
「それは……」

偶然にしては出来すぎていた。
オカルトのような話が思い浮かぶ。

「山本が怪我すること知ってたってことだよね?」
「ああ。そんな感じだった」
「……占い、とか?」
「廊下でたまたまぶつかったんだ。占ってる暇はなかったと思うぜ」
「……霊感?」
「さあな」

憶測で会話するには限界があった。
「はひー!なんの話ですか!?」とハルが首を突っ込んできて騒ぎ出す。
わかんねえ、と顔を上げていた獄寺は小さく「悪霊退散」を唱えた。
けれど最終的には、

「まあ悪い奴じゃないと思うんだけどな」

と山本がまとめた。
すると獄寺が暫く黙って、思い返すようにして言った。

「そういえば、あの女夏休みになる少し前に泣きながら下校してましたよ」
「え?」

予想外の証言だった。
涙とは無縁な、常に凛とした横顔が脳裏を過ぎる。
「詳しく話せ」とリボーンが促し、獄寺は話を始めた。

「あれは姉貴がこの町にやってきた頃だったと思います。
夕方、俺は偶然学校の近くを通りかかったんですが、……そのときはとっくに下校時間を過ぎていて、日が傾いていました。
すると反対側からあの女がぼろぼろに泣きながら歩いてきました。
向こうは俺に気付いてないみたいで、黙って通りすぎて行きましたけど……」

あの内藤が、なんて呟きが漏れる。
「女の子には誰にでもセンチメンタルになるときがあるんですよ!」とハルが語って、
「黙ってろ」と獄寺にまた叱られていた。
沈黙が重かったが、ツナは はっとプリントに目を移した。

「やばいよ!今は宿題やんなきゃ!留年なんてやだよ〜〜!」
「ああ、そうだったな」
「お役に立てなくて申し訳ありません、十代目!!」
「すみませんハルが悪いんです!」
「つーかリボーン!お前も悪いんだぞ!?……寝てるし」

ツナが呟いた、そのタイミングで ガラッ、と窓が開き、
謎の鼻唄を歌いながら牛柄の子供が登場した。
『ウザい』と定評のランボだ。
能天気な顔に鋭い視線が集まる。

また一騒動起こりそうな予感だった。


その頃、内藤家では着々と夕食の準備が進んでいた。


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